似顔絵師

葱と落花生

似顔絵師

 事の始まり


 北山の爺さんと親父さんを殺したのではなく、助けようとしたと主張する男。

 久蔵の発生となると神世の話になってしまうので端折り、事の始まりを江戸前期まで遡る。

 北山家と久蔵は途中に空白期間があったものの、数百年来の付き合いである。

 

 北山家は江戸時代にあって、武士でない著名な旗本を祖としている。

 歌人・俳人・和学者として知られる北山吟時、通り名を久助と称していた。

 出身は上総の国、沼田郡落葉村。

 祖父の銀龍、父の陀円を継いで医学を修めている。

 和歌・歌学を学んだ事で『どざえもん日記』『伊勢海老物語』『源氏名物語』などの注釈書を著す。

 元禄二年に歌学方とし、子息の湖矢と抱き合わせ五百石という低賃金にて幕府に仕えた。

 以後、北山家が幕府歌学方を世襲し、山岡麒麟・松尾芭蕉扇・山口駄菓子堂など、優れた門人を輩出している。


 三代将軍家光の時代、今から四百年ばかり前の寛永。

 北山吟時がまだ十三四の若僧であった時、近所を散歩していて久蔵に出会っている。

 当時、久蔵は作右衛門と名乗っており、島原の乱に加担した御尋ね者として手配されていた。

 以前より親交のあった村を頼って、上総の国まで逃げ延びて来ていた。


 長年かけて辿り着いたはいいが、寛永の大飢饉でロクに食う物がない。

 気合と根性で餓死寸前まで歩けば、あと少しで匿ってくれる村に着けたのだが、辛抱が苦手な性格で、よせばいいのに毒茸を生食いして当たった。

 道端で苦しんでいる久蔵を見つけた吟時は、医学に精通した家の者だからと、親切にも自宅に連れ帰って介抱してやっている。

 助けられた恩義を忘れぬように、この日から作右衛門は御尋ね者の名を捨て、久蔵と名乗るようになった。


 暫くそのまま北山家に出入していた久蔵には、未来に起るであろうと予言されている大災害に備えた避難所建築の為、幕府に近付く企みがあった。

 適当に自分で作った金属製の土偶を、預けてあった神社から持出し「先祖代々の御宝と伝えられております」と口上すると、助けてもらった礼として吟時に差し出す。

 大変よろしい物を貢いで取り入る魂胆だが、真面になって考えれば、こんな物で将軍様に御目通り叶う筈もない。


 この土偶を事もあろうか吟時は、当時から信仰していた磯神様に奉納した。

 創ったのは久蔵でも、管理していたのは本来久蔵が仕えている磯家の土偶である。

 出元に帰っただけで、幕府との深い関係は築けずに終わっている。

 ただ、「折角の縁を断ち切る事もあるまい、旗本の家に憑りついていれば、いずれは機会もやってこよう」と、これより久蔵は北山家に奉公する者となっている。


 旗本の北山家と磯家に繋がりを築き、これより磯家が栄えたのは久蔵のお手柄である。

 しかし、磯一族が支配する地域は、飢饉の最中でも濁酒を作れるほど豊かな土地で、久蔵がもう少し辛抱して村まで辿り付いていれば、これからの顛末はなかったものを、毒茸の不始末が後々の不幸を招いてしまう。


 久蔵が、此の世に居る理由は未だに不明である。

 それは、人を含め総ての存在意義が解明されていないのと同じであるから良しとしても、極めて不可解な生物なのは否めない。


 何代にも渡って北山家に仕えていくが、老いもせず病にもまったく無縁で、使い減りのしない男は都合のいい反面、不気味な存在となっていく。


 二代目の湖矢が死去した辺りから、北山家では久蔵に対する接し方を変えている。

「まったく老いる気配がない。ひょっとしたら、あいつは妖怪変化ではあるまいか」

 周囲の者がひそゝ始めると、久蔵は暫く磯家に隠れ住む事にした。



 暫くと言っても根っからの化け物、百年二百年の暫くである。

 この間、有名どころでは最初の浮世絵師、菱川師宣と名乗っていた時期もあった。

 同時期に二人の師宣が存在し、互いに協力しあって浮世絵の技法を確立している。

 師宣の生年が、元和四年から元禄七年六月四日、または寛永七年もしくは八年とされ、享年が六十四から六十五歳、あるいは七十七歳とされている由縁だが、今となっては真実を知る者は久蔵のみである。


 久蔵は、磯家に従者として居候するだけでなく、一族と近隣に住まう者の超能力に目をつけ、現代で言うところの便利屋家業を始めている。

 自分が労するのではなく、超能力者を駆使して仕事を熟し、仲介料として賃金の殆どを懐に入れる中間搾取である。

 磯家からすれば、実に不届きな奴になっていった。


 この生業を叱り付けたのが、久蔵の祖母のまた祖母で、現代では多くの者が、強制入院させられている病院の初代院長であった。


 初代院長は、北山の家で医学を学び、村に唯一の診療所を開設していたのである。

 少なからず、北山家と久蔵の家は縁を持ち続け、悪からぬ関係が幕末まで続いた。





 泥棒稼業


 時はずずずいーっと進み、大政奉還となる。

 旗本の家として代々続いた北山家であったが、時代の流れには勝てず、明治になって千葉から群馬に転居している。

 この時、使い道をいい加減にしか知らない久蔵が、北山家磯家と行ったり来たりしていた土偶を、餞別代りとして北山に持たせた。

 後に祖母の祖母から「馬鹿タレがー、めっちゃくっちゃ危ねえ人形だんべえにい。早えぐ回収してこねえとー、地べたが燃えてー、河が凍っちまうぞ、ゴニョ」と命じられ、久蔵は群馬の北山家を訪問している。

 とは言え、役所より気の長い緊急対応である。

 訪問は昭和になってからの事で、土偶の話などとっくに伝える者が絶えていた。


 訪問するとしたが、泥棒家業を本職としている男、久蔵流に真夜中の参上となる。

 現在、千葉県警でうろちょろしている、北山刑次の祖父にあたる北山家当主、刑史郎が群馬で刑事職についていた時の事で、警官の家に泥棒が入ったから大騒ぎになった。


 土偶は見つかったものの、盗み出すまでにはいかず、頂くのは次の機会にして一先ず逃げておこうと、久蔵は何も盗らずに引き上げている。

 ところが、職務に忠実とするか、融通が利かない木偶と呼ぶべきか。

 ここで泥棒を逃したとあっては末代までの恥とばかり。

 刑史郎は泥棒の逮捕を、先祖から隣近所、それでも飽き足らず警察署長にまで誓って回った。


 しかしながら、既に四百年以上前から見掛けも名前も同じままの久蔵は、本人でさえ己の年齢を知らない。

 このような者を探すとなると、そうそう簡単に行くものではない。

 それに、刑史郎は捜査する上で必要不可欠とも言える、久蔵の人相すら知らなかった。

 これでは、探し出せる見込みなど全くないのと同じ。


 ここで頼ったのが、転居するより前から親交があったと伝えられている磯家の占いである。

 刑史郎は磯家の人間を、よく当たる占い師程度にしか考えていなかった。

 突然やって来て、泥棒を探してくれとの無茶ぶりではあるが、普段から行われていた中間搾取の怨みが積もりに積もっている。

 占い婆さんは意地悪く正直に、ある事無い事そっくり刑史郎に吹き込んだ。


「似顔絵描きを生業とする者です、繁華街を探せばみつかるでしょう」

 こう占われ、刑史郎があちらこちらと幾日かうろついて、それらしき人物に出くわした。


 似顔絵を描いてもらいながら、気取られないように質問し、この男こそが久蔵と確信して、その日は一旦家に帰る。

 明日には久蔵を逮捕するから、上手く行きますようにと仏壇の前で手を合わせ、描いてもらった似顔絵を、ちょいと額に入れて見る。

「なるほど、飯の種にするだけある。よく似ているものだ」


 翌日、久蔵が住まう荒れ寺の宿坊に行くと、既に逃亡した後であった。

 囲炉裏の鍋には、猛毒を持ったベニテングダケが煮込まれ、食った痕まである。

 これを見た刑史郎は、久蔵が並の人間ではなく、妖怪の類だと気付いた。


 家に帰ると、家人に久蔵なる化け物に出くわしたと話して聞かせる。

 この日より、きっぱり追い回すのを止め、北山家々伝に載っている【代々、久蔵なる従者有り】との記載について、詳しく調べるのを一つの楽しみに、新な久蔵追跡が始まった。


 一方、よくよく考えれば何を盗ったのでもない久蔵。

 飲み過ぎて酔ったまま、人様の家に間違って入り込んでしまったのだと言い訳すれば、何とかなるだろうとの浅はかな考えで、ふらりと北山家に現れる。

 これには流石の刑史郎も啞然としたが、久蔵が物の怪と知った上で、事の次第を詳細に聞ける絶好の機会でもあると気を持ち直す。


 悪びれず正直に「あんたの似顔絵が、目を瞑ってるねー。その身が危ない予兆だから、気を付けた方がいいよ」

 久蔵が似顔絵の正体を明かす。

「御前さんがそう言うなら、注意して歩くとしよう」

 刑史郎は、言われた事を素直に信じた風に答える。


 久蔵との追いかけっこは、普段の仕事を熟したのに加えての働きで、常々疲れがたまっていると感じていた。

 何がどうなっているのかまで追求する気はないが、一応でも人様の体を心配するあたり、まったくの悪でもなさそうだと気を許す刑史郎。

 久蔵も、正体を隠す必要のない相手に打ち解けて、二人は昼間の酒を酌み交わす。


 暫らくすると刑史郎が、経緯の元となった土偶を机上に置いたまま考え込んでいる。

 久蔵が大きな声で乞う。

「頼む! なー、返してくれよ」


 少しして、いきなり久蔵が座敷から飛び出す。

 書斎の方へ行ったり厠に走ったり。

 そこら中の扉をバタリゝとやり始めた。


 今度は座敷の方へ戻ってくるなり、空に向かって怒鳴りだす。

「おい、冗談じゃない。何で今なんだよ、俺は御客さんだよ。こいつは今、大事な接客中だよ」

「あれま、久蔵さんですか」

 こう応えたのは、死神である。

「あれまもねえもんだ。知り合いなんだからよう、殺る前に何とか言えば良かっただろう、まるで殺し屋じゃねえかよ」

「はい、死神ですから」

 そのとうりである。


「ポックリ逝かせるならそれでもいいけどよ、考えてやってくれよー。もう少しで土偶を返してもらえたんだから」

「殺り直さなくもないですけど、何くれますかー」

「相変らず性悪だな」

 久蔵は土偶を持ったまま、ぬっと立っている。

「こいつは、俺が殺させねえよ」

 こう言い放ち、死神を引き摺り縁側に出て、勢いを付け居間へ入り込む。

 すると、中には正面に婦人が一人控えている。

 刑史郎の妻、蕙である。


 久蔵は思わず懐に土偶を仕舞い込む。

「俺じゃねえよ。俺が殺ったんじゃねえよ」

 いくら俺ではないとしても、私が犯人ですと白状しているようなものである。

「人殺しー!」

 蕙は恐怖に顔を引きつらせ、床の間にあった生け花から剣山に花器やら、手に触れる物を片っ端から投げつける。

 これには、妖怪の久蔵もたまらずに逃げ出した。


 土偶は取り戻せたが、死神と話をつけて助けようとしたのが裏目に出て、すぐさま刑事殺しで全国指名手配の大悪党にされてしまった。

 久蔵はまたもや、磯家預かり謹慎の身となったのである。






 ちょっとだけ有名人


 手配はされたものの追手が迫るでもなく、毎日毎年ノンベンダラリとしているうちに時効が成立した。

 大手を振って町中を歩けるようになった久蔵は、いい気になって絵描きから転身。

 音楽業界に手を出し、当時流行っていたジャズ喫茶に始まり、ライブハウスだレコード会社だと羽振りの良い生活を始める。


 久蔵がマスコミでちょくちょく取り上げられるようになると、事件当時現場に居合わせた蕙が記憶を蘇らせた。

 こうなってくると気が済まないのは、家長を殺されたと思い込んでいる遺族である。

 父親の後を継いで警官になっていた子息、刑造が蕙の証言を頼りに、久蔵の犯行を立証しようと動き出す。


 既に時効が成立した事件である。

 今更犯人だと証明して捕まえたにしても、罰っせないのは分かっている。

 怨み事の一つでも言ってやりたい心理か、それとも復讐する気か、いずれにしろ合法的結末を願っての行動ではない。


 マスコミに名の知れた者は、兎角見つけやすいのが通例である。

 いかに巧妙な手立てで逃げたとしても、どこにいるか直ぐに分かってしまうのが目に見えている。

 したがって、無駄なあがきはしない。

 この点捜査は順調で、逃走の心配もない。

 何につけ余裕があった。


 ただし、古い記憶の目撃証言だけで犯人にしたりはしない。

 これは、代々警察職に身を置く者の意地でもあった。

 持ち物・特徴・特技など、慎重に当時の様子から人物像を照らし合わせ、決定的な証拠の採取に成功すれば、まず間違いないところだが、ここで一つ大きな問題があった。

 化け物と言い伝えられているだけあって、久蔵のはオフザケが過ぎている。

 今でこそ知れ渡ったニコちゃんマークが、彼の残した唯一の指紋だったのだ。


 当然、指紋として鑑識が取り上げる筈もなく、記録には、指紋の採取は出来なかったとなっている。

 人物像が合致して、本人が犯人であるのを匂わせても、決定的証拠がない事件の上に、時効が成立しているとなっては、どうにもやりきれない。


 怨み辛みを晴らすには、どうしたら良かろうかと思案した時、刑史郎が頼ったのと同じ経路を辿り、刑造もまた磯神様に行き着いた。

 久蔵の正体は先刻承知の磯家にとって、これほど容易い占いはないが、ここまで受け難い依頼もない。


「北山さん、これが御父さんを殺した犯人と噂している、久蔵なる人物の写真ですかえ」

 磯家総代の老婆が、他人のふりをして受け答えをする。

「そうです、父が久蔵を探し出す時に占っていただいたとかで、どうぞ御見知りおかれまして、今後共宜しく」

 刑造は友達付き合いが苦手で無口な人間である上に、こんな怪しげな婆さんとは殆ど出会った事がない者で、些か取っ付くのに気遣いが過ぎている。


「まあそう固くならんでくださいましな、総代などと言われてますが、成り上り者ですけ、気兼ねなく、何なりとおっしゃってくださいまし。して、今日はどう言った御用件で」

 言い終ると、今まで何とか気力で持ち上げていた頭をクテッと項垂れる。

 老婆は呼吸を計り、もう一度首をあげる。

「私はなあ、元はこちらの屋敷にあって、永らく女中で暮らした者でがすが、田地視察の折、旦那様に見初められましてなあ。こちらへ参ってから、色々とありましたがな、思い返して見ると、まるで何が苦労だったか分らんくらいで、楽隠居させてもろとります。始めましてとは申しながら、北山家と磯家は三百年以上も前からの御付き合いだとかで、驚きましたねえ。将軍家の御旗本さんだったんでしょう、ねえー」

 言い終えると、またクテッと首から力が抜けて下を向く。


「今の代となっては、何でもありません。昔は、土偶なんて気にしていなかったんですがね、父が殺された原因は、どうやらその辺にあるらしくて、とんだ災難でした。犯人が分かっているのに何も出来ないってのが悔しくて、どうにかならんものかと、こうして相談に伺った次第です」

「それはまた、随分と無茶が過ぎる相談でございますねえ。私ら、御存知のとうり神さん祀ってるだけですけ、占いこそしますが、そのような相談には、とんと御力にはなれませんです」

 老婆の言い分は、もっともである。


 事件を神頼みで解決するのは明治の頃までで、昭和になってからは、本気で犯人の処罰を神に願う者はいなくなっていた。

「まあ、御目に掛かれただけで良しとしますか。では、私は北山家当主として、今後この事件をどう処理すればいいか、そこ等辺りを占っていただけますか」

「はあ、それならばできますで、少しばっかり待っていてくださいな」


 老婆はこう言って身支度を整えると、御神木に藁人形を五寸釘で打ち付けだした。

 刑造はこの時、顔に出さなかった自分の精神所業がこれかと気付き、少々驚いた。

 まさか、怨念や復讐の話程ではなかろうと思っていたが、実際に目の前で老婆が久蔵に似せた藁人形へ、鬼の形相で五寸釘を撃ちすえているのに遭って見ると、想像以上の鬼気に感じられる。

 もし、自分の邪気が怨念の材料になるならば、この老婆の占いとした呪業は、確かに自分の内面そのままである。


 刑造は、どうにかしてこの占いの由来を聞いて見たいと思い「それが占いですか」極めて尋常な問い掛けをする。

「いや占いでない、これで人の抱えとる心の内を先ずは見せとるだけです。あんたの内側、見てどう思いますかの」

 老婆が答えを聞かずに続ける。

「それにな。誰もこの業を見るとな、おおよそ自分の内に巣食う鬼に気付くもんで」

 老婆は釘を一本「あんたも打つかい」刑造に差し出す。

「いえ、もう鬼は消え失せました」

「久蔵ならな、あんたらが越したからゆうて、栃木までくっ付いて行ったわ。悪ガキのロクデナシだがの、昔から世話になった家の者を殺す化け物とは出来が違いますで、私が保証します、会ってやってくださいましな。随分とあんたらの事では、気を落としてましたからの」

 刑造は暫く考えていたが「なるほど」と言って五寸釘を老婆に返した。


「どなたさんも皆、これを丑の刻参りと言うとりますがの、適当な時間にやってますけ、何の刻参りかも分かりませんで、まるで別物ですけえ」

「確かに、そうですねえ。何にしたら良いでしょうか」

「聞いた事もありませんでえ」

 老婆が返してもらった五寸釘を、藁人形に打ち付ける。




 二度目の殺人


 少なからず敬意を持って総代との接見に緊張していたが、いざ話してみると、きつい洒落好き婆さんと知り、自分が恥ずかしくなった刑造が、落ちつかない顔で家に帰り付く。

 玄関を開け、靴音が家内に響いたと思ったら「どうしました、どうしました」

 奥から大きな声が駆け寄ってくる。

 刑造の表情が重いのに、蕙が不安を隠せず慌てているのである。

「何でもありませんよ。明日、久蔵に会ってきます」

 複雑な表情のまま、突然、親の仇に会いに行くなどと言うから、ついに蕙がその場で失神して寝込んでしまう。



 翌日、蕙が床から起き出て止めるのを振り切り、大丈夫だからと言って出て行く刑造。

 久蔵の家では、待ってましたとばかりの大歓迎を受ける。


「一つ、似顔絵を描かせてもらいましょう」

 この好意を受け、描いてもらった絵を家に帰ってから、父親の遺影と一緒に並べて飾る。

 蕙はたまったものではない。

「縁起でもないから、早い所始末してえー」

 この嘆願に、刑造は聞く耳を持たない。


 久蔵はもとから人を操るのが得意な男で、刑造と何度か会い、すっかり大親友と言わせるまでになって行った。

「以前描いて差し上げた絵ですがね。あれの目が閉じた時は、重々用心して過ごして下さいよ。災難の前触れってやつですから」

 ようやくここで、久蔵に似顔絵の正体を明かされ、父親の遺影が目を閉じている疑問が解決した。

 この事を含め、久蔵は刑史郎を助けようとしていて、実は善い奴なんだと刑造が蕙に話して聞かせる。

 しかし、これは到底信じてもらえない。


「その似顔絵なら、とっくにその眼が閉じた風に描かれているわよ。御前は久蔵に騙されているのよ」

 蕙が指し示す絵は、もらった時と比べて随分と違った人相になっている。

 慌てて玄関へ飛び出す刑造。

「もうだめだー!」

 大きな声を出し、それっきり倒れて動かない。

 見ると、手に一枚の名刺を握ったまま、既に息を引き取っている。

 名刺には【芸能プロダクションどんぐり・北山久蔵】とある。


 これは久蔵に毒でも盛られたに違いないと、蕙が警察に通報する。

 やってきたのは、刑造の同僚達である。

 この夜、母親の言い分をそのまま鵜呑みにして、久蔵を逮捕してはみたものの、証拠不十分で起訴出来ないまま無罪放免となる。


 一度ならず二度までも、亭主と息子を殺されたと思い込んだ蕙の怨念は尋常ではない。

 日々ありったけの怨み辛みを書き綴ったのが、北山家々伝の一部として今も残っている。



 現在の北山家当主、刑次は、父親の死を幼くして経験している。

 祖母に「御前の祖父と父は、久蔵と言う御尋ね者に殺されたのよ」と教え込まれ育った。

 真実は二の次三の次、蕙は自分の執念のはけ口を、孫に押し付けたのである。


「御前は必ず刑事になって、久蔵を逮捕して死刑にするんだよ」

 言われるまま警官になった刑次。

 まずまずの情けない御婆ちゃん子だが、署内では優秀な者として扱われている。

 北山家にとって良かったのか悪かったのか、殺人罪の時効を、過去に遡って無くすとの法改正が成されると「これこそは、祖父と父親を殺した犯人を挙げろとの啓示である」と、北山一族は大いに勘違いをする。



 刑次が久蔵を追って千葉に転居し、初めて行ったのが、似顔絵喫茶どんぐりである。

 似顔絵のキーワードに加え、久蔵とした名と、以前経営していたプロダクションと同じ【どんぐり】を店名にしている。


 証拠の有無など関係なく、一気に踏み込む。

「おい、俺は刑事だ。四十年前と二十年前に、北山の家に泥棒に入って、二人を殺した犯人だとの証拠は挙がっている。御前には、観念して出頭しろと言いに来てやった」

 店にいた者は誰も動かず、ただ唖然と北山を見ている。

 久蔵にあっては、踏み込んできた理由がすぐに分ったと見えて、丁寧に御辞儀をする。

 しかし「私がその泥棒ですよ」と言う訳にも行かず、すまして立っている。


 通例の者なら、このようすで大抵は分かる筈だが、北山は場違い間違いに気付けない性質をしている。

 久蔵がにやにや笑いながら「明日ね、午前九時までに自首しますけど、盗難品は何と何でしたかね。誰を殺しましたか? その頃のあっしは、何歳くらいでしたかね」

「盗難品は……」と言いかけ、刑次は言葉に詰まった。


 この男こそ、間違いなく祖母の言う久蔵だと思っていたが、これまでの情報からすれば、とうに八十歳を越えているべき者が、無理しても四十代にしか見えない。

 久蔵は、この時よほど可笑しかったと見え、下を向いてカウンターの角を銜え、あごに力を入れて歯形を残している。


 客がアハハハと笑いながら「四十年前と二十年前ねー」と言う。

 ここで久蔵が、運転免許証を北山に見せる。

「自首してもいいがね、年代が違うんじゃねえの、刑事さんよ。これ見たら分るでしょう。それじゃ、さようなら」 

 免許証を見れば、まだ四十になったばかりである。

 北山は、この地に住む久蔵を、同姓同名の別人だったと処理している。



 この一件があってから「あの時はすまなかった」と詫びを入れ、北山は三日と空けず店に通うようになった。

 こうなってくると久蔵が本領を発揮し、北山と頗る良好な関係を築き上げるのに時間はかからなかった。

 店に来る度に、似顔絵を描いてやると言っては中途で終え、一緒になって酒を飲む。


 毎度ゝ、描き加えて半年ばかりが過ぎた頃。

 やっと終えたから家に帰って見てくれと、仕上がった似顔絵を渡す。



 帰り道、刑次が久しぶりに友人の家を訪ねると、畑の真ん中で友人とその父親が大声で怒鳴り合っている。

 友人の救命士が、所属する署に梯子車を配備してもらいたくて、市長である父親の前でデモンストレーションと称した爆破実験をする直前だった。


 息子の無謀な要求に、父親の怒りは頂点に達している。

 自宅前の畑に有機肥料爆弾を仕掛けたその時、北山の同僚である黒岩も遊びに来た。


「梯子車買ってどおすんだよ、おめえの管轄には、飼料タワーより高い建物はねえべ!」

「んだから、科学消防車でも良いって、言ってんべ」

「工場もねえだろ。牛小屋だけだんべよ」

「だーかーらー、危ねえって言ってんだよ。牛の糞は爆発すんだよ」

「牛の糞が爆発したなんてのは、見た事も聞いた事もねえよ!」

 怒り狂う父親が、思慮なく起爆スイッチのボックスを蹴る。

 すると、仕掛けた爆弾が、過激な爆風を引き起こした。


 爆心地には、黒岩がボケーっと突っ立っている。

「なっ、爆発するべ」

 出来の悪い息子と、素行の悪い父親の壮絶な親子喧嘩に、黒岩は迷わず巻き込まれ、一瞬で病院送りとなった。


 一連の事件を北山は遠くから目撃していたが、面倒に巻き込まれるのが嫌で、見なかった事にしてその場から立ち去った。

 一人の自分がもう一人の自分に、この悲惨な事件現場には、犯人と被害者の三人以外、状況を説明できる者はいなかったと言い聞かせたのである。 


 自宅に帰り似顔絵を広げるて見ると、中には同署で働く者達の顔も描かれてあった。

 その中で、黒岩の目が眩しそうに半分閉じている。

「あー……ひょっとして、助かったのか?」

 刑次は大きく息を吸うと、似顔絵をビリゞと破り、庭に出て祖父と父親の遺影も一緒に燃やし始めた。

 これを居間から眺めている蕙は何も言わず、何度も頷くだけである。

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似顔絵師 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

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