白衣の天使から白衣の花嫁になっていました?

ぜろ

第1話

 夜勤明けの看護師である私こと黒井真珠くろい・まじゅが何だか具合の悪い夢から覚めると、そこは天蓋付きの豪奢な広いベッドの上だった。


 え、と思わず声が出る。傍らのサイドボードには時計があって、それは六時を指していた。いつもの時間だけれど身体はそんなにだるくない。と言うか知らないネグリジェを着てて、誰に着替えさせられたのだと思う。ベッドから降りてみるとふかふかの絨毯が裸足の足に触れて気持ち良いけれど、そんな部屋に住んでいた私じゃない。八畳一間のワンルーム、それが私の城だった。でもまるでこここそが本当に『城』みたいじゃないか。

 頭がくらくらするのは二日酔いの所為じゃない。ドレッサーの鏡の中を見ると、栗毛のストレートの髪をたっぷりと垂らした知らない女の人がネグリジェ姿で佇んでいた。え、とまた出た声も、いつもと違う。


 何だろうこれは。何が起こっている? 頭を押さえながら昨日からの事を思い出す。六年務めている市民病院の休日で、同期と飲みに出てほろ酔いで帰って来て。お風呂に入ってこれはいけないんだよなあと背徳感にふらふらしながらくしゃくしゃのベッドに飛び込んで、そのまま熟睡。

 よくある夜勤明けの一コマだ。なのになんだって私はこんな事になっているんだろう。思っているとにわかに家(?)の中が騒がしくなって来た。なんだろう、と思ったけどネグリジェで部屋を出る訳にはいくまい。きょろ、と辺りを見回すと、ウォークインクローゼットにドレスのようなものが掛かっていた。白いそれなら大丈夫だろう、頭からネグリジェを素っぽ抜いてドレスに着替える。良い手触りでちゃんと手入れされているのが分かる感じだった。丹精されたものは解る。


 ドアを開けてわいわい言っている方へ向かうと、何人ものメイドとすれ違った。本物のメイドを見るのは初めてでちょっと驚いたけど、黒いワンピースにエプロンを付けているだけでいわゆるメイド服と言うのは後世に嗜好から作られたのだなと思わされる。みんなたらいを持って、タオルを中の水に漬けていた。

 そして私はやっと、開けっ放しの玄関に辿り着く。家じゃなくて城みたいだったな、思いながら外に出てみると。


 そこにいたのは――兵士たちだった。

 誰もが深く浅く傷付いている。

 甲冑をガチャガチャ言わせながら、呻く声。

 それは私のよく知っている、『戦場』だった。


「グレタ? 何をしている」


 呼びかけられてこの身体がグレタと言う名前だと知る。勝手に体をお借りしてますグレタさん、すみません。

 振り向くと頬のしゅっとした感じの金髪直毛を後ろで縛った人だった。青い目が綺麗な、見惚れるぐらいの端正な顔。だけど向けられている視線は厳しい。睨まれているも同然だ。何をしている。こんな所で。たしかに手ブラな私には何をする気もないように見える、こんな所で。


 えっと、と声に詰まると訝しげにされる。そりゃそうだろう。しかし私は名前を呼ばれたことでやっと自分の人格を思い出して来ていた。そして事態も、飲み込もうとしていた。


 グレタ・セルシウス。辺境伯夫人。性格は自分に関すること以外無視して通る我が侭どころか理不尽。結婚して二年。夫のクリストファーは叩き上げの軍人から辺境伯に任ぜられた。二十八歳。私は確か二十三歳。いきなり若返ってちょっと嬉しいけれど、それはいい。今は関係が無い。現在は国境線を争い魔族との戦争中。夫婦仲はベッドが別程度には良くない。と、目の前の人が夫だと認識した途端、はっとした。ぼーっとしている場合じゃない。


「クリストファー様、お怪我は!?」

「え? 否、私は」

「本当ですか? 鎧が割れています。私もすぐに皆さんの手当てにあたります!」

「ええ? あ、ああ……?」


 昨日までのグレタならば血の匂いのするこんな場所に降りてくることはなかったのだろう。どころか社交界のドレスを作り始めようとしていた所だ。でも今の私は違う。黒井真珠はそんな事をしている場合じゃない。私は看護師なのだから、こんな所でうだうだしている場合じゃないのだ。

 世界が変わったって私は私。なりたくてなった仕事だ。傷付く人を一刻も早く助けられるように。私はメイド達を追い掛けて庭の井戸に向かう。たらいは山積みになっていたから、そこから取った。つるべ落としの井戸はちょっと持ち上げるのが重かったけれど、何くそと持ち上げる。ストレッチャーに肥満の人を乗せるのに比べたら大したこともない。でもグレタの筋肉にはちょっとしんどい。もっと鍛えなさいよ、グレタ。


「奥様!? 何をなさって、」

「ああごめんなさい、時間が掛かってしまったわね。私も兵たちの手当てに当たろうと思って」

「そんな、奥様が」

「単純な創傷の手当てならできるわ。毒なんかは分からないからあなた達に任せてしまうかもしれないけれど、許して頂戴」

「は、はいっ!」


 突然勤勉になった奥様に、メイド達も驚いている。まあ自分で思い返してみても、この時間のグレタはぐーすか惰眠を貪ってる頃だ。人が変わったように見えるのは仕方ないだろう。ぱたたっとスリッパを鳴らしながら私は庭に出る。


「消毒薬を使ってはダメ、傷からにじみ出る自然の消毒が流されてしまうわ! 水で流して綺麗にしたら、ワセリンを塗って油紙を巻いて! それだけで充分に治る! 深い傷は拙いけれど縫えるから、こっちへ連れて来て!」

「えっえっ」

「えー……?」


 メイド達も兵士たちも私の張り上げた声にぽかんとしている。医療用の縫い針なんかはあるのだろうか、通りがかりのメイドに尋ねると、はい、と言って持って来てくれた。

 腕に深手を負って意識を朦朧とさせている男性が連れられてきて、私は鎧と木綿の服を取って破いてまずは水で流す。出血のピークは過ぎたようだし、心臓より上に患部を上げておけば大丈夫だろう。ちくちくちく、殆ど見よう見まねで覚えた縫い方で傷を縫ってワセリンを付けたら油紙を巻いて患部を上にしておくようにメイドに言い付ける。

 次、足。心臓から遠いから傷を直接しばっても大丈夫だろう。水で流して縫ったらあとの処置は同様。次々に片付けて行くけれど、うめき声は止まない。


「グレタ、お前、そんなことが出来たのか?」


 ぽかんとしているクリストファー様も腕からだらだら血が出ている。鎧を脱がせてシャツもたくし上げると、やっぱり凪傷が出来ていた。我慢してくださいね、と言ってから水で流す。顔を顰めた様子に、深いのかと傷口を観察するけれど、太い血管には届いていないようだった。なら処置は他の人たちと同じだ。夜通し戦っていたんだろう、魔族は夜行性だから。かと言って昼も弱いわけじゃない。厄介な敵なのだ、連中と言うのは。今は魔王が不在で統制が取れていないから何とかなっているけれど、それもいつまで続くやらだ。温かい血の感覚を手で感じながら、私はクリストファー様の腕に包帯を巻く。

 援軍が届くのは一週間後、と記憶があった。それまでこの人達が崩れてしまわないようにしなくては。せっせとたらいに水を汲みに行こうとする前に、私はクリストファー様に答える。


「知識があれば出来ない事はありません。勿論私一人の力では何にもならないでしょうが、幸いこの家にはメイドも多いし無傷で帰って来た兵もいる。魔族も連続で攻撃は仕掛けて来ないでしょうから、そのままゆっくり休んでください。部屋のベッドに向かうのも良いでしょう。総大将が倒れたらひとたまりもありませんよ」

「それは、そうだが……お前、一体どうしたんだ? まるで別人のように、こんな手間をかけるなんて。ドレスも血が落ちて汚れてしまうと言っていたのに」


 別人です、とは言えなくて、私はにっこり笑う。隠し事は得意だ、末期の患者さんとかに主に。


「ドレスなんてオキシドールで脱色すれば血の汚れなんてすぐに落ちてしまいますわ。今はそんなことよりも、兵の手当てでしょう? 私も出来る限りの手当てはするつもりです。あなたも、ご自分にしか出来ない事を、そのように」


 ぺこっと頭を下げて井戸に向かう。

 キツネに摘ままれたような顔をしていたな、クリストファー様。

 まあ女狐として、暫くは韜晦していよう。

 段々静かになっていく兵たちを最後の一人まで手当てし終えた私は、ふーっと息を吐く。

 さて。

 ドレスに消毒薬ぶっかけるか。幸い白だから色落ちは気にしなくて良い。ちょっとぐらい残ったってデイドレスなら別に気にしなくて良いだろう。

 そしたら着替えて町に出て、必要なものを買って来なくちゃな。医療用の針と糸、ワセリン、油紙、解毒薬、その他諸々。辺境伯夫人として、しっかり役目を果たさなければ。

 それが多分私がグレタになった理由なのだろうから。

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