おいシいかわいいオイカワさん
打門デナ
第1話 人間はかわいいものには勝てない
高校に入学して数日後、クラスにどうしても気になる女子がいた。
更にその日は、その子と日直当番という、放課後の教室で丁度ふたりきりになるチャンスまで得ていた。――現代の日本で、こんな状況に陥る男子高校生は、きっとそうそういないだろう。だから思い切って、聞いてみた。
「ええと、本日も一人お休みの方がおりますね。長谷さん……っと」
「あのさ、オイカワさん」
「はーい?」
机を挟んで、目の前のオイカワさんが、さらさらと日直簿を書き進めている。可愛らしいなんてものではない。どれだけ遠くからでも、にこっと微笑むだけで相手を一発で恋に落とす事ができそうなくらい、頭から爪先まで、とんでもなく完璧な造形をお持ちのクラスメイト。
そのオイカワさんに、今日一日ずっと、どうしても聞きたくて仕方が無かったことを、――思い切って、投げてみる。
「……昨日まで、このクラスにいなかった、……ですよね?」
オイカワさんの手が、ぴたり、と止まった。穏やかに日直簿に落とされていた目線が、強い驚きを持って俺の顔へと上がってくる。
「……飯良さん」
「は、はい」
やや強張った響きで、俺の名前を告げられる。ただ苗字を呼ばれただけなのに、心臓が跳ね、必要以上に全身に緊張が走りだす。――さあ、オイカワさんはどう出てくるか……などとこちらが反応を伺う間もなく、すぐさま目の前のその可愛らしいお顔に、歓喜がはじけた。
「そぉぉうなのデスっ! よくぞ気付いてくれまシたっ! 実は私は地球外から、ニンゲンさまの研究をするためにやってきた生命体なのデスよっ!」
「うぇぃっ……!?」
……想定していなかった反応が、返ってきてしまった。
ここはとある都内の、高校1年の教室。所属生徒数30名、縦5×横6名という余りの無い並びで構成されていた、はずだったところに、今朝から窓際後ろにしれっと1席はみ出して、オイカワさんが存在していたのだ。
人数的にもおかしかったが、そもそもオイカワさんのような女子がいたなら、俺は間違いなく認識出来ていたはずだ。その上で断言できる、オイカワさんは昨日までは、こんなところにいなかったのだ。
しかし、先生も同級生も誰も何も指摘しない。もちろん見えないわけではなく、オイカワさんはさも以前からいたように、クラス内外に和気藹々と馴染んでいる。
どうやらこの違和感を覚えているのは俺だけらしい、と気付いてから、朝から気になって気になって仕方がなかったのだ。……とはいえ、そんなSFみたいなことがあるわけがない。
きっとオイカワさん本人に聞けば、え、何言ってるのそんなことないよ~~程度の返事が返ってくるだろう。そうしたらこっちも、そうだよねごめんね、と納得して終わらせることができる。
それだけのつもりで聞いたのに、まさかこんなにも意気揚々と肯定されるなんて、正直予定外だった。……あれ、これどうしよう……話ちゃんと着地出来るかな……?
「いや~~、星間の法律で『地球においてニンゲンさまの研究をする場合、絶対に自分から名乗り出てはならない』というものがありまシて。ニンゲンさまのほうから、自然に気が付いてもらわないと、研究の協力依頼が出来ないのデスよねぇ」
戸惑う俺に向かって、オイカワさんがさらさらと説明を始めてきた。内容は突拍子もないが、目の前で身振り手振りも豊かに語るのは、どう見ても当高校の制服を着た、大変可愛らしい女子でしかない。話すお声も滅茶苦茶とびきり耳にやさしい。時々イントネーションがおかしい気がするが、それすらチャームポイントになり得るくらいに素晴らしい。この点は確かに地球外レベルと言ってもいいかもしれない。
今の所、可愛すぎる点と、急に変な事を言い出した点以外は、普通に年相応の女子にしか見えない。外観的には、変な角とか羽根とか尻尾とかが生えている訳でもないし。まだここまでは、中学中盤頃に患いがちな病を引きずった、一般的な日本人である可能性はおおいにある。
でも、昨日までオイカワさんが居なかったのは、俺の記憶では確かなのだ。ここはひとつ、オイカワさんの話に同調してみる。
「地球外の生命体……ですか?」
「はいっ、飯良さんが気付いてくれて、ほんとぉぉうによかったデス! ……あっすみません、名乗り遅れまシたね。私は譏滄俣鬟滓侭遐皮ゥカ繧サ繝ウ繧ソ繝シに所属の鄒主袖縺励>逧ョと申シます」
「……んっ!?」
いきなり、三次元から乖離した言語が飛んできた。……落ち着け、地球外っぽさの演出かも知れない。これくらいならまだ、一般的にネット界に住まいし「漆黒の堕天使(ダークエンジェル)」でも対応できる範囲だ。
「ああっ、ごめんなさい。そーでシた、ここは地球の日本デスものね。固有名詞も併せないといけませんデスね」
オイカワさんは、んー、とかわいく小首をかしげ、発音を確認するように呟いてから、改めて話し出す。
「私の所属する組織は、星間食料研究センター、という感じデスね、こちらの言語に合わせますと。そこで、ニンゲンさまの魂の価値を向上させる研究をさせて頂いております。地球に調査にくるにあたってこの姿を取らせて頂き、オイカワ、と申シております」
「オイカワ……さん」
「そーデスっ、お気軽にお呼びくださいデスよ」
微笑むオイカワさんには、一切の悪気は無さそうではあった。じゃあ何でその姿で、その名前なのかと突っ込みたい所は多い。
「魂の価値の、……研究?」
「はい、ニンゲンのみなさまにも大きなメリットがある、重要な研究を行う事になりまシて、検証にご協力くださるニンゲンさまを探シに来たのデス。これもご縁ということでっ、ぜひともご協力いただけないでシょうかっ!」
「え、俺が……ですか?」
何か想像していなかった展開に話が進みつつある……!? 可愛い女子に巻き込まれて、やれやれ俺はそんなつもりじゃないのにが出来るパターンなのかもしれないが、いやでも、しかし……
「そうデス、飯野さんなら対象とシて、ばっちりなのデスよ。どうデスか?」
「や……その、ええと……」
「あ、私が地球外から来たと信じてもらえてないデスか。そうデスよね、ニンゲンのみなさまは、地球外の星間生命体とは交流がないので、無理もないデスよね」
はたしてこれは関わってもいい話なのかどうなのか、脳内が目まぐるしく回っているところに、オイカワさんがうんうん、と頷き、ふと立ち上がった。
「う、うーんまあ、オイカワさん、人間にしか見えないし……」
「ふふふ、地球でこの研究をするために、ニンゲンさまに合わせて完璧に造形シておりますからねっ」
オイカワさんがどやっ、という具合に両手を腰に当て、胸を張った。動きに合わせてやわらかく揺れる髪、健康的な艶の肌、バランスの取れた四肢。最近よく見るAI絵のような、手指の数や関節がおかしいとか、髪と衣服が同化しているというような不自然さもまったくない。どこからどう見ても、地球上に存在する、かわいい女子高生にしか見えない。
「まあまあご安心くださいっ! こんなときのために、ニンゲンのみなさまから信用を一発で得ることができる、はるか昔から用いられてきた手順があるのデスよっ」
「え、オイカワさんが地球外の生命体って証明できるんですか……?」
そんなことどうやって――などと思う間もなく、オイカワさんはどこからともなくカッターを取り出し、その切れ味よさそうな先端を、大変スムーズに細く白い左手首に当てて――いやいやいや待て待て待て何なになに!?
「いっっやちょっな待っっっオイカワさぁぁあえええっっ!?」
あまりの展開に、言葉になっていない叫びを腹の底から散らしつつ椅子と机を跳ね飛ばしながら立ち上がり、大慌てでオイカワさんの手からカッターを弾き飛ばした。完っ全に、反射のみで身体が動いていた。
――からからからかつーん、と、カッターはくるくる回転しながら教室の床を滑ってゆき、……お、オイカワさんはっ――ぎ、ギリギリでなんとか手首は無傷だ……! あ、あああ焦った……!
「なっななな、なにしてっ……!?」
「や、地球外生命体だと地球のニンゲンさまに信用シていただくには、身体から青い血液を流シてみせるという手順がありまシて。これが一番手軽で受け入れて頂きやすいと、星間では一般的なのデスよ」
「そんな定番聞いた事無いですね!?」
「――はっ……ここは地球は地球でも、日本でシたねっ……! そうでシた、大変失礼致すところでシた。日本においては、伝統のハラキリというシステムを適応すべきでシ……」
「違う違うちがうそうじゃあないいぃぃんですぅぅううう」
どこからともなく日本刀を取り出し、あざやかな動きで振りかざ――そうとするオイカワさんを両手で掴んで必死で止め、日本刀をお仕舞い頂いた。いや、どこからともなく日本刀って何なん?
「ううん、でもそれでは飯野さんに……地球外生命体だと信用シて頂けません……」
「信じます信じますから、わかりましたから。ほんと痛そうなのはやめてください」
少なくとも、どこからともなく何かを出すという謎技術をお持ちだということは今見た通りなので、もう信じよう。オイカワさんは地球外から来た生命体だ。……この一般人離れした可愛らしい容姿、確かに地球外であってほしい。その方が、個人的には納得がいく。
「わあ、信じてくださるのデスねっ。……では改めてデスがっ、今回の研究にご協力頂ければ、飯野さんも今までの人生よりもっ、更にさらに幸福を得られる可能性があるのデスよ……! 悪い話ではないはずデス、どうかひとつ! お試シいただけませんか……!?」
今までの人生よりも、幸福に――
……正直、俺の今現在の状況は、普通よりも幸福度が高いとは……思っていない。この状態を、オイカワさんが何とかしてくれるのか。……何とか、できるのか。それには少しだけ、興味があった。
「その、もう少し詳しく教えて欲しいですかね……どういう研究なのか、とか」
「はいっ! 私の所属する譏滄俣鬟滓侭……失礼、研究機関ではデスね、ニンゲンさまの魂に関する、様々な研究をシている部門がございますっ。私も末席ながら、そちらで研究をさせていただいているのデス。ニンゲンさまの魂というものは、本当にほんとう~~に貴重なものデスからね、重要な研究対象なのデスよ」
「そ、そうなんですね?」
いまだに『人間の魂』とやらがなんなのか理解出来ていないので、これも褒められているのかなんなのか反応に困りつつ、勢いに押されて相槌を打つ。
「より幸福に生き抜いたニンゲンさまは、非常に質の良い魂をお持ちなのデス。なので我々の部門で、ニンゲンさまが幸福感を得る可能性が高い現象について仮説を立て、検証を行っているのデスよ。うまくいったものは実用化シて、ニンゲンさまには素晴らシい人生をお過ごシ頂き、よりよい魂を育てて頂こうということデスっ。今回もそのために、私はここに来たのデス」
「ほ、ほお……幸福感を」
「はいっ、質の良いニンゲンさまの魂は、美食家のなかでも大変評判がお高いデスからね~~。生でも煮ても焼いても美味シい! 高値で取引されるのも納得デスよ」
「……はい?」
「あ、ニンゲンのみなさまは魂を視覚も認識もできないので、そもそもご存知ないデスよね。ニンゲンさまが死にますと、身体から魂が抜けるのデスよ。それを我々が回収させて頂きまシて、ありがたく美味シくいただかせているのデスね~~」
「は!? 魂をっ……!? そっそんなの、誰に許可を取って――」
「きょか」
生き生きと語っていたオイカワさんが、まるで初めて聞いた単語に当たったかのように、ふいに勢いを止めた。きらきら輝く美しい瞳をぱちぱち瞬きし、それからふとした疑問を口にするかのようにごく悪気なく、俺に向かって言い放つ。
「ニンゲンのみなさまは、食物とシて採取、加工シている植物動物その他いろいろと、わざわざ個別に契約など取り交わシているのデスか?」
「え」
いやそのそれは……、と言葉に詰まったところに、オイカワさんの話は続く。
「そもそもニンゲンさまの魂は、ニンゲンのみなさまには視覚も認識も出来ない、つまりは無いも同然、不要物以前の存在のはずデスよね。それならば、私たちがニンゲンさまの死後、特に行先の無い魂をどうシたところで、ニンゲンさまを含めた地球上の環境には、一切の不利益はみられていないはずデスよ」
「う……ち、ちょっと待っ、待ってください」
そうかもしれないけど、そうなんだけど。ここであっさり、なるほどわかりましたと言ってはいけないような危機感に、目をぎゅっと瞑り、再び開いて――落ち着け、整理して考えよう。オイカワさんのペースに飲まれたら負けだ。
「えっと……魂、って、人間から発生している……ものではあるんです……よね?」
「そうデス。だからこそ、我々はニンゲンさまの尊厳を第一に考え、ご迷惑がかからないように最大限の配慮を行っております。星間の法規制で、回収シてもよい魂には制限が厳密に指定されているのデスよ」
「そうなんですか?」
「はい。魂の回収は『その天寿を全うシたニンゲン』から発生シたものに限る、と指定があるのデス。法整備以前は、魂欲シさに手っ取り早くニンゲンさまを殺シたり、ニンゲンさまが自死するように扇動シたり、わざとニンゲンさまに耐性の無い病原菌を撒いたり、そんな横着ものが横行シたのデスよね~~。うっかりニンゲンさまの個体数が激減シかけたので、当時迅速に法律が可決されたのデスよ」
さらっと言っておられますが、それは人間にとってご迷惑どころかめちゃくちゃヤバいのではないのか。しかもオイカワさんたちが法を作ったという理由も、人間が絶滅すると魂も取れなくなるからというだけで、別に人間を尊重したわけではないような……というか、もしかして歴史上の様々な災害や疫病や未解決事件って、これに起因している所があったんじゃ……
「まあ、いろいろありまシたが、それも昔の話。今は、ニンゲンさまには運命通りに人生を謳歌いただき、満足に寿命をお迎えいただく事ように、星間一同心から願っている訳デス。死後、ニンゲンの皆様が必要とシているのは、儀式を執り行うのに必要なための、肉体の方デスよね。そうであれば、私どもが魂の方をいただいていっても、何ら問題は無い、いわゆるお互いうぃんうぃんというものデスよ」
「う……ううん……?」
何か過去の話は勢いよく水に流されまくっているような、はたして人間側にwinが存在しているのか、検討し難いとんでもない理論だと、思ってはいる。しかしオイカワさんの話術、可愛さあまって説得力100倍というやつに、確かに、とか呟いてしまいそうになる。ここで納得してはいけない気がする、気はするのだが、何がどうダメなのか、自分が何に納得がいっていない気がするのか、うまく反論が出来ない。
――仕方ない、考え方を変えよう。オイカワさんはさっき、ニンゲンの尊厳は第一と言っていた。死んだ後に魂を取られるというなら、生きている間にこちらにメリットがあるのかを考えよう。
「え、ええと、オイカワさんの研究? ……、は人間の幸福度を上げたい、って話でしたよね?」
俺の質問に、ふふーんよく聞いてくれました!と言わんばかりに、オイカワさんが踏ん反り返った。
「そうデス、幸福を感じるということは、ニンゲンの皆様にとっても喜ばシいことのはず。利益の一致、両者にとって好都合、都合のいい関係というものデスよ」
「なんか最後だけおかしくないです?」
「今回の研究における、私の仮説を聞いて下さいっ。ニンゲンさまには、三大よっきゅんというものがございますよね」
「三大欲求の事ですかね……?」
「あっ多分それデス、食欲睡眠欲性欲の3つだと調べまシたっ。最初はこの欲求を断続的に満たすのが一番いいのではないかと仮定シて、眠らせた状態で性的な刺激を与えつつ、血管に栄養を送り続けるように実験……いや検証をと思ったのデスが、さすがにそこまでは法の目をかいくぐることが出来そうになくデスねえ」
「お、おおう……」
うっかり失敗エピソードのテンションで語られる、凄まじいディストピアに、それはもう人間から魂を回収するための工場……と脳をよぎったところで、無理矢理俺は考えるのをやめた。
「そこで私は考えたのデスっ。この三大よっきゅんは、人間が生きるために必要であるもの。ここにさらなる付加価値を与えることで、よりニンゲンさまは満ち足りまシて、幸福度が上がるのではないかと!」
「な、なるほど?」
「そこで検討シたのデスよっ。私の調査によりますと、ニンゲンさまには『お死活』というものが流行っているそうデスね」
「漢字それで合ってますかね……?」
「アイドルやスポーツ選手二次元キャラクターなどなど、格好いいもの可愛いものに、興奮や高揚を覚える習性があると。それはニンゲンさまの生活に彩りを与え、さらに高いレベルになると、己の食事や睡眠を削ってまで対象に投資するほど、陶酔出来る素晴らシい活動だそうデスね」
「あっはい……」
最初は間違っていなかった気がするが、後半が確かにお死活だった。
「まあ、流石にやりすぎると、生命に影響を及ぼすらシいので、ほどほどが一番ということデスよね。これを死活問題と呼ぶそうデスね」
「それは呼んでないかもしれません」
「さて、ここから導きまシた――『おいシくて且つかわいいものは、ニンゲンさまの幸福度に大きく寄与する』という仮定があるのデス!」
「ふむ……?」
案外まともな発想が出てきて、すこしびっくりしている。確かにキャラ弁とか、キャラクターとのコラボカフェとか、人気あるもんな。いや、またはかわいい子の手作りごはん、みたいなコンセプトカフェ的発想なんだろうか。どちらにしても、かわいいとおいしいのコラボレーション、それは確かに幸福かもしれない。
「それはまあ……確かにそうかもしれないですね……?」
「そうでシょう!? かわいい存在がおいシかったら、幸福度爆上がり間違いなシなのデス!」
「うんうん」
「だから――飯野さんに、このかっわいい私を、おいシく食べていただきたいのデスっ!」
「なるほ……いやなんでそうなりました!?」
プラスとプラスを掛け合わせたはずなのに、全力でマイナスの結論に導かれている……!? ていうか、どっち!? どっちの意味!? 日本国に生まれし男子からしたら、それはそういう意味合いを持つんですが、話の流れからするとそういう事ではないってことでいいのか!?
「どっどういうことでっ……えっ食べ……えっ!?」
「ん? そのまんまデスよ。わたしをおいシく食べていただきたい、ってことデス」
「あの……性的にじゃなくて、物理的にで……いや、性的でも物理なのか……え???」
「よくわからないのであれば、一度試シてみませんかっ。私もはやく実証シたくて、仕方がないのデスよ~~」
こっちが混乱している中、オイカワさんがにんまりと微笑み、仁王立ちでこちらを見下ろしてくる。黄金比のスタイル、すらっと伸びたまっすぐな脚。二次元ではさておき、三次元では稀有な存在に、あらためて――身体が震える。
「さあて、ニンゲンさまが普段家畜から摂取なさっているスタンダードな部位は、モモとかバラとか言うのでシたか。モモとは、ニンゲンで言うと脚のこの部分、デスかね」
オイカワさんが、細く白い指で制服のスカートを抓み、皮膚に沿いながらゆっくりとたくし上げていく。布の向こうから露わになってゆく太ももは、ほどよく引き締まり陶器のように滑らかで、内側から輝いているような艶めきがあり――……いやいやいやそんなこと考えてる場合じゃ、と慌てて目線を思いっきり逸らす。
「どうデスかっ。ニンゲンさまがお調べものをする際と同様に、ググってヤホってウィキペディって徹底的に調べ尽くシ、我ながら良い具合に造形できたと思うのデスよっ」
「インターネットで……調べたってことですか?」
「そうデス、日本に来るからには日本に沿って考えないとデスからね。日本において、かわいさで人気が高いとみられる容姿を参考にシているのデス」
「……そう、なんですね」
オイカワさんの今の容姿には、この日本のインターネットで検索された結果が、相違なく反映されている。……それは確かだと思った。
「んー、でも飯野さんにはあまり食指が動きませんデスかねぇ」
「い、いや……その……」
「あ、飯野さんはバラとかムネとかいう部位のほうがお好みデスかね。確かにやわらかくて、年齢問わず食べやすそうな箇所デスよね。ここだけ急に突起シているので、切り取りも容易そうデス」
「え、ちょっ」
勝手に納得したらしいオイカワさんは、おもむろにブレザーの上着を脱ぎ、止める間もなくリボンを外し、ブラウスのボタンを上からさくさくと外しだした。その扇情的な首元、鎖骨、胸元が、次々と解放されてゆき――
「オイカワさんっちょっとすみませんそのマジでやめっ……!?」
オイカワさんに背を向け顔を腕で覆い、全力で俺の視界には入っておりませんアピールをしながら、心と腹の底から叫んだ。もし本当にオイカワさんが地球外とやらからやってきた人間ではない生命体だとしても、この脱衣は研究のためであり一切そういう意味合いではないとしても、この状況で第三者が現れたら、現在の司法は俺を許すとは思えない……!
「あっ大丈夫デスよ、ニンゲンさまは、美味シいものには豪華なラッピングを施シて、より気分を高めることが幸福に繋がる、と学んでおります。私もばっちり対応シておりますよ~~。ちょっと見てみてください、大変可愛らシいデスよ」
「あ、そうなんで……す、か……っ!?」
こう言われて、てっきり何か可愛らしくも、布面積が十分に担保された衣装をお召しになっていると思って、……うっかり振り向いてしまったのが大間違いだった。そこにいたオイカワさんは、いや確かにやたら繊細かつ華やかな衣装を身に着けておりました、が、それはどこからどう見ても下着姿だった。
「んん~~~~いや……あの……!」
「どうデス~~、こちら日本で人気のあるコレクションだそうデスよ。きらきらシていて食欲をそそるのではないデスかね」
迅速に逸らしこそしたものの、やっぱり視界に入ってしまったそのお衣装は、男子高校生が知識として知っている程度の、一般的で健康的な下着類よりもはるかに線が細いものだった。面積を増しているはずの、華やかに飾られたフリルやレースや薄いひらひらした部分ですら、一切局部への防御力には関与しておらず、実に食欲以外の欲求を煽るものであった。下着というかコスチュームと形容した方が正しい気がする。もはや神々しくすらあるが、しかし高校の教室に存在していい姿では確実にない。
「そのっ……すすすみません、学校で下着姿はいろいろかなりマズいと言いますかっ……!」
「あれ、美味シくないのデスかね。それは残念デス……」
「いや違、マズいってそっちじゃなくてその、し、下着で外には出ないんですよ人間って!」
「でもニンゲンさまは、適温の液体が一定量以上溜まった場所で、見知らぬ同士で老若男女問わず大勢集まって、このような格好で液体に浸かっているではないデスか」
「みっ水着のことですかね……!? ええと……それは……あれ……? いやもうとにかく、一旦服を、せっ制服を、元通り着てくれませんかね!?」
「うーん、そうデスか? 判りまシた」
オイカワさんがどこか腑に落ちないという様子で、しかしもぞもぞと再び制服を着始めてくれた。……よかった、なんで似たような露出度なのに水着はよくて下着は駄目なんだと言われたら、正直俺もわからん。まあ……さっきのオイカワさんの格好だと、一般的な水着よりはるかに露出度は高かったけど……
「ううむ、ムネの造形も、一般的に広く好まれるという大きさと形状に拘った自信作なので、是非とも飯野さんにご賞味いただきたかったのデスが」
やばさしかない台詞をつぶやきながら、オイカワさんがしゅん、と項垂れる。その様子もやっぱりかわいいので、要求に沿えないこちらに遺憾なく罪悪感を植え付けてくる。
「あの……できればその……脱がずにどうにかなりませんかね?」
「なるほどわかりまシた、ではどのあたりがいいデスかねぇ。ああ、ニンゲンさまは外がぷちっとシて中がとろっとシたものを好まれると聞いたんデスよね。そうなると眼球とかデスかね、デザート感覚で」
「まっちょぉぉっっっ待て待て待っっっ」
オイカワさんが右手で、自身の眼球をわしっと掴んでひねり出し――そうになったところを、大慌てで手首をひっ掴んで引き戻す。
いや無理、無理だろこれ。俺自身がオイカワさんをという所もそうだが、ちょっと時間と手間をかけた所で、日本で受け入れられる風習では無いと思う。乱高下する心拍数をどうにか整えながら、オイカワさんの気を損ねることが無いよう、穏便に穏便に告げる。
「あああああの、えーとやっぱその、ちょっと……オイカワさんを? 食べる? というのは、精神的に難しいといいますか……」
「ええ~~そうデスかね? この仮説は、日本のとあるポピュラーな文献を読んで、これだと思って立てたものなのデスが」
「そんな邪悪な文献無いと思いますね……!?」
「いやいや、なんでも日本においては、国民が生まれたころから読み聞かせられ、現在まで長きにわたって映像化や立体化にテーマパーク化まで行われている、国家的に有名な文献と聞いているのデスよ。そこには仮説を裏付ける行動が頻繁に登場シており、皆喜んで食べておりまシたよ」
「いや……!? 俺はまったく覚えないですねっ……!?」
共食いによって幸福感を得るという、さもごくごく一部の琴線にしか触れなさそうなシチュエーションが幼少期から根付いているとか、俺の生きてきた世界線では考えられないんですが……!?
「うーん、ご存知な筈なのデスが。その文献の主人公は、自らの顔を千切って『ぼくの顔をお食べ』と分け与えることで、人々は空腹を満たシ幸福感を得ることが出来るということデス。国民的ヒーロー、その名もアンパ……」
「うわわっわかったわかりました! それ以上言わないで! それ以上いけないから!!」
オイカワさんから見たら、その解釈が間違っている訳ではないのかもしれない、が、ただ色々正しくはない! 何から何までいろいろ危ない! 危なすぎる!!
「それから、一定区間の年齢層の女性とみられる外観のニンゲンさまが『私を食べて★』というような台詞を発すると、主に一定以上の年齢の男性他が幸福を感じる傾向が高いという文献も複数観測されまシた。だから私も今回、偏差を考慮シた上で造形シてみたのデスよ」
「お、おう……」
「ニンゲンさまは食べるものに対シて、賞味期限という期間を設定シているのデスよね、それも考慮シています。日本では食品衛生法で『未熟であるものは販売や製造や調理をシてはならない(食品衛生法(昭和二十二年法律第二百三十三号)第二章 食品及び添加物 第六条の一より抜粋)』と定めているのデスよね」
いや急に日本の法律出てきた。さっきまでの謎根拠とのギャップよ。
「だからこれが下限にあたるのかなと思いまシて。且つ、上限については、性別が女性の場合はクリスマスケーキ論というものがあるという事で……」
「いや法律に対して上限の根拠が急に雑過ぎませんか……!? あとその論、いろんなところで滅茶苦茶燃えそうなので外でもWEBでも言わないほうがっ……!」
「まあ結果的に、その位の期間が最も食指を動かすには適シているのではないかと、考えた訳デスよ。どうデス、私も結構色々考えているでシょう? ちょっと食べてみる気になりませんデスかっ?」
「う……」
オイカワさんなりに、調査や検討をしているのは判った。その調査や検討が正しかったのかは難があるが。とは言っても、共食い……いやオイカワさんは人間じゃないというなら共食いではないのか……? オイカワさんなら共食いじゃないという説明に「ニンゲンさまは写真をプリントシたり、キャラクターなどを模シたフォルムの甘味などを喜んで食べているではないデスか。視覚情報に差はなくないデスか。それと同じデスよ」などと展開してきそうな気がする。
なんと説明して、穏便に諦めて頂けばいいのか……、そう返事に詰まっていると、オイカワさんがうーん、と難しい顔で溜息をついた。
「困りまシたね……私はこの説で、今回研究予算を取ってシまったのデスよ。研究予算というものは取るのもとっても大変デスが、……一回取れると撤回することはとても……とても難シく……」
何故かオイカワさんが「上司になんと説明すれば」「次やらかすと罰とシて壁に片足が埋まるように転移座標を設定される」などと頭を抱えだした。
「この方向性で研究を進めるには……今回は本題のプレステージと言い張って……ニンゲンさまが安心シて食料供給を受け入れることのできる条件検討が必要だとか押シきれば何とか……」
なにやらぶつぶつ思案を巡らせているらしいオイカワさんが、ふいに勢いよく顔をあげ――必死さを隠しもせず、救いを求めるように、俺の両手をきゅっと握った。
「それではデスねっ……、安心シて私を召シ上がるために、それが可能となる条件を検討する――そのような調査であれば、ご協力頂けませんデスかっ!?」
えっと……、それならつまり、俺がオイカワさんを食べる気分……いやなんだそれ……? とにかく、そんな気分になるまでは、普通に拒否していいってことなんだよな……? それならば、ひとまず俺は無理なく対応したほうが研究としては正しい成果も出るわけで、オイカワさんの役に立つことはできる……?
「お……お願いシますっ……!」
「う……」
目の前で瞳を潤ませる、地球外から来た人間ではないという生命体。と聞かされてはいるけれど――視覚的には、かわいい女子高生のクラスメイトにしか見えない相手が、俺の手を握り、あなたしかいないんですと頼み込んできているのだ。
「すみませんお願いシます、なんでもシますからっ!」
「うう……そういわれても……」
「あれ、日本ではこう言うと『今何でもするって言ったよね』というやり取りが発生シて、何だかんだで何とかなると見たのデスが」
「そんな文化はないですね……!」
ちょっとズレたかわいいひとが、健気に一所懸命がんばっている、……この状況で、無下に断れる男子高生がいるだろうか、いや……いるわけがない……!
所詮、人間は……、かわいいものには勝てないのだ……!!
「……わかりました、俺に出来る事なら」
「ほ……ほんとうデスかっ……! ありがとうございます!!」
「あの、何でもするとは言っていないですからね……! 食べられないものは食べられないと思うので……!」
「よかったデス……、やはり頼みごとをする際には、この一定の年齢層の女性の姿が効果的という説は本当なんデスねえっ……!」
それは間違ってはいないのかもしれないが、なんというかいろいろ物議を醸しそうな気がする……
「ちなみに『駆除対象が湧いて出たのでニンゲンさまご自身に処理頂こう』という類の依頼では、地球のなんらかの小動物に似せた生き物の姿を取るのが効果的なんデスよ。特に小中高校生という年代の女子を狙う場合、おまけでかわいいお衣装などを用意すると、より成約率がアップするのデスね」
「お、おお……」
再びにこにこうきうき、饒舌になるオイカワさんに――ひとつだけ、聞いておきたい事があった。
「あの、オイカワさんのその姿、インターネットを参照したんですよね」
「そうデスっ。私が調べた際、日本で奇跡のかわいさ、とマスコミミニコミ個人投稿にて、莫大な情報源を検知できた方を参照致シているのデスっ。どうデスっ、かわいいデスか?」
オイカワさんがくるっ、とその場で一回転すると、スカートが一拍遅れてふわりとひらめく。にこっと微笑みピースサインを示してくる姿は、……そう、オイカワさんが参照したであろう人物に、そっくりだった。
「……そうですね、かわいいです」
「ふふふふっ、飯野さんには明日から私に付き合ってもらいまシょう、飯野さんに、本物のオイカワさんってものを食べさせてあげますデスよ……!」
「いやまだ本物も偽物も食べたことないんですけど」
意気揚々とはりきるオイカワさんは、――あの人に、本当によく似ていた。
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