第3話 「第一話 成仏できないっ!」02話:そして魂が宿ったアイテムというのがあると知った。
幽霊になって、いくつか気がついたことがある。
それは基本的に誰にも姿や声をわかってもらえないと言うことだ。
でもこれは万平くんのような特異体質の人には大丈夫で、彼には私の姿がちゃんと見えて声も聞こえている。
その万平くんは、その後、時々、霊園墓地に訪ねて来てくれて、私と会話をしてくれた。
「つい、お菓子を持って来ちゃったけど、そう言えば、史香さんは食べられないんだよね」
そう言ってスナック菓子の袋を持ったまま、すまなそうな顔をする。
「うん。ありがと。でも大丈夫。
私、お腹もすかないから。だから気持ちだけいただくことにする」
そう私は答えた。もちろん幽霊は空腹にはならないのだ。
「だけど、食べてみたいものは、あるよ」
「食べてみたいもの?」
「うん」
私はテレビコマーシャルで話題になっている新作バーガーの名前を告げた。
確か期間限定の販売で口コミでは相当おいしいとの評価だったのだ。
「あ、それ、僕も食べてないな」
そう言えば、というような顔になって万平くんは答える。
「生きているうちに誘ってくれれば、いっしょに行ってもよかったのにね」
私がそう答えると万平くんは目をぱちくりさせて、次の瞬間、真っ赤になった。
私には別に他意はなかった。
私たち女子の間で噂になったことが一度もなかった万平くんは、やっぱり地味目な男子で、
女の子と話すのが慣れてないのだ。
でも、それは悪いことじゃない。変に女慣れした男の子なんかより、よっぽど素敵だと思う。
私は万平くんが、とてもいい人だと実感した。
幽霊になって気がついた点は、他にもあった。
いや、もしかしたらこちらの方が、希望が持てる重要なことかもしれない。
万平くんに出会ったことで、私は私を認知してくれる人がいることがわかった。
それはとってもラッキーでうれしいことなのだけれど、わかってもらえるのはあくまで姿と声だけなのだ。
でも、私は、それだけでは満足できなくなっていた。
こうなると人間(……幽霊だけど)、贅沢になるものなのである。
私は、なにかに触れたかった。
なにかに触ったり、ぶつかったりできないと言うことは、やっぱりとっても物足りないのだ。
でもそれは幽霊という存在には無理なようで、いろいろ試してみたけれど結果は惨憺たるものだった。
でも、希望は捨てちゃいけない。
そう自分にいい聞かせていたある日、奇跡が起こった。
そのとき、私は珍しく自宅に向かっていた。
自宅と言っても、それは叔父さん夫婦の家なのだけれど、一戸建てで部屋数に余裕があることから、
姪の私のために私室を用意してくれていた。
その部屋は、洋間の六畳ほどで南向きの日当たりがいい部屋だ。
そして今現在でも手つかずで、そのままにしてくれている。
……もっとも部屋が余っているので、片付ける必要がないだけなのかもしれないけれど……。
そしてその私の部屋には、私の死後、ひとつだけ物が増えていた。
それは、私の位牌だ。
その位牌は形も大きさもふつうの黒漆塗りで戒名が刻まれている。
それが私の机の上にちょこんと置かれているのだ。
叔父さん夫婦は分家なので家に仏壇がないことから、そこに置いたらしい。
叔父も叔母も共稼ぎなことから日中は留守だった。
私は玄関から素通りして侵入し、二階の部屋でそれを見つけたのだ。
そして私は、なにげなしに、本当になにげなしに、無意識にその位牌をつかんで持ち上げていた。
「
思わず、私は叫んでいた。
驚いた。
右手には、
指先にしっとりと木製位牌の触感がある。
「……なんで?」
私は満面の笑みを浮かべた。
そして位牌を両手で胸の前で握りしめて、あまりのうれしさにその場でくるくると踊り始めてしまった。
「ホントに? ホントに? ホントに……?」
本当だった。
そこで私は位牌を机の上に戻し、念願だったあることを行おうと考えた。
それは着替えだった。
私の服装は高校の制服。それも長袖ブレザーの冬服だ。
これは、私がまだ春だった二ヶ月前の登校途中に交通事故死してしまった関係のようで、
一切ものに触れることができない私はそのままの姿だった。
……これって、これって、すごいことだよっ!!
喜び勇んだ私はクローゼットの扉の引き手を握ろうとした。
中には今年の初夏に着ようとしていた服がしまってある。
薄手のシャツとかタンクトップとか短いスカートとか。……ところが手が素通りしてしまった。
「え?」
私は、思わず右手をじっと見つめていた。
そこにあるのは少し透き通った私の手だ。
「……やっぱり、だめ?」
だめ……、なのである。
その後、何度チャレンジしても同じだった。
それではと机や椅子、本棚やテレビといろいろ試してみたけれど、やっぱりだめだった。
触れようとすると、するりと素通りしてしまうのだ。
「もう、なんでなのー……」
私の声は、涙声だった。
目にもうっすら涙が、浮かんでいる。
くやしかった。つかめると思っていた希望が、目の前でするりと逃げてしまったのだ。
その後、改めて位牌を触ってみた。
手にはしっかり漆塗りの肌触りと重さが感じられる。
「これは……どうしてなの?」
謎だった。
私がつかめるのは、位牌だけ。
「……きっと理由があるんだ」
そうつぶやいた。
この疑問を誰に問い合わせればいいのだろう?
そう考えたとき、浮かんだのはもちろん万平くんだった。
彼には昔から幽霊が見えるのだ。
だったらなにかわかるかもしれない。
そう考えた私は、部屋を出た。
すると叔母がすでに帰ってきていたようで台所から水音がしていた。
「叔母さん、また来るね」
それだけ告げて私は堂々と叔母の前を通過した。
でも予想通り、叔母は私の姿や声にはまったく気がつかなかった。
私はその足で、そのまま万平くんに会いたかった。
でも、時刻はすでに夕方だ。彼は自宅に戻って家族と団らんしているに違いない。
私は幽霊らしく墓場へと、戻ることにした。
翌日のことだった。
私は、いつもなら墓場でぼんやりと風景を眺めて万平くんを待っているだけだったのだけれど、
その日は積極的に行動に出ることにした。
それはもちろん、なぜ位牌にだけ触れることができるのかを知るためだ。
夕方。
以前に聞いていた万平くんの住所から通学路を想定した私は、
駅前マンション群の片隅にある小さな公園のベンチに座っていた。
公園沿いの道を通るよりも、公園の中を突っ切る方が近道になることから、
彼は絶対にここを通過するはずだと検討をつけたのだ。
時刻はちょうど帰宅時にあたるようで、学校帰りの人たちが公園内を素通りする姿が目立つ。
また小さい子供たちを砂場で遊ばせる母親たちも数多く見えた。
「あ、そこのベンチが空いてるよ」
そんな声に振り返ると、高校生のカップルがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
そのベンチとは、もちろん私が座っている二人がけのベンチのことだ。
その二人が座る直前に私は腰をあげた。
……やっぱり、見えないのね。
高校生カップルは私などにお構いなく仲良く腰掛けた。
まだつきあい始めたばかりのようで、その会話や仕草が初々しい。
……うらやましいな。
つい、言葉になった。
……これはたぶん私の本音だろう。
私も、こうやって恋人同士でベンチで会話をしてみたかったと思った。
そのときだった。
「あれ? 今日はいったいどうしたの?」
私は聞き覚えのある声に振り返った。万平くんだった。
通学バッグを肩にかけて、ひとりで立っていた。
私の予想通り、彼はこの公園を通学路にしていたのだ。
「やっぱり、史香さんだった」
「待ってたんだよ。万平くんを」
「僕を、待ってた?」
そう言った万平くんは今日も顔が赤くなる。
でも、私の服をじっと見ていることに気がついていた。
「やっぱり、これで、わかっちゃったの?」
私は、自分のブレザーを指さした。
「うん」
万平くんはうなずいた。
やっぱりこの季節に冬の制服姿なんて私しかいないのだ。
そのときだった。
「あのー。私、フミカって名前じゃないんですけど」
振り返るとベンチに座っているカップルの女の子の方が怪訝そうに私たちを見上げていた。
「あ、えっとね……」
私は、ふいに返答に困る。
でもすぐに状況を悟った。話しかけられたのは万平くんだ。
彼女たちに私の姿や声は認識できていないからだ。
そしてその万平くんだったけど気の毒なくらいに困惑していた。
心底、困ったような顔つきだった。
「……あの。えーと。なんでもないです」
「人違い?」
男の人が、そう訊いた。
「すみません。すみません」
万平くんは、なんども頭を下げて謝っていた。
「……ごめんね。私のせいで」
私と万平くんは歩き始めていた。
すでに公園を離れて住宅街を歩いている。
街路樹はすっかり新緑で覆われていて、新しい風が木々の葉を揺らしている。
私がいちばん好きな季節だった。
「……いいよ。あそこで声をかけたのは僕の方だし」
そう言って、横顔のまま私に笑顔を見せる。
それは自然でいい表情だと思った。
万平くんはきっと作り笑顔なんかしないに違いない。
「ところでさ、僕に用があったんじゃない?」
万平くんが唐突に訊いてきた。
「あ、……そうそう、そうなの」
私は、思わず立ち止まる。つられて万平くんも足を止めた。
「実はね……」
私は興奮混じりに伝えた。
もちろん位牌の件だ。位牌だけは触れられて他のものには一切触れることができないことを、
身振り手振りで詳細に話したのだ。
その間、万平くんはひとことも口を挟むことなく真剣に聞いてくれていた。
「……魂の問題かもしれないね。よく、わかんないけど」
私がようやく話し終えたとき、万平くんはそう切り出した。
「魂……?」
「うん」
そう言えば、と万平くんは、ふと思い出したかのように遠い目になった。
「……じいちゃんが死んだときだけど、じいちゃんは、しばらく成仏しなかったんだ」
「そう言えば万平くんを慰めてくれた、って話だったね」
「うん。じいちゃんは死んだあと、しばらく僕の周りにいてくれた。
そのときの僕は泣いてばかりいたから、じいちゃんは、それが心残りだったんだと思う」
「じゃあ万平くんのおじいちゃんは、その心残りがなくなったから成仏できたの?」
私にとっては、とっても気になる出来事だった。
同じ幽霊同士の話だ。他人事じゃない。
「いやたぶん違うんだ。
……僕はよっぽどの、じいちゃん子だったから、本当に悲しくて一日中泣いていたから、
じいちゃんはいつまでも成仏できなかったんだ」
万平くんの話によると、万平くんのおじいちゃんは火葬場で骨になっても万平くんを見守ってくれていたらしい。
「だけどね……。
納骨も終わって、いろいろ一段落ついたかなってところで家族がじいちゃんの遺品の整理をし始めたんだ。
そしたらね……」
万平くんは懐かしそうな顔をした。
「じいちゃんのパイプが見つかったんだ」
「パイプ?」
「うん、ほら、煙草を吸うパイプ。よく昔の映画とかに出てくるやつ」
「ああ、あれね? ほら、シャーロック・ホームズが、くわえてるものでしょ?」
「そう、そう」
万平くんはうなずく。
万平くんのおじいちゃんは、そうとうハイカラだったようだ。
「そしたらね、じいちゃんが……。幽霊のじいちゃんだけどね、それを、ずっと探してたらしいんだ」
「なくしちゃったの?」
私は、尋ねた。
「うん。じいちゃん、ものすごいヘビースモーカーだったんだけど、
最後は癌だったから入院するんで禁煙させられていたんだ……」
入院することになった万平くんのおじいちゃんは、パイプを家のどこかに置いて入院したらしい。
そして、そのまま亡くなったことからパイプのことを家族はすっかり忘れてしまっていたらしいのだ。
そしてある日、パイプが、偶然に見つかったと言うのだった。
「そのパイプは、じいちゃんが何十年も使っていたから相当愛着があったんだ。もう
でね、ここからが肝心なんだけど、じいちゃんの幽霊はパイプを口にくわえることができたんだ。
それだけじゃなくてね、そのパイプでおいしそうに煙草を吸ったんだ。それで僕の肩を、ぽんぽんと叩いた」
「……え? つまりどういうことなの?」
「うん。つまりパイプに触れたってこと。
それまでのじいちゃんの幽霊は、今の史香さんと同じでなんにも触れなかったんだ。
そしてそれだけじゃなくてパイプをくわえていると僕に触れることができた」
私は愕然とした。
なんだか強烈に物事の核心に、触れた気がしたのだ。
「それで、その後どうしたの?」
「うん。それでそのパイプなんだけど、僕がいないときに、ばあちゃんが庭で燃やしちゃったんだ」
「燃やしちゃったの?」
私は、なんだかもったいないような気がした。
パイプなんて、そんなにかさばるものじゃないんだから、
遺品として残して置いてもよかった様な気がしたのだ。
「うん。ばあちゃんが残して置くとかえって悲しいっていうから、燃やしちゃった訳」
「ふーん」
「そしたらさ、その直後から、じいちゃんがいなくなったんだ。
それ以来、じいちゃんの幽霊は僕の前から消えちゃったんだ」
「……どういうことなの?」
私は尋ねた。
なにか大事な出来事の予感が、したからだ。
「うん。……要するに……これは、僕の想像なんだけど、じいちゃんの魂はパイプに宿っていたと思うんだ」
「パイプに?」
「そう。……だから、パイプが燃えてなくなっちゃったら成仏しちゃったってこと」
「……そうなの」
私はその話を信じた。他ならぬ万平くんが言うのだ。
「だからさ、これも僕の推測なんだけど幽霊がこの世にさまよってしまうのは、
なにか強烈な心残りがあるとか、魂が宿ったアイテムが残されたからだと思うんだ」
「ええと、どういうことなの?」
「うん。だからね。
幽霊が成仏できる条件は、……例えば恨みとかの心残りが消滅したときと、
魂が宿ったアイテムが燃えてなくなったときの二種類があるってこと」
「ふーん。……あれ? ってことは、私の場合は魂が宿ったアイテムが位牌ってことなの?」
「そうなんじゃ、ないのかな?」
万平くんは、考え、考え。そう答えた。
街はすでに夕暮れに差しかかっていた。
私たちは、いつの間にか隣町に到着していた。
そこは私が住んでいた町で、あてもなく歩いていたら、いつの間にかやって来てしまったのだった。
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