第5話「第一話 成仏できないっ!」04話:そして私は明日、成仏する。


 

 私たちは、駅のコンコースにいた。

 バーガーショップからは、うまく出ることができた。

 

 

 

 梓がトイレに立ったとき、亜季たちの視線が店内の奥に向けられたからだ。 

 私たちは、その瞬間を利用して、気がつかれることなく店外に脱出することができたのだ。

 

 

 

 私たちの会話は、少なかった。

 どこに行く? とか、日が落ちたね、とか、そんなことしか話していなかった。

 やがて、万平くんが足を止めたので私も立ち止まった。

 

 

 

「……史香さん。やっぱり、みんなと会話したかったのかな? 

 僕は思わず止めちゃったけど、悪かったかな?」

 

 

 

 万平くんは突然そんなことを言い出した。

 彼は、きっと私に気をつかってくれたのに違いない。いや、絶対にそうだと思う。

 私の無言がさっきの行動の不満の意思表示だと考えているに違いない。

 

 

 

「そ、そんなことないよ。……やっぱり、私は幽霊だし、一度、死んだ人間だし」




 私は向き直った。

 

 

 

「……ううん。そんなんじゃない。

 私は、私が幽霊になっちゃって、そんで、みんなと話ができないのが悲しいんじゃないの。

 ……亜季が。私の知らない間に亜季に好きな人ができていた、ってことに戸惑ってるの。それにね――」

 

 

 

 私は興奮していた。だから堰を切ったように言葉がどんどん飛び出していく。

 

 

 

「――それにね、私が死んでから、たった二ヶ月しかたってないのよ。

 それなのに、私の話題なんてちょっとしか出ない。

 ねえ、私の存在って、たった二ヶ月で消えちゃうものなの? ねえ、ねえ?」

 

 

 

 ――答えてよ。

 

 

 

 私は無理な質問を万平くんにしているのはわかっていた。それがどれだけ迷惑なのかもわかっていた。

 だけど、だけど、相談できるのは万平くんしかいないのだ。

 

 

 

 万平くんは、しばらく無言のままだった。顔には困惑が浮かんでいた。

 それでもしばらく待っていたら口を開いてくれた。そしてゆっくりと、本当にゆっくりと、話をしてくれた。

 

 

 

「……史香さんが死んだ日、体育館で全校集会があったんだ。

 壇上に大きな遺影がかざってあってね、それで校長が長々と話をしていた。

 

 だから、全校生徒が史香さんのことを知ってると思う。でもぼくは、その話をあんまり聞いてなかった。

 ただ考えていたんだ」

 

 

 

「考えていたの? なにを?」




「うん。……最初に思ったのは十六歳で死んじゃった女の子がかわいそうだと思った。

 きっと、いろいろまだやりたいことがいっぱいあったはずなのに、もうなにもできないなんて気の毒だと思っていた。

 ……そして、ここにいるみんなは、いつまで史香さんのことを憶えているのかな? 、って思った」

 

 

 

「……」




「僕は、じいちゃんが亡くなった経験があるから、家族からひとりの人間が消えちゃうのを体験していた。

 だから死んだ人のことを、みんながだんだん忘れちゃう、口にしなくなっちゃう、っていうのを知っていたんだ。残された人は、みんな生きているから……」

 

 

 

「生きているから……」




「うん。毎日毎日を生きているから、新しいことをどんどん勉強したり、体験したりしなくちゃいけないから、 ……だから、過去のことはだんだん忘れてしまうんだ」




 私は万平くんが言いたいことが、わかったような気がした。

 私は死んで幽霊になったときから時間が止まっている。

 だけど、生きているみんなの時計は少しずつだけど確実に進んでいるのだ。これは間違いないことだ。

 

 

 

「史香さん?」




「なに?」




「史香さんは、さっき、友達が史香さんのことを、ちょっとだけど話題にしたよね? 

 それってうれしかった?」

 

 

 

「……聞いてたの? 私のおっちょこちょいな失敗話のこと」




 私は、少しだけ笑顔を見せた。

 

 

 

「うん。実はすっかり聞こえてた」




 万平くんも、いたずらっぽく笑う。

 

 

 

「やっぱりね。正直いうと、ちょっとうれしかったわ」




「だったら、いいじゃない。まだ、憶えてくれていたんだって思ったってことで、いいんじゃないのかな?」




「そうだね。そうだよね?」




 私は、素直に納得した。

 よくよく考えてみれば万平くんに言われるまでもない。幼い頃に私も両親と死に別れているのだ。

 そして、もう思い出すことなんて、あんまりないことにも気がついたのだ。

 

 

 

 ……なんて私はわがままなんだろう。

 

 

 

 自分の両親すら思い出すことの少ない自分に、他人に思い出してもらいたい、なんて思っていたのだ。

 これでは虫が良すぎるだろう。

 

 

 

 駅前のコンコースは、いよいよ暗くなってきた。帰宅する人たちの数も増えて、

 私たちふたりだけが、ぽっかりと取り残されたような感じになっていた。

 

 

 

 そのときだった。

 

 

 

「あれ? 相田じゃないか?」

 突然に万平くんを呼ぶ声がした。

 その声は大谷南高校の制服で、肩に竹刀袋、背には防具をしょって立つ一人の男子生徒だった。

 

 

 

 ――大鷹おおたかくんっ!

 

 

 

 私は、ぴょんと跳ねてしまった。

 そして気がついたときにはコンコースを照らす水銀灯の柱の陰に隠れてしまっていた。 

 ドキドキしていた。胸を押さえると鼓動が激しいのが自分でもわかった。

 

 

 

「よお、大鷹じゃん。……今、部活の帰り?」




 万平くんが返事を返す声が、ここまで聞こえてきた。

 

 

 

 大鷹賢一郎けんいちろうくんは、万平くんと同じ四組の生徒で剣道部員だ。

 とても強いようで、一年の時からレギュラーで先鋒を勤めていた。

 そして二年生の今では先輩たちを差し置いて大将をやるまでの腕前なのだ。

 

 

 

「ああ、今日は先輩たちが進路相談で部活に来なかったんで楽できると思ったら、

 顧問が張り切っちゃってさ」




「で、帰りがこんな時間になったんだ?」




「そう。……お前こそ、制服でこんな時間までなにしてんだ」




「ハンバーガー、食ってた」




「いいよな。帰宅部は」




 二人は、親しげに話しているようだった。

 私が知らないだけで、万平くんと大鷹くんは仲がいいのかもしれない。

 やがて、大鷹くんは万平くんに別れの挨拶をして去っていった。

 

 

 

「史香さん?」




 万平くんが、私を呼ぶ。 

 だけど、私は動けなかった。足ががくがく震えて、たったの一歩が踏み出せないのだ。

 

 

 

「史香さん?」




 再び私を呼ぶ声がする。

 

 

 

「……う、うん」




 私は、やっとの思いで返事をする。そして、エイッと気合を入れて柱の陰から姿を出した。

 

 

 

「もう、大丈夫。大鷹は帰ったから」




「……ねえ、万平くん。万平くんは大鷹くんと、仲がいいの?」




 小さくだけど声が出せた。私は動揺を悟られないように慎重に表情を作る。

 

 

 

「うん。割と仲いいかな。席も近いから弁当もよくいっしょに食べるし」




「ふーん。そっか」




 私が知らないところで万平くんと大鷹くんは接点があったのだ。

 私はなんだか安堵のため息をもらす。でも心の中には、まだ動揺がわだかまっていた。

 

 

 

「ねえ、史香さん。そろそろ帰ろうか?」




 万平くんが、いきなりそう告げた。確かに高校生には、帰った方がいい時間になりつつあった。

 

 

 

「うん。……そ、そうだね」




 私と万平くんは、とぼとぼと歩き出す。

 私は今夜も霊園に帰るつもりでいた。

 方角的には万平くんの自宅もそっちの方なので、しばらくはいっしょのままだろう。

 

 

 

「あ、位牌、私持とうか?」




 私は万平くんに話しかけた。

 位牌だけなら持てるのだ。叔父宅に返すのは私ひとりで十分だからだ。

 

 

 

「あ、そうだね」




 万平くんは位牌を取り出した。

 そのとき、突然、私は自分でも予期しなかった言葉が出た。

 

 

 

 後から考えても、なんでそのとき、その瞬間だったのかわからない。

 互いの表情が読みづらい宵闇がそんな気分にさせたのか、

 それとも、またひとりぼっちで夜を墓場で過ごすことになる境遇の寂しさが、そうさせたのか……。

 

 

 

 とにかく、私はこんなことを口走っていた。

 

 

 

「ねえ、万平くん。私、好きな人がいるんだ」




「へ?」




「……私が成仏できないのは、それがたぶん。……いや、絶対に間違いなく、それが理由なの」




「そう。……心残りの原因が、わかったんだね?」




「うん。……っていうか、最初から、そうだと思っていた。だけど、口にできなかっただけ」




 私はここまで言葉にすると、しばらく無言になった。

 

 

 

 それは、これから話す内容が恥ずかしいからだけじゃない、

 目の前の万平くんまでも巻き込んでしまうことに気がついたからだ。

 

 

 

 だけど恋する乙女は無敵だ。一息吸って覚悟を決めると、私は一気にしゃべりだす。

 

 

 

「あのね。もしかしたら、わかっちゃったかもしれないけど、私、大鷹くんが好きなの。

去年同じクラスだったときから、ずっと好きだった。


だけど言えなかったの。

なんどもなんども告白してしまおうって思っていたけど、

 振られちゃったら、どうしようって考えちゃうと、ためらっちゃうの。


それで、そのまま、ずるずる引きずっていたら、私は死んじゃったの。

だから、私の心残りは大鷹くんに告白することなの」




 ひとことひとこと話すたびに体温が上がった。すでに私の頭は、かーっとなっている。

 

 

 

「告白できれば、きっと、成仏できるんだと思うの……」




 万平くんは、しばらく黙っていた。

 茶化したり驚いたりすることなく、真剣に私の話に耳を傾けてくれているのだ。

 

 

 

「さっき大鷹が来たとき、史香さんの隠れ方がふつうじゃないから、なにか、あるとは思っていた。

 ……大鷹はいいやつだよ」

 

 

 

 それだけを万平くんは口にした。

 

 

 

「……ねえ、大鷹くんって、彼女いるの?」




「……うーん」




 そして、万平くんは、しばらく考え顔になった。

 

 

 

「うん。いないと思うよ。そして好きな人も、今は、いないんじゃないかな?

 やつは、剣道一筋って感じだから……」

 

 

 

「そ、そうなんだ」




 私は、はーっと、ため息を漏らす。

 

 

 

「えへへ。……の、望みあり、ってことなのかな?」




「……史香さん?」




 万平くんは突然厳しい表情を作った。

 

 

 

「な、なに?」




 私は気圧されてしまった。なにか万平くんの顔には覚悟があると感じられたからだ。

 

 

 

「史香さんは、成仏したいの? それともしたくないの?」




「……え?」




 私は思わず返答に詰まる。これは軽々しい問題じゃない。

 これからの私の運命を決めることになると、わかったからだ。

 

 

 

「うん。えーとね。……やっぱりね」




 私は、考えていた。

 

 

 

 誰にも姿も声も認識してもらえない日々。毎晩霊園でひとりで過ごす毎日。

 これが続いていたならば、私の覚悟は簡単だった。

 

 

 

 だけど、今はどうだろう?

 

 

 

 万平くんという姿と声をいつも認識してくれる人の存在。

 ……そして万平くんが位牌を持ってくれているという条件があれば、

 誰とでもコミュニケーションが取れる現在……。

 

 

 

 私は、私に問う。

 今の私は幸せか?

 

 

 

 ……私は今、幸せだと思う。

 だけど、これ以上の展開は望めない。条件が整えば、誰とでも会話ができて、なんにでも触れる。

 でも、それより上は絶対にないのだ。

 

 

 

 私の肉体はすでに骨になり、お墓で眠っている。

 そして戸籍や住民票には死亡者として記載されている。

 

 

 

 学校生活にはもう戻れないし、就職だって、もちろん結婚だってできないのだ。

 どうしてなのと訊かれれば、私は幽霊だからだ。

 

 

 

 だとすると、……やっぱり。

 

 

 

「や、やっぱりね。成仏したい。そして生まれ変わって、新しい人生を迎えたい」




 覚悟がいる宣言だった。それでも私は、そう万平くんに告げていた。

 

 

 

「じゃあ、僕は史香さんに協力するよ。

 史香さんを成仏させるために、大鷹に告白できるようにセッティングしてみる」

 

 

 

「ど、どうやって?」




「簡単さ。大鷹に昼休みに時間と場所を指定して、そこに来てもらえばいい」




 万平くんは、そう言うと笑顔を見せた。

 

 

 

「うん。わかった。私、決めたから」




 私は決意した。私は大鷹くんに告白して成仏する。

 すでに覚悟は十分にできていた。そして、翌日決行することに決めたのだ。

 

 

 

「でもね。史香さんの決意に水を差すつもりじゃないんだけど、成仏するには、もうひとつ手があるんだよ」




「え、どうやって?」




「簡単さ。位牌を燃やせばいいんだよ。魂はそこに宿っているんだから」




「……そうか。そうだよね」




 私は意表を突かれた思いだった。そうか、そんな手もあったんだ。

 

 

 

「どうする?」




 万平くんは私をじっと見ている。きっと、いや間違いなく私の選択を待っているのだ。 

 私は大きく呼吸した。そして宣言する。

 

 

 

「……一晩考えさせて、って言いたいけど、やっぱりそれはやめる。

 位牌を燃やすのは最後のときで十分。私は、やっぱりきっぱりと成仏したいの」

 

 

 

「そう。わかった」




「うん」




「……じゃあ、明日の昼休みに。約束だよ」




 そう言って、万平くんは去ろうとした。私は、万平くんの背に声をかける。

 

 

 

「ねえ、待って」




「なに?」




 万平くんが、振り向いた。

 

 

 

「ねえ。私も、万平くんのお手伝いできないかな?」




「……手伝いって?」




「万平くんの恋のお手伝い。万平くん、実は好きな人いるんじゃない?」




「え?」




 図星だったようだ。私の予想通り、万平くんは真っ赤になった。

 

 

 

「亜季のこと、好きなんでしょ?」




 私は気がついていた。

 さっきのバーガーショップで万平くんがガラスに映っている亜季だけを、ずっと見つめていたことに。

 

 

 

「……でも、永井さんは好きな人がいるみたいだよ。さっき、そう言ってたし」




 万平くんは罪を白状するような雰囲気で、そう告げた。

 その顔には、あきらめがはっきりと見てとれる。

 私にはわかった。万平くんという人は、よっぽど自分に自信がないんだろう。

 

 

 

「万平くんは素敵な人だと思うよ。これは本当。

 だから、もっと自分を評価してもいいと思うよ。

 

 ……やさしいし私みたいな性格の人のペースにも会わせてくれるし。

 そんな人との方が、亜季とはお似合いだもん」

 

 

 

 これは私の本心だった。ここ数日のつきあいで、私の万平くんに対する信頼は高い。

 彼はもっと自分に高い点数をつけていいのだ。

 

 

 

「でも、彼女は好きな人がもういるみたいだし」




「あのね。愛とは奪い合うものなんだって」




「な、なにそれ?」




「テレビで見た恋愛ドラマよ」




 私が答えると万平くんは少し笑顔を見せた。

 

 

 

「ありがとう。でもね、僕の問題はまだ後でいいんだ。僕には、まだ時間がある」




 それは確かだった。生きている万平くんには、これからがあるのだ。

 亜季が好きな人が誰かはわからないけれど、

 亜季だって万平くんの良さがわかれば心変わりする可能性だって十分にあるかもしれない。

 

 

 

「それよりも、明日だよ」




 あくまで他人のために動いてくれる万平くんは、自分のことよりも私のことを優先してくれる。

 だから彼はいい人なのだ。

 

 

 

 そして万平くんは歩き出す。私もその後をついていく。

 

 

 

 万平くんと別れた私は自宅へと向かった。そして二階に上がった私は机の上に位牌を戻した。

 階下では叔父と叔母がいた。

 二人でなにかを話し合いながら押し入れから物を運び出しているようだった。

 

 

 

「明日。……私は成仏する」



 

 私は改めて決意を固めた。

 そして明るい月夜の中、霊園へと帰って行くのであった。


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