元副料理長ユリアは料理にしか治癒魔法を使えません
あんみつ。
1
遠くでサイレンが聞こえる音がした。煙から逃げようと50階から懸命に階段を駆け下りていたが、思っていたよりも火のまわるスピードが早く、あっという間に煙にまかれてしまった。逃げなければと、うつ伏せに倒れていた身体をなんとか動かそうとしたがもうそんな体力も気力も尽きていた。煙のせいでもう目も見えていなかった。
「みんなちゃんと逃げられたかな・・・」
五つ星の高級ホテルのレストランで副料理長をしていた黒木優里亜(ゆりあ)は火事と聞いて急いでキッチンの火やガスの周りを確認して、職場のスタッフ全員が逃げるのを見届けてから最後にレストランを出た。尊敬する料理長は出張だったため、この日は優里亜が職場の責任者だった。
「もう死ぬんだ・・・」
身体中熱くて痛かったが、今は不思議と何も感じなくなった。そして薄れゆく意識の中で、子供のころのどうしようもない出来事や調理学校での同期のことや、偉大な料理長、働き者だった両親のことが頭の中に流れてきた。
「あぁこれが走馬灯か。最後にもう一度、お父さんのデミグラスソース、お母さんの煮物、食べたかったなーーー」
目の前が真っ白になり無音の世界になった。同時に身体がふわっと少し軽くなった。まるで自分が飛んでいるような気持ちになった。
どのくらい経ったのかわからないが、朧気だった意識がしっかりしてきて自分が草むらに倒れていることに気づいた。ゆっくりと身体を起こして周りを見ると、少し先に白や黄色や赤の鮮やかな色の花畑が見える。そこには人影も見える。
「ここは天国?」
困惑しつつとりあえず花畑へゆっくり歩きだす。
「よかった、身体どこも痛くない」
歩きながら次第に近づく人影をよく見ようと目を凝らすと、なんと昨年亡くなった父方の祖母だった。忙しい両親に代わって私を育ててくれた大切な人。
「おばあちゃん!優里亜だよー!」
最初はキョトンとしていたが祖母だったが、手を振って駆けてくるのが優里亜だとわかると
「ゆりちゃん!?」
と複雑な表情をしていた。
亡くなるときは痩せ細っていた祖母は元のふくよかな身体に戻っていて嬉しくなって思い切り抱きしめた。ふわっと祖母の懐かしい香りもした。
「おばあちゃん、会いたかった」
「おばあちゃんも会いたかったよ。でもゆりちゃん、ここにはどうやってきたの?」
働いていたホテルで火災があったこと、逃げきれなかったことを話すと祖母は涙を浮かべながらまた抱きしめてくれた。
少し落ち着いた後、祖母は私の手をぎゅっと握り、真っ直ぐ目を見て話し始めた。これは幼いころから何か大切な話をするときにやる祖母の癖だ。
「いい?ゆりちゃん。ここにはいちゃだめ。ゆりちゃんは早く帰りなさい」
「どういうこと?私はもう死んだからどこにも行けないよ」
「そうね、ゆりちゃんは死んでしまった・・。けど別の人生をもう一度歩めるといったらどうする?」
「それって、転生みたいな?」
「そう。ゆりちゃん自身はまだ死んでいない。料理の道の半ばで後悔もあると思う。だから次の人生では悔いなく最後まで生き抜いてほしいの」
まさか死んだ直後に転生しろと言われるとは思わなかった。
「後悔か・・」
確かにまだ料理長から教わりたいことはたくさんあったし、海外に行ってまだ見ぬ料理や食材を試したかった。もっと料理で食べた人の笑顔を見たかった。
言われてみれば後悔はいっぱいある。
「もう時間がない。ゆりちゃんに会えてよかった。次の人生は最後まで後悔なく生きたら、またここで会いましょう」
「待って、おばあちゃん!」
「さあ早く行きなさい」
祖母に背中を押されると足が勝手に歩き始めた。見えない何かに背中を押されているようだった。
もう一度祖母を見ようと振り返ると、泣き笑いの祖母がじっとこちらを見つめていた。
「おばあちゃん会えてよかった!私、次も頑張る!いい料理人になるから!!」
手を振りながら大声でいうと祖母もしっかりと手を振り返してくれた。
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