第6話 「第一話 成仏できないっ!」【第一話 最終話】 05話:そして私は絶叫する。
翌日。
私の姿は、都立大谷南高校の敷地の中にあった。
久しぶりに来た学校だった。
校庭の木々は青々と茂り、ときおり吹く強い風に枝があおられている。
日は高く今日は、気温も真夏並に上がりそうだった。
そんな中、私はいつもの冬服姿で歩いていた。
昇降口から校舎内に入り、階段を登る。そして、私が所属していた二年三組へと入っていった。
教室の中は英語の授業中だった。黒板を見ると長文の文法の問題が書かれていた。
……さすがに、ちょっとわからないな。
私は、わりかし英語は得意だったのだけれど二ヶ月のブランクは、やっぱりあなどれない。
書かれている内容の半分くらいしか読解できなかった。
そして、クラスメートの顔を見渡す。千佳、知美、梓、……そして亜季。
もちろん、みんなは幽霊の私に気がつかない。
私が机の間を素通りしても、なにごともなかったように黙々と教科書に向かっている。
私は、ある一点で目をとめた。
そこは私の席だった。
机の上に花瓶が置かれ、きれいな花が生けられている。
その鮮度から見て、毎日、誰かが手入れしてくれているのがわかった。
「ありがとう……」
私は涙が出そうなほどうれしかった。
クラスのみんなが、まだ私の存在を認めてくれているなによりの証だ。
私は自分の席に座った。
……この風景。ちっとも変わらなかった。二ヶ月前とまったく同じ視界が、そこにあった。
やがて、チャイムがなった。
午前の授業はここで終わりだ。昼食の用意を始めるクラスメートたちを横目に、私は席を離れた。
そして隣の四組へと歩いて行った。
四組でも、お弁当の時間が始まっていた。
みんなが机や椅子の向きを変え、めいめいに昼食を始めている。
私は入り口のドアのところでそれを見ていた。
すると万平くんが目に入った。万平くんは四人組で食事をしていた。
その中には大鷹くんも混じっていた。
「ちょっと……。ごめん」
私と目があった万平くんは、仲間たちに、そう声をかけて立ち上がった。
私は廊下に出て、万平くんを待った。
「……ちょっと、まずいことになった」
開口一番、万平くんが、そう私に告げた。
「まずいこと? なにそれ?」
私は万平くんに尋ねた。廊下には私たちの他には姿がなく、会話するのに支障はない。
「うん……」
万平くんは、簡潔かつ的確にまずいことを教えてくれた。それは、朝の下駄箱から始まったらしい。
万平くんはパソコンで印刷した手紙を大鷹くんの下駄箱に入れたという。
内容はもちろん昼休みに呼び出すものだ。
ところが先客がいたというのだ。
「僕が、下駄箱のふたを開けたら、すでに一通の手紙が入ってたんだ」
私はそのもう一通の手紙よりも下駄箱に入れるという古風な方法にまず驚いた。
今どき愛の告白にそんなやり方を……?
と思ったのだけど実際に万平くん以外にもしている人がいたのなら、
それはそれでこのやり方は今でも正しいのかもしれないな、と認識を改めた。
で、だ。
そして、万平くんが先客の差出人を確認しようとすると、
大鷹くんが登校してくる姿を認めてしまったので、
そのまま自分が書いた手紙を入れて立ち去ったというのだ。
「先に入ってた手紙? それはラブレターなの?」
「わからない。ただ、休み時間にそれとなく大鷹に話しかけたら、
二通とも昼休みに体育館の裏に来て欲しい、という内容だったんだって言うんだ」
「ええっ。……どうしよう」
私は動揺した。
よりによってダブルブッキングしてしまうなんて考えもしなかったのだ。
「……ただ、先客の方の内容はわからない。
そっちもパソコンで出力したみたいなんで、筆跡から男子か女子かの判断はできないみたいなんだ」
「どうか、男の人でありますように」
私は神様に祈ってみた。もし先客が女子だったら告白以外は想像できないからだ。
「でも、男の場合は、ちょっと、まずいんじゃない?」
万平くんが、そう言う。
「どうして?」
「うん。体育館の裏で男から呼び出しったら、暴力沙汰しか考えられない」
「……万平くん。それ、本気で言ってるの?」
私は、万平くんの顔をのぞき込む。
「……嘘。大鷹は他人からうらまれるようなヤツじゃない」
それは、そうだろう。
なんと言っても私が好きになった人だ。前から人柄はよく知っている。
彼は面倒見がいいお兄さんタイプで、笑顔がさわやかな人だ。
剣道以外で、険しい表情になったことを見たことがない。
「……だと、すると、男子からの告白とか?」
「万平くん!」
私はちょっときつくいった。すると万平くんは、ぺろりと舌を出す。
「ま、冗談は置いといて、これから、どうするかだね。史香さんはどうしたいと思ってる?」
私はキッと口を結ぶ。
「私は決行したいよ。もう決心したんだし」
そう、私の決意は固いのだ。もはや誰にも止められない。
「わかった。じゃあ、また後で」
万平くんは教室に戻った。
残された私は体育館へと向かう。約束の時間まで残りはあと少しなのだ。
やがて、到着した体育館の裏。辺りは木々が密集していて昼でも薄暗い。
私は木漏れ日が落ちた陽光のスポットライトのような明るい空間で、空を見上げた。
雲、ひとつない晴天だった。
「私は、あと少しで成仏する」
思わず、つぶやいていた。そして考える。
死後の世界は、どうなのだろう?
死んで戒名をもらったからと言っても、失礼ながら私はそれほど熱心な仏教信者じゃない。
だから天上界で蓮の池があって、そこでお釈迦様が、お待ちになっているとは思ってないし、
三途の川を渡って閻魔大王に裁判してもらうのも、ちょっと考えにくい。
ただ、存在が消えることだけが漠然とイメージできた。
きっと、風に流される砂細工のようにサラサラと形を崩していく。
そうなると万平くんのような特異体質の人からも見えない粒子になって消滅してしまうのだろう。
そんな風に考えていた。
「……史香さん」
万平くんの声が聞こえたので私の思考は中断された。
見ると、通学鞄を持った万平くんが辺りをうかがいながら近づいてくる。
私たちは、植え込みの陰にしゃがんで隠れた。
「これ、お願いね」
私は上着の下に隠し持っていた位牌を万平くんに手渡した。
万平くんは、それを鞄へとすぐさまにしまう。
これで準備は十分だった。後は大鷹くんを待つだけだ。
「待ち合わせの先客のことなんだけど時間の特定はできないの?」
私は万平くんに質問する。
「うーん。そこまで詳しくは訊けなかったんだ」
「そう。……じゃあ、出たとこ勝負ね」
私たちが、そう話していたときだった。
体育館の角を曲がって、辺りをきょろきょろしながら、こっちに向かってくる大鷹くんの姿が見えた。
「……あ、来ちゃったわ」
私の胸は、いきなり、どきどきし始めた。顔が、かあっと熱くなり、なんだか息も苦しい。
「……ど、どうしよう」
情けなかった。成仏の覚悟はできていた。だけど告白の心の準備はまだ全然みたいだ。
人を恋することが、こんなに苦しくて膝が震えるなんて知らなかった。
いや、忘れていたのだ。
私の視界には、もはや大鷹くんしか映っていない。
思考が停止する。一歩一歩近づいてくる胸が熱くなる恐怖。
「ま、万平くん。……やっぱり、延期しよ、中止しよ」
私の声は、かすれていた。そして、懇願するように万平くんの肩を揺すってしまう。
「史香さん。成仏するんじゃなかったの?」
万平くんが私を諭していた。その目は慈愛に満ちた暖かさがあった。
僕がいるから大丈夫、って語っていたのだ。
「……そ、そうだよね? うん。私は、思いを遂げて成仏する」
私は覚悟を決めた。どうせ一度は死んでいるんだ。
これ以上もこれ以下の結果もない。断られて心が砕かれても、
翌日から、どうやって顔を合わせればいいんだという毎日も、私にはないのだ。
……だったら、当たって砕けろだ。
――そのときだった。
「え……!」
大鷹くんの背後から、ひとりの少女が現れた。
そのシルエット。見覚えがあるなんてものじゃない。
「……あ、亜季」
亜季がその長い髪を風になびかせながら、うつむき加減でゆっくりと歩いてきたのだ。
少し自信なさげで、それでいて、覚悟を決めたような足取りでこちらへと向かって来る。
私は、瞬時に悟った。
亜季が好きになった人というのは、大鷹くんなのだ。
亜季と私は、肝胆相照らす仲なことから、私が大鷹くんが好きなのを知っていた。
なのに、亜季は大鷹くんを選んだ。
でも、……私には、それは裏切り行為とは思えなかった。なぜかと言えば、私は死人なのだ。
亜季はこの二ヶ月間苦しんだに違いない。たった二ヶ月。されど二ヶ月。
亜季は二ヶ月も待ってくれたのだ。
「亜季。……そうなんだよね?」
私は、ひとりつぶやいた。私は納得できたのだ。
亜季、がんばれ。がんばれ。私は草葉の陰からの応援だ。
そのときだった。
「……永井さん」
万平くんが、ぽつりとつぶやく。
……そうか。そうだよね。ごめんね。
私は、亜季のことだけを考えていた。
だけど、その亜季に好意を抱いているのは万平くんなのだ。
そして、その亜季が告白したい人は万平くんの親友である大鷹くん。
私は、今までにない複雑な心境に陥った。
なんてこんがらがった関係で、誰が誰を応援すればいいのか、わからなくなっていた。
「万平くん、あのね。……亜季は、私が大鷹くんのことを好きなのをずっと前から知ってたの」
「でも、史香さんが亡くなったから、告白することにしたんだね?」
「ううん。そうじゃない。
……ううん。そうなんだけど、きっと、亜季もずっと前から大鷹くんのことが好きだったのよ。
たぶん。きっと、間違いないわ。……だから、亜季は悩んでいたんだと思うの」
「永井さんなりに史香さんの喪が明けるまで、ってこと?」
「うん。きっと、そうなの。だから……」
私は、万平くんに申し訳なくなっていた。
亜季との仲を協力するなんて言っておきながら、それに応えることができないのだ。
「裏切ったのは私。悪いのは私なの。……だから……」
……だから、ごめんなさい。
私の最後の台詞は言葉にならなかった。私は万平くんをじっと見つめる。
怒鳴られてもいい。なじられてもいい。……ぶたれたってかまわない。
今の私はそのくらい万平くんに申し訳ない気持ちだった。
でも、万平くんの返事は私の予想とは大きく違っていた。
「あのね。史香さん。僕は永井さんにあこがれていたんだ。
確かに好きだったかもしれない。でも、現実的じゃないって思っていた」
「……?」
「僕はね、永井さんの前だと、なんにもしゃべることができないんだ。
だから永井さんが好きになったのが大鷹だったのが安心した。やつは、いいやつだよ……」
「そ、それって本心なの? 万平くんは、ホントにそれでいいの?」
「うーん。正直に言うと、やせ我慢」
そう言って、万平くんは笑顔を見せたのだ。
万平くんは作り笑顔のできない性格だ。ここ数日のつきあいだが私にはそれがわかる。
私は万平くんて、なんて気持ちが大物なんだろう、って思った。
親友の幸福のためなら、自分を捨てるのを厭わない。
これって、……義侠心? たぶん、そうなのだ。万平くんは、そういう男の子なんだと思う。
■
「あ、あのね。大鷹くん」
茂みの向こうで大鷹くんに追いついた亜季が、そう呼ぶのが聞こえた。
そして、驚いた顔で振り向く大鷹くんの表情も見て取れた。
「あ、あのね。私ね……」
亜季は、いつまでも話を切り出せないようだった。そんな亜季を大鷹くんは暖かい目で見下ろしている。
「お、大鷹くんのことがね……」
やっとのことで亜季は、そこまで告げた。
風が吹いて木々がざわめく。辺りに他の生徒の姿は見えないけれど、
もうまもなく昼休みが終わる時間だろう。
そしてこの機会を逸したら、亜季は二度と告白なんて大それた行動は取れないに違いない。
長年のつきあいがある私には、それが痛いほどわかってしまう。
「……じ、じれったいわねっ!!」
気がついたら、私は茂みから飛び出していた。
「亜季っ! コクるならしちゃいなさいよ。
あんたの恋人になりたいって人はいっぱいいるんだから、今更、照れてる場合じゃないでしょ!」
そして返す刀で、大鷹くんにも叫んでいた。
「大鷹くんも大鷹くんよ。か弱い乙女が、こんな場所に男を呼び出すなんて、
恋の告白以外考えられないでしょ! あんたも男なら堂々と受け止めなさいよっ!」
私は髪をかき乱し絶叫していた。
「うわっ!」
「……ふ、史香?」
大鷹くんや亜季の驚愕の声なんて私には聞こえなかった。私は夢中で叫び続けた。
特に亜季の驚きは特別だったようで、大鷹くんの腕にしっかりとしがみついていた。
そんな亜季を……大鷹くんは無意識だろう。守ろうとしたようで肩を抱いて立ち尽くしている。
そのときだった。
実体化していた私の姿がふっと消えた。
私自身は気がつかなかったけれど、大声を出し続けている私のことを見失ったようで、
ふたりして辺りをきょろきょろと探しているのだ。
「……え?」
私は、うろたえた。
「い、今の紅林さんだったよね?」
「う、うん。史香だった……」
ふたりは、ぽかんとしていた。
まるで、白昼夢を見たかのように呆然としているのだ。
そしてそのときに、お互いに自分たちがどういう姿勢でいるのかに、
ようやく気がついたようで顔を真っ赤にして互いに離れた。
「お、大鷹くん、あのね……」
「あ、あのさ。……俺、永井さんのこと、ずっと気になっていた……」
……なんだか、勝手にいい雰囲気なのだ。
「ちょ、ちょっと」
私は大鷹くんと亜季に話しかけたけど通じないので後方を振り返る。
――犯人は万平くんだった。
万平くんは茂みから猛然とダッシュしてその場を離れたのだ。
位牌を持った万平くんが距離を十メートルとれば、私の姿はふつうの人々からの視界からはロストする。
「ちょっと、万平くん!」
離れた場所に潜んでいた万平くんに追いついた私は、語気を荒げに話しかけた。
「まったく、もう。……どうして私の姿を消しちゃったの?」
「うん。だってもういいじゃん。史香さんの姿見て、あのふたりくっついちゃったんだからさ」
確かにそれはそう。でも、私は言い足りなかったのだ。
「もう十分じゃない。それに史香さんの姿をずっと見させる訳にはいかないよ。
……勝手に判断しちゃったけど、悪かったかな?」
「……悪くないと思うよ」
私は、そう思った。
ちょっと悔しいけど万平くんの行動は正しかったのだ。
あの場で、もし、私が飛び出さなくても、ふたりはいい関係になっていたのかもしれない。
私と万平くんは、その場を離れた。
「……あのね。亜季と大鷹くんをくっつけちゃって、本当によかったのかな?」
「それは、僕に言ってるの?」
「そう」
「さっきもいったけど、僕は永井さんにあこがれていただけ。
……それにね、僕と永井さんはうまくいかないよ。きっと」
万平くんは、さばさばした顔でそういった。
「どうして?」
「うん。僕は、……自分で言うのもなんだけど、女の人をリードしたりするのには向かない性格なんだ。
周りを見て気をつかって、その場の事態をなんとか収めようとするから」
「……」
「永井さんもそうでしょ? あの人も周りに気遣って、笑顔を振りまいているタイプじゃない?
そういう組み合わせは互いに疲れるだけになると思うんだ。
僕は他人を応援する性質。そして永井さんもそう。……違うかな?」
私は驚いていた。
自分自身の分析はもちろん、深く接したこともないのに亜季の性格まで、ちゃんと判断しているのだ。
「永井さんは大鷹のように、なにかに一心不乱に向かっている男を応援するのが向いている。
だから、きっとあのふたりは上手くいく」
――万平くんは常に客観的だったのだ。
万平くんは、ただ女の子に惚れるだけじゃなくて、
その後のつきあい方までじっくり考えてしまうタイプなのだ。
私のように直情型じゃなくて、あくまで冷静で俯瞰した見方で他人に接する人なのだ。
「万平くんのお嫁さんになる人は、きっと幸せね」
私は、思わずそう告げた。
「……な、なに言ってんだよ」
万平くんは顔を赤くする。前言撤回。万平くんは冷静かもしれないけど、正直者で照れ屋さんなのだ。
「ううん。ただなんとなく、そう思っただけ。
……あのさ、亜季と大鷹くんだけど私の姿を見たことで大騒ぎにならないかな?」
「うん。それは僕も考えていた。でも、きっと大丈夫だよ。
たぶん史香さんの幽霊が現れたと思うより、史香さんがキューピットになって、
ふたりを結びつけてくれたと思ってくれると思うよ」
「えへへ。私は愛のキューピットか……」
まんざらでもないような気がした。
「それよりさ。……史香さん、どうするの?」
「なにが?」
「……成仏できないんじゃない?」
「ああっ!」
言われて気がついた。私は亜季を応援することばかりに夢中になって自分のことを忘れていたのだ。
どうやら万平くんがうつったらしい。
「ど、どうしよう?」
大鷹くんに告白することは、もうできないのだ。だとすると私の心残りはずっとこのままだ。
「前にも言ったけど、これを燃やすって手もあるよ」
万平くんが位牌を手にしていう。
「……そ、それは嫌。それは最後の手段なの」
「じゃあさ……、まだこのままでいいんじゃない」
「このまま?」
「そう。しばらくこの世にとどまって、いろいろ体験すればいいんじゃない?」
万平くんは、そういって自然な笑顔を見せてくれた。
「そうだね。うん。そうする。亜季と大鷹くんも見守りたいし。……私、愛のキューピットだし」
そのとき、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。万平くんは教室に戻らなくてはならない。
「また、会おうね」
私は、そう言った。
「うん。墓場で」
笑顔の万平くんは、そう言って手を振った。
そして、私は校舎へと歩いて行く万平くんの姿が見えなくなるまで、手を振ったのだった。
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