短編

1 憧れの女の子

 ウィルメット校長は噂通りの長話で、退屈な時間はなかなか終わらない。隣のルリアでさえも何か違うことを考えて気を紛らわせているようだ。彼女は学年随一の優等生で、私の憧れなのだけど、つい緊張して上手く話すことができない。


 16歳の誕生日を迎えて、両親からはずっと欲しかったワンピースを、村長からは紫の魔法石を埋めた魔導書をもらった。この地域の慣わしで、魔法使いを目指す者に渡されるのだ。ただ、上手く使えるようになるにはまだ鍛錬が足りなくて、結局引き出しの奥にしまっておくのである。


 エトーレ・ルリアとの接点は、同じ水魔法使いとして週に一度、隣で講義を受けるだけである。同じクラスだけれど、話しかけたことはない。


「今日は実習です。隣に座っている者とペアになって、行ってください」


 先生は背の高い老婦人といった感じだ。それに、アイビーの名はその成果がたびたび新聞に書かれるほど著名な魔法研究者である。その天才ぶりのわりには、生徒たちを分け隔てなく可愛がる温和な性格で人気だ。


 アイビー先生が指示するのは、数週間にわたって説明された水固有魔法を行使するというものだった。その最も簡単なものは、集水魔法で、つまりそれを試しにやってみろという話である。


「あなたからみたいよ。ネイトさん」


「うん、ごめん。準備ができたら言って欲しい」


「いつでも大丈夫」


 あくまでも落ち着いているルリアに対して、私は憧れの優等生の前で杖を構え魔法を行使するという初めてに動揺していた。


 準備というは防御魔法のことで、暴走して大事にならぬようにと構えるものだ。他の授業ではおぼつかない防御魔法に冷や汗をかくこともあった。だがルリアの魔法に、そんな心配は一抹たりとも存在しない。


 それに、集水魔法が暴走することなど、万に一つもないのだ。教室中で同じ魔法を使っているから、誰もがちょろちょろとわずかな水を手元に現すだけ。


「じゃあ次は私ね」


「いつでもいいよ」


 と言ったがそんなことはなかった。まだ慣れない防御魔法を完成させるには、わずかだが短くない時間を要する。ルリアはそのわずかな時間を超えて、即座に、集水魔法を放った。


 彼女が杖を構えるのに気づいたころには、すでに私の制服の前面は、例外なくびっしょりと濡れていた。ごめんなさいの声は私からではなく、ルリアからで、焦る姿は優等生らしからぬ、同じクラスの女の子に違いなかった。


 教室中の誰もが私の方を見ていた。制服が濡れたらここが透けるんだ、と他人事のような言葉が浮かぶ。私が無言でいるから、ルリアは自分の着る上物を脱いで、私の背中にかけてくれる。


「どうってことはない」とすぐに言えなかった。ルリアにそんな顔をさせたくなかった。でも、私はまだわけがわからないでいた。そんなんじゃ、憧れにはなれないのに。


 アイビー先生がこちらに来た。私の胸の辺りに杖を向ける。濡れた布からはいでる小さな生き物のように、水滴が現れて、そして消えた。


「このような使い方もできるのですよ。ルリアさん」


「ジャケット、ありがとう。あと、ごめんなさい。私が適当な返事をしてしまったせいだから」


 ルリアのジャケットは、まさに優等生の香りがした。一瞬でもそれを纏うことができたのが嬉しい。


 ルリアは何かいいたげだったけれど、アイビー先生は教壇に戻って話を進めようとする。


 授業が終わりそれぞれの教室に戻るとき、ルリアが早足でこちらに近づいてきた。ネイトさん、と私を呼ぶ声だけでなんだか嬉しい。


「さっきは本当にごめんなさい。これがもし、危険な魔法であったらと思うと、どうしたらいいかわからないわ。だからせめて、なにかお詫びをしたいの」


 遠慮するのは失礼だと、ルリアの表情を見ればわかる。


「今度の休みの日に、一緒に遊びたい」


 プレゼントにもらった水色のワンピースは、いざ実際に着てみると思いのほか可愛すぎる。スタンドミラーの私はいつになくいい笑顔をしていると思ったから、気にならなくなって家を飛び出した。


 ルリアは大きな帽子をかぶって、まるで人形のように着こなすけれど、今更驚くようなことではなかった。胸元のリボンが私に気づいたときに揺れる。綺麗に整えられた髪は学校のそれとは違って、ますます可愛い。


 私が提案したのは、新しい杖を選ぶことだ。学校から新たに与えられる杖は、スペックこそ一律だが、デザインは数百種類にも及ぶ。街にはたくさんの杖屋があって、それを見て回るだけでも1日があっという間に過ぎていく。


 めぼしい3店舗を順々に回っていく。「これが可愛い」「こっちも好きよ」と、最後まで決め切ることはなかった。途中、昼食をとっているとき、「同じものにしないか」という話になった。けれど、なにか違った。その気持ちは二人とも同じだった。


 日が落ちかけたころ、はずれにひとつ、雰囲気の違う杖屋を見つけた。ダークウッドを使った建材と立地が相まって、重々しい空気を漂わせている。


 二人は慣れない服で、日中散々はしゃいでいたから疲れていた。でも、冒険心はさらに燃え上がるばかりだ。行ってみようと、すでに私たちは意気投合していた。


 おそるおそるドアを開いてみると、老婆の店主と話す、ウィルメット校長の姿があった。


「中央魔法学校の生徒かね?」


 開口一番、そんな言葉を放った。なにか悪いことをしたのではないかと考えを巡らせてしまう。


「そうです。よくお分かりになりましたね」


「ルリア君のことはよく耳にしているよ。それにネイト君、だったかな。以前一度だけ直接話したことがあるんだ。きっと、覚えていないだろうけどね」


 私には心当たりがない。入学より前、ずっと小さい頃のことだろうか。でも、そんな話はすぐに終わった。


「杖の装飾を見に来たんだろう? ほらウィルメット、どきな」


 今まで訪れたどの杖屋でも、デザインを決めに来たのだと説明しなければ、全く買うつもりのない客だと不審がられた。この店主はそんなことを言わずとも、標本のように並べられた杖たちを見せてくれた。それは装飾を纏いショーケースの中で踊っているように見える。


 杖の装飾は多くの場合、精密な木彫りや研磨によって施されるものだ。ちょうど前腕くらいが基本の長さとされていて、それだけでなく、太さも性能に関わってくる。だからこそ、魔法使いごとに、デザインさえも異なって然るべきものなのだ。とはいえオーダーメイドは一人前になってからの話だ。だからできるだけ、自分に合うものを探す。


「学校配給の杖は装飾の自由さに限界がある。だから決まって値段の安いものにしてしまいがちだと聞いた」


 実際そうだ。本来は杖にはお金をかけるもので、もう少し背を伸ばせても、安物の装飾に落ち着いてしまうのがオチだ。だからせめて、一緒に決めたかった。


「だがここには『色』がある。全ての杖に、あるべき色を与えている。ものによっては魔法石を埋め込んでいる」


 杖屋が一番儲かるのは、希少性のある杖を売った時か、奇抜な装飾を請け負った時。だから、魔法学校の生徒に対してこだわるなんて非効率的だ。


 素朴な曲線の木彫りに、くすみのある青を、わずかに加える。持ちやすいように削られた箇所に、美しい花の絵柄を入れる。小さな工夫が、魅力に思える。


「私は、この杖をルリアさんに持って欲しい」


 私は指差して、おかしなことを言っていると思った。自分の杖を決めに来たはずなのだ。彼女の出す水魔法は、密かに、誰よりも近くで見てきていたつもりだったから。これからも、見ていたいと、伝えたかったから。


「うん。これにするよ。気に入った」


 ガラスケースに入った見本を実際に持つことはできない。だから、ルリアが持つ姿を見ることができるのは、少し先になる。


「ネイトさん、あなたのは、私が決めてもいいのかしら?」


 そんなの、願ってもみないことだ。


「私にこの青をくれたように、ネイトさんには、この水色が似合うと思うの」


 これは私が着るワンピースとは少し違うものだ。ルリアの目を通して感じる、私の色。そんなたいそうなものだとは思っていないだろうけれど、私にとってはそう感じられる。


「ありがとう。ルリアさんとお揃いのお花が描いてあるよ」


 そうね、とルリアは笑った。それは満開に咲くカーネーションのように優雅で、とてつもなく美しい。


 夜も遅くなって、ウィルメット校長とともに帰路に就いた。


「昔お話ししたことがあるのは、本当ですか?」


「お兄さんが10歳になって、魔法学校の入学試験に挑んだときだ。ちょうどそのときに、私はこの学校に赴任したんだよ。ずいぶんと学校に興味を持っているふうだったから、話しかけてみたんだ」


「そうだったんですね。あまり覚えてはいないです」


「大したことは話していないからね。だがこうして今、君は魔法使いになるべく研鑽しているをみるに、私もこの学校の校長を務めてきた甲斐があるというものだよ」


 ウィルメット校長は物腰こそ柔らかいけれど、アイビー先生と似たふうであって、実力は並のものでは計り知れない。長いローブを身につけて、いかにも強い魔法使いのオーラを纏っている。彼はもうすぐ生まれる孫の話もした。


「ルリア君のように堅実に、ネイト君のようにまっすぐと育ってほしい」


 と、ただただ彼は願うのである。


「ユーン。寝ちゃだめよ」


「うん……」


 ウィルメット校長はいつも通りの長話で、退屈な時間は終わらない。でも隣には、名前で呼んでくれるエトーレがいる。ふと彼の言葉に耳を傾けてみる。


「……というように、私はみなさんがよい魔法使いになるために日々試行錯誤しています。そしてみなさんは、よい友人とともに、日々を楽しんでください。それがきっと、かけがえのない財産となって一生を支えてくれることになるのです」

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