第三話『万年視肉-Saehrimnir-』

「なんだ、これは?」

 友人の家に、うちで飲もうと招かれて行ったら、何やら友人宅にはそこまでは大きくない一抱え程のサイズの丸太が数本あり、そこから何やらぐねぐねと人の肌が腐敗しかかった様に見える物が生えていた。

「ああ、それはマンネンシニクだよ」

 俺が怪訝な顔をしていると友人が答えた。

 しかしマンネンシニク? 聞いた事も無い名前だが、キノコの一種だろうか。

「いや、厳密には担子菌類ではなく、変形菌の一種らしい。一応通り名と言うか、通称としてはキノコの一種って事になっているらしくてさ、事実こうして原木から生えているからな」

 なんとか菌類とか、かんとか菌類と言うのはどうでもいい。だからその死肉みたいなキノコは何なのだ。

「それはな、これをこうやって食うのさ!」

 そう言うと友人はマンネンシニクとやらを手で千切って口にした。オイオイオイ! そんな得体の知れないキノコを食べても大丈夫なのか?

「ああ! 俺はこいつのお陰で元気満々さ、この所下痢も便秘もしてないし、こいつを食えば二日酔いとも無縁で、疲れ知らずさ」

 いや、人の肌が腐りかかった様な、遠慮せずに言うとアンデッドとかゾンビのなりかけみたいなキノコだぞ。外見からしても遅効性の中毒症状とか、あるいは中毒性があるんじゃないか?

「俺はこいつを数カ月前から食ってるが、全然大丈夫さ。そもそも殆どの毒キノコは食った翌日位には症状が出るからな、数カ月経っても中毒を起こさないなら御の字だろう」

 いや! そう言えば胞子嚢が生きている生のキノコを食べると、胃の中で胞子を撒いて肺がやられると聞いた事がある!

「こいつらは担子菌類じゃなくて変形菌類だから大丈夫さ、微生物やら倒木の栄養を食って細胞分裂をする生き物だからな」

 すごく不味そう……

「そんな事ねえって! いや、食べてからのお楽しみだな。さあさ、実食してくれ」

 俺は友人の押しに負けて、一口大に千切られたマンネンシニクとやらを口に入れた。

 その触感はキクラゲの歯ごたえを弱くしたような、よく水分を吸ったの様な感覚で、単独で食べても味はまるでしなかった。

 いや! 噛んでいる内にマンネンシニクは口腔で化けてみせた! 味こそしないが、風味がする! それも深みがあって鮮やかで、しかもさわやかで後味も良い! シイタケよりも香ばしく、マツタケよりも芳醇、訳の分からん漢方薬よりも薬臭いが優しく、しかも噛めば噛むほど香りが舌に鼻腔に喉に伝わる様だ!

「ふふふふん、どうやらお前もマンネンシニクの魅力にやられたようだな。んじゃこの原木を一つ貰ってやっておくれよ」

 そう言って、友人は俺にマンネンシニクが生えた丸太を一つ寄越そうとした。何故そうなる。

「いやだって気に入ったんだろ? マンネンシニク。それにこいつは食っても根っこが残っていれば一日そこらで元のサイズに戻るんだよ。魅力的だろ? 俺を助けると思って貰ってやってくれよ」

 助けると思って? 俺は友人の言葉が気になって、追求するような口調で訊ねた。

「あーまーうん、こいつら翌日には復活するからこうもたくさん原木はいらないんだ。一株で充分! 何よりスペースが足りなくてさ」

 そんなもの、テキトーな場所に捨てればいいだろう。

「いやな、捨てるのは勿体なくてさ。ああそうそう、こいつらを紹介してくれた方が言ってた事を伝えないと『容量用法は守って、成人なら一日に一株まで、未成年はその半分。約束は必ず守ってくださいな』ってさ」

 そう俺に伝える友人の目は、俺にはあればあるだけ食べてしまいたい事をこらえるのが辛い。と、そう語っているように見えた。


 朝起きると気分がいい。頭は冴えるし、目はぱっちり、身体は軽いし、気分はギンギンのビンビンだ。

 こんなに体の調子の良い朝は子供の時以来と言ってもいい、いいやそれよりずっと良い!

 これもマンネンシニクの御利益だろうか? と昨日友人に半ば無理矢理持ち帰らされた原木を見ると、昨日千切った筈の場所が埋まっており、最初に見た時と大体同じ姿に戻っていた。

「なるほど、この性質からマンネンシニクって命名されたのか」

 俺は友人の言っていたマンネンシニクの性質と注意事項を思い出して反芻した。

「凍らせたり、乾燥させると細胞が死んで効能が弱くなる。千切った物をお茶に漬ければ、性質がお茶に移ってお茶が薬になる。水洗いをしてもいいが、ぬめりが強くなって不味い。そして一日に一株食べてはいけない。か」

 この不気味なキノコを丸ごと一つ食う積もりは毛頭なかったが、そんな事をしたらどうなるのか、俺にはちょっと好奇心があった。

 俺の脳裏には、自分を食った動物に寄生してキノコのバケモノにしてしまう古いホラー映画の怪物が浮かんだが、そんな危険物ならちょっと口にしただけでも有害だろうから、そこまでの劇物ではないのだろう。きっと薬効が強すぎて眠れなくなるとか、そんな所に違いない。

 俺は素直に注意に従い、日に一株は食べずに過ごした。


 俺はマンネンシニクと共に生活して幾つかの事に気が付いた。

 マンネンシニクは一株食べてはいけないと言うが、実際にはもっと正確な分水嶺が存在する。

 俺の身体は、マンネンシニクを一株の半分程食べた辺りで胃が異変を訴え始めることが分かった。

 恐らくマンネンシニクを半株以上食べるのは俺にとってはキャパシティーを超えるのだろう、これからは半分も千切らない事にしよう。

 しかし、マンネンシニクを一株食べるとどうなるのだろう?

 胃の調子がおかしくなったと言う事は、このキノコはコーヒーや油分の多い魚の様な働きをしているのか? いや、俺の胃腸はマンネンシニクのお陰で健康なのだ。そんな食品と似た性質を持っていると言う事は考えづらい。やはり強力な薬効を持っていると考えるのが妥当であろう。

 気づいた事その二、どうやらマンネンシニクには植物並の知能があるらしい。

 霧吹きで水をやり、エアコンで適温にしてやると、どことなく嬉しそうに見える気がする。

 恐らくは観葉植物なんかと同じで、脳みそは無いが本能や心は持っているのだろう。

 尤も、菌類の本体は石突と言う話もあり、キノコの可食部位を千切っても俺には何の罪悪感も無かった。毎日復元する部位なのだ、人間で例えたら髪や爪に等しいだろう。

 俺はそう考えながらマンネンシニクの世話をし、マンネンシニクを食べ、寝る準備をした。今の俺はマンネンシニクのお陰で健康なのだ、こいつの世話は喜んでするのが道理だろう。


 友人が倒れたらしい。送られてきた文面を信じるならば、どうやら嘔吐と下痢が止まらないらしい。

 あんなにも健康を自慢していたのに一体どうしたのだろうか?

 いや、俺には一つ思い当たる節があった、マンネンシニクだ。マンネンシニクを一齧りすれば身も心もビンビンのギンギンになるのだ、ここ一番の勝負所でドーピング感覚のマンネンシニク茶を一気飲みする友人の姿が自然に想像できた。或いは、ただ単に好奇心に惹かれての行動かも知れない。

 そう思案していると、再び友人から文面での連絡が来た。下痢と嘔吐がやっと収まり、もう体重が十キロは減った気がするとの事だ。

 やっぱりそうだ、強力な薬を飲み過ぎたから肉体がびっくり仰天、全部出してしまったのだろう。そりゃあ販売元も食べ過ぎるなと忠告をする。

 しかし、マンネンシニクが普通に薬膳の類で本当に良かった。これがもしもステレオタイプのホラー作品ならば、これでキノコ人間に変異して街で次から次へと繁殖していた事だろう。

 しかし、人体はなんだかんだで優秀だ、異物が入ったら全力で排出するし、あの手この手で健康を保とうとするし、危害を加えようものなら全力で抵抗する。

「俺はあいつみたいにバカなマネはしないから、俺の為に毎日ちゃんと育って、俺の健康を維持してくれよー」

 俺は最早趣味であり喜びでもあるマンネンシニクの世話をしながら、優しく話しかけた。観葉植物は話しかけると良く育つと聞いた事があったからだ。

 初めて見た時は人肌に似た不気味なキノコだと思ったが、かわいい物だ。何より最近ではコイツの感じている事が分かって来た気すらする。

(ええ、私の世話をする為に健康を維持してください。それから私が再生出来なくなる程は食べないでくださいよ、その時は全力で抵抗しますからね)

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