第7話 話が通じないひとり

ユルヴェストルはどうしたものかと顎を撫でた。

髪は腰よりも長いが、背も高く身体つきもがっしりとしていて、女性と見間違えようがない。

しかし傷も皺もない綺麗な指先が触れる肌は滑らかで、髭の一本どころか毛穴も見当たらないせいで、どこか作り物の中性めいている。

いつもなら老若男女問わずこの容姿に見惚れて動けなくなるのを気にしたこともないのに、気紛れで招き入れた幼女が動かないのには『困った』という感情しか浮かんでこなかった。


息をしているのかと疑いたくなるほど、幼女の気配が無い。


そんな生き物は野生動物ぐらいかと思っていたが、それよりもさらに存在感が薄く、身じろぎもしないのだ。

「どうかしたのかい?」

「……………」

どうしてそんな石みたいになっているのかと、さすがに興味が湧いて幼女に声を掛けたが、返ってきたのは沈黙と見上げる視線だけ。

それもすぐに元の位置に戻されて、ジッと何もない空間を見続けている。

空想の友達イマジナリー・フレンド』とかいう概念が『ニンゲン』にはあると知っている・・・・・から、ひょっとしてソレと視線で遊んでいるのかと思ってその小さな頭に手のひらをかざした。

「……あれ?」

一瞬だけふわりと細すぎる髪の毛が浮いたが、反応はそれだけだ。


何も出てこない。

無。

無だ。

虚無かもしれない。


「……思考して……いない?」

そんなわけはない。

たとえコミュニケーションの難しそうな動物であっても、本能的な『空腹』だの『睡眠』だの『危険』だの様々な感情がその脳内に浮かび上がり、具体的に『もっとちょうだい』だとか『もっと遊んで』だとか『まだ寝たい』などと我儘を発信してくることだってある。


『ニンゲン』ならもっと簡単だ。


どれくらいと数えたわけではないが、ユルヴェストルが拾ったり預けられたりして育てた『ニンゲン』のうち、まったく考えが読めない者はいなかったし、何だったら口で喋るよりうるさいくらいの想像力や思考力で必要な学びの領域を減らしている馬鹿者の方が多かった記憶がある。

それを叱って「勉学の時に遊ぶことを考えるな」と教えることが必要だったのだが、ユルヴェストルにしてみればそんなことに労力を使う意味がわからず、眠っている間に勝手に彼らの脳内に『思考の引き出し』を勝手に作って精神的に支配することに成功した。

それによって得られたものは──『思考を管理されたニンゲンは人間でなくなる』という教訓である。

もちろんその管理時代を難なく馴染んで適切に学び、師を越えられぬまでも『偉大なる魔法使い』となった者も数人はいた。

しかしそれは数百人のうちの一人ぐらいの非効率さで、半数ほどはただ『学んだが適性がなかった』と判明し、残りの弟子は廃人化してしまったために、今では『考えたり想像していることを視覚化する』程度の魔法として利用するだけにしている。

それを幼女にも施し、何を考えているのかわからないが楽しませたらいいだろうぐらいの気持だったのだが──

『そいつ、うごかないだろ?』

「……そうだねぇ」

『だからって、なぁんにもかんじないわけじゃないんだぜ』

「ふむ……」

『ねてるときにさ、「ごめしゃ」っていうんだぜ。いみわかんないけど。で、「ううう」っていってうごくと、びくってしておきて、またうごかなくなる』

「それはどんな時?」

『え?しらね』

「しらね?」

『うん。おれ、しらね。かってになるんだもん、そいつ』

「もうちょっとわかりやすく説明してほしいな……君、人狼族だよね?」

『うん。るぅがるーとかいうの。でもひとりになった』

「……ずいぶん遠くから来たんだね」

『そう?ずっとあるいて、なんかしょっぱいみずのなかにはいったらうごくいえにのせてもらって、ずっといっしょにいて、いなくなったからまたあるいてた。でもとうちゃんもかあちゃんもにいちゃんたちもいない』

「ふむ……ここは君の住んでいた土地とはずいぶん離れてしまったからね。ひょっとしたらもういないかも」

『そうなの?まあいっか』

「いいんだ。それならよかった」

『よかった?』

ずっと人間の言葉を喋るユルヴェストルと、ガウガウグルルキュゥ~ンと様々な鳴き声で答える『コレ』と呼ばれた黒い毛並みの獣に反応することなく、幼女はずっと黙って瞬きと浅い呼吸だけを繰り返している。

この状態にも反応しないかとユルヴェストルはまた先ほどと同じように顎を撫でながら、もう一度彼女の思考が読み取れないかと頭に手をかざしてみた。


……すいた


ほんの微かに、生存本能だけが手のひらに伝わる。

もしやと思い、ピクリとも動かない幼い子供にそっと声を掛けてみた。

「……朝ご飯は、まだかな?」

だが反応はない。

『あー。そいつ、にくたべない』

「肉を食べない?他の物は?」

『しらない。おれがとってきたにくたべたら、げぇってはいて、しにかけた』

人狼族である『コレ』が取ってきたというのは、おそらく『獲ってきた』という生肉のことだろう。

ユルヴェストルは『ニンゲン』は生肉を食べないものだと知っているが、人狼族は逆に火を入れた物を食べたことがないはずだ。

「この子は『ニンゲン』だからね。君とは違う」

『え?そうなの?でも、うごくいえのニンゲンはさかなをそのままくってた』

「魚か……」

ひょっとしてこの子供は野菜しか食べないのかなと思いそうになったが、ユルヴェストルの呟きにわずかに体が反応した。

『肉』と『魚』という単語に反応したらしい。

「……魚を食べますか?」

ふわりと手のひらを反すと、そこには焼き立ての切り身の魚。

「それとも、お肉が好きですか?」

もう片方の手にも、香ばしい匂いと共に焦げ目のついた厚い肉。

さっきまで動こうとしなかった幼女の目が見開かれ、鼻の穴が膨らむ。

しかし幼い魂が極限の飢餓を訴えているのに、声は出ず、体も動かない。

代わりに──

『おれ!おれ!おれ!くれ!!』

「黙りなさい。まずは、この子からです」

突然現れた『とてもいい匂いのする食べ物』を本能的の赴くままに寄こせと飛びついてきた『コレ』を魔法で拘束し、ユルヴェストルは何か感じたことのない冷たい怒りを内に秘めて、いまだに両方の手にある『食べ物』を見つめたまま動かない幼女に向かい合った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る