第4話 図書館の女

 それは人狼――というには獣でもなく、人でもない。まるでなにかの出来損ないのような奇怪な姿をした怪物だった。

 血走った眼差しで部屋を物色し、一瞬、驚いたような素振りを見せたが、その眼がユクシーを捕らえると即座に彼に向かって突進を開始した。


「俺かよ!?」


 あわててバルコニーに飛びだしたユクシーは、そのまま手すりを飛び越えて外に降りようとしたが、ここは三階。土壇場で手すりをつかんで勢いを殺すと、そのまま階下のバルコニーに転がり込んだ。

 人狼はユクシーを追って跳びだし、同じように手すりをつかんで飛び越えようとしたが、その瞬間、腕にアルフィンの放った鞭が絡みついた。


「ギャンッ!」


 アルフィンが思いきり鞭を引っ張り、バランスを崩した人狼は腕を伸ばしたまま落下し、手すりに腕を叩きつけた。伸ばした腕に全体重がかかり、しかも落下の勢いまで加わったのだから堪らない。あらぬ方向に腕が曲がり、人狼は地面に叩きつけられた。

 すかさずユクシーは二階のバルコニーの手すりに足を掛けて弓を構えたが、地面に墜ちた人狼の姿はどこにもなく、通りには驚き上を見上げる人々の姿だけしか見えなかった。


「腕を折ったか痛めたかしただろうに……逃げ足が速い奴だね……」

「本当になにしにきたんすかね……。ただ顔見せするだけで行っちまって」

「判断が速い奴なんだろうね」


 三階のバルコニーから下を覗き見たバレンシアはそうもらしたが、感心してばかりはいられない。


「逃げられた以上、アイツを差し向けた奴に私らの情報が筒抜けになるね。さっさと次に行くよ。ユクシー!」


 戻ってきたユクシーは承知したというようにポーチから一枚の書類を引っ張り出した。


「図書館の利用申請はしてある。さっさと行こう」


 ここに留まっていてもなにひとつ良いことは無い。そう判断したバレンシアたちは、国立図書館に向かった。

 クラウツェン国立図書館は、やはり遺跡の上に作られた図書館である。文献などを貯蔵していた遺跡をそのまま下地にして上に建物を作ったものであり、古代超帝国時代の資料の保持数は、エタニア帝国図書館を抜いて首位に位置すると豪語していた。

 そんな図書館だけに利用制限が厳しく、利用申請をして許可を得たら、大金を払って利用することになる。

 アルフィンはその利用料金の高さに眉根を寄せ、渋々と料金を払ったことは言うまでも無い。


「私とアルフィン、ボブが調べている間、ユクシーとランディは周囲を警戒すること。仕事を忘れてダベってたら後でお仕置きだからね」


 二手に分かれ、ユクシーとランディの二人が周囲の警戒に当たっている間に、他の三人は古代帝国の辞書を引っ張り出し、求める謎の言葉を探し始めた。

 それは、あのマイス遺跡で見つけた文献に刻まれていた言葉だった。


 ――マイオル・クゥアム・プロ・ホミネ――


 それが求める言葉だった。

 文献の中にたびたびその言葉が出てくるのだが、それがどういう意味なのか分からない。どうやら、あの研究所(マイス遺跡)にいた研究者たちは、〝大変動〟以前はそれを追い求めているようだった。それこそが〝虚無の魔物〟に対する対策のようであり、出現するドラゴンたちとの戦いの切り札として考えられていたらしい。

 それを作り出すことが叶わなかったのか、あるいは量産が可能な戦力確保が優先されたのか、ある時期を境にその言葉で出てこなくなり、代わりにバジュラムが登場してきた。

 つまり、その〝マイオル・クゥアム・プロ・ホミネ〟という物は、バジュラムを超える兵器ということになる。現物がなかったとしても、その設計図なり武装なりが手に入れば相当な戦力増強が叶うため、バレンシアたちはバジュラムの修理拠点を探しつつ、それを追うことを決めていた。

 問題はそれがどんな意味なのか……だった。

 せめてどんな意味の言葉なのかさえ分かれば、それを追いやすくなる。

 そう思い、危険を承知でクラウツェンの図書館にやってきたのだった。


 だが、言葉の辞書を調べれば調べるほど、それがなんなのか分からなくなってきた。


「あった……。でも、なんなの……コレ……?」

「どれ……超人……? いったいどういうことなんだい?」

「なにかを超越した人のことを指す言葉みたいだけど……。そんなものを作っていたってこと?」


 問題の〝マイオル・クゥアム・プロ・ホミネ〟とは、現代の言葉に訳すと〝超人〟あるいは〝超越者〟という意味だった。


「じゃあ、兵器じゃないってことかい?」

「分からないのだ。そういう名称の物かもしれないのだ」

「そうか……。そういう名前をつけられたフォートレスの可能性もあるのか……」


 三人が頭を寄せ合って考えている間、警戒に当たっていたランディとユクシーはヒマを持て余していた。

 周辺警戒と言っても、調べ物用の机が置かれている部屋は見通しもよく、人が隠れる場所は机の下くらいしかない。書庫はこの部屋にはなく、わざわざ司書に申し出て書庫から出してきてもらうシステムになっていた。


「おい、ユクシー。お前、あの人狼に心当たりはないのか?」

「ない……というより、あり過ぎて困る……」

「そうか……」


 先行調査で乗り込んできている間に、潜んでいた蛇の尾を踏んだ可能性もある。あるいは、以前のバジュラムとの戦いで被害にあった人間が見当違いの報復をかけてきた可能性もある。

 可能性を数え上げようとした矢先、ユクシーの目の前の空間が揺らぎ、いきなり人が現れた。咄嗟にユクシーは腰の小剣に、ランディは懐の銃に手を伸ばした。


「ああ、敵意はありませんよ」


 現れた者は、柔らかい口調でそう説明し、両手を開いて見せた。

 身長は一九〇センチほどでひょろりとした細身の女性だった。肌の色は灰白色であり、頭部には山羊のような小さな角が生えていた。


「魔族……か……」

「はい。わたくしはマリアネラと申します。ユクシー様とお見受けしましたが、間違いありませんか?」

「そうだ……と言ったら?」


 自分の名を知る魔族の女の登場に、ユクシーは警戒の色を強めた。

 ユクシーはネビルのように各地で勇名を馳せた存在じゃない。名前が周囲に知れたとするなら、それはあのバジュラム戦によってであり、そこに関わってくる人間にロクな奴はいないという認識があった。


「貴方と取引がしたいのです」

「へえ……どんな?」

「貴方が見つけたあの破滅の剣をお譲り願いたい」

「そりゃ無理だ」


 ユクシーの即答にマリアネラは不思議そうに首を傾げた。


「なぜですか?」

「俺のパーティのリーダーはネビルだ。ネビルの判断がなきゃそんなことに返事はできないし、あの剣は俺たちのパーティの物ってわけでもない。一緒に見つけたバレンシアにも所有権がある」


 ユクシーの説明に、ランディは満足そうに大きく頷いて見せた。


「ついでに言うと探索の出資者はカダス商会の商会長で、ケープ・シェルの議員だ。つまり、ケープ・シェルも何パーセントかは所有権を持っていることになる」

「だが、使っているのは貴方だ。貴方の一存で、決めることはできるはずです。なんでしたら、ヴァル・カナスで支払いをしても構いません」


 ヴァル・カナスという言葉にランディが思わず口笛を吹いた。

 それは古代超帝国時代の特殊金属であり、現在では製錬方法が分かっていないため、金よりも高価な金属だった。


「なにを持ち出されても譲れないものは譲れない。帰ってくれ」

「力尽くで奪え……と?」


 女は不敵というよりも妖艶な笑みを口元に浮かべた。

 なにかしらの魔術を仕掛けてくる可能性が高いとユクシーとランディは身構えた時、いきなり部屋に銃声が轟いた。


「なん……」


 銃声にユクシーが振り返ると、机の上に立って銃を天井に向けたバレンシアがこちらを睨んでいた。


「図書館では静かにしろって習わなかったかい? 非常識な女だね」


 いきなり図書館で銃をぶっ放す女に非常識呼ばわりされたら心外の極みだろう。だがそのバレンシアの行動に毒気を抜かれたか、マリアネラは小さくため息をつき艶然と微笑んで見せた。


「横恋慕が入ったようなので、本日はこれにて失礼させていただきます。では、また」


 そう言うが早いか再び空間が揺らぎ、マリアネラは姿を消していた。


「なんだいあの非常識な女は?」

「さてね……。いきなり現れて剣を寄こせって交渉してきた。それにしても図書館で銃を使うことはないだろ?」

「空砲だよ。気にしない気にしない。それにしても……何者だろうね」

「名前から察すると、ドゥーフ王国の魔族っぽいのだ」

「諸島王国の……」


 また余計な奴が首を突っ込んできた。その場に居合わせた全員が顔を見合わせ、同じように深いため息をついた。

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