幼き聖女候補は眉毛な兄に導かれる

落花生

第1話聖女の導き手

 小鳥がさえずる朝は、どこの世界だって爽やかだ。カーテンを開ければ、手入れの行き届いた庭園が見える。さらに遠くには、石とレンガで作られた数多くの民家が見えた。


 オレンジのレンガで作られた家々の屋根は、前世ではお洒落なテーマパークぐらいでしか見られなかったであろう。


 前世では勉強漬け人生を送った俺はテーマパークなんて行ったことはないから、結局は想像でしかないのだが。某ネズミのテーマパークという贅沢は言わないから、地元の遊園地ぐらい一度は行ってみたかったものだ。


「あら、もう起きていらしたんですね」


 ノックと共に部屋に入ってきたのは、屋敷で雇われているメイドのリタだ。長い髪をきっちり結わえたリタは、俺の家のメイドの制服も一部の隙もなく身に着けている。


 俺の家の女性使用人の制服は裾が長いシックな茶色のメイド服で、くすんだ赤色のリボンタイを付けることになっている。


 男の俺からみても可愛いデザインで、リタのような美人が身に纏うとアニメから出て来たかのような光景となる。


「イリム様、こちらへ。御髪を整えます」


 メイドに呼ばれて、俺はドレッサーに座る。


 ドレッサーというと大人の女性の物だと思っていたが、この世界でも他人に身支度を整えてもらう身分の人間は誰でも部屋にドレッサーを所有している。無論、子供の俺であってもだ。


 ドレッサーには櫛が、三種類。さらには、髪に艶の出すための油が入れられていた。最初は歯が太い櫛で簡単に髪を梳かされ、徐々に目の細い櫛に変えられていく、さらに油を髪に馴染ませて、風呂上りのような艶を与えられる。


 俺は男なので、身支度はこの程度だ。女性であれば、さらにヘアメイクが続くところだろう。


 鏡を見て、俺はため息をついた。


 鏡は、この世界ではとても高価なものだ。どれぐらい高価なものかといえば、ドレッサーについている鏡一枚で庶民の家が三軒は買える。


 俺の前世では、そんな馬鹿げた値段ではなかった。たぶん、高くても二万とかで買えたのではないだろうか。いや、一万で買えるのかもしれない。あるいは、五千円か。


「買ったことないからハッキリとは分からないけどな」


 しかも、この世界の鏡は歪んでいる。技術が未発達故の弊害だ。西洋の中世程度の文化圏では、歪みのない鏡など夢のまた夢である。だが、歪んだ鏡であってもハッキリと映っているものがあった。


 眉毛だ。


 俺のため息の理由は、自分の眉毛である。髪と同じ黒なのは納得できるが、整えている訳でもないのに丸い。いわゆる、マロ眉だ。平安貴族のような眉毛である。


「くそ。いっそのこと全部剃ってやるか」


 これでも、ちゃんと昨日の夜にできる限り整えたのだ。なのに、一晩たったら戻っていた。もはや神の呪いとしか思えない。


 俺は忌々しくなって、自分の眉毛を少しばかり引っ張る。前世は遺伝という説明がついたが、今世の場合は全く説明がつかない不思議な力によって丸くなったとしか思えない。


「眉毛を全部そるだなんて。先生に笑われてしまいますよ」


 リタは、すでに笑っている。


 十歳の俺よりも六歳の歳上のリタは、朗らかで裏表のない少女だ。優秀でメイド長からの信頼も厚いために、俺の世話係を任せられている。


 俺としては若い女性に面倒をみられるよりは、母親ぐらいに歳の離れた人間に世話される方が色々と気を使わなくていい。しかし、幼少の子供がそんなことを言うわけにもいかない。


 それにしても、子供ってどのように我儘を言えばいいのだっけ。今世も前世と同じように親に逆らわずに生きてしまったのは、子供らしい我儘を言えなかったからのような気がしてきた。


 前世の俺は勉強を強制される家庭のせいで我儘を言えず、それを今世の俺も引きずってしまったわけである。


「イリム様の眉毛は、私は好きですよ。優しいイムル様のお心を表したかのように、丸くて」


 リタは、人の短所を前向きに捉えすぎだろう。今世においても、俺の眉毛は間違いなく他人には嘲笑の的になる。


 前世も小学生の頃は、クラスメイトに笑われて悔しい思いをしたものだ。今世では学校にはいかなくてすみそうなので、クラスメイトたちの嘲笑で無意味に傷つくことはなさそうだ。それだけが救いなのかもしれない。


「……まさか、あの女神は眉毛に呪いをかけたりしていないよな」


 俺は、小さな声で呟く。


 まさかとは思うが、女神もといオリンポス女ならばやりかねないと思った。面白そうだからという理由で、人の眉毛を生まれ変わった体に移植してもおかしくはなさそうな神様なのである。



 信じられない話ではあるが、俺には前世の記憶がある。俺の前世は日本の高校生で、受験戦争の真っ最中だった。


 だが、塾からの帰り道に俺は死んだ。


 殺されたのである。


 今の俺の名前は、イムル・スタルツ


 意地が悪い女神と約束して、聖女を育てる役目を担うことになった男である。


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