8.三獣の祠

 しばらく歩くと巨大なやぐらが姿を現した。村の男衆総出で半月かけて築かれたやぐらは立派なものだった。


「うわぁ~」


 桃姫は思わず声を上げて見上げながら歩くと、額に白い手ぬぐいを巻いた桃太郎が後ろから声をかけた。


「下を見て歩かないと転ぶぞー」


 そう言って、桃姫を後ろから抱き上げると桃姫を肩の上に軽々と乗せた。


「きゃあ」


 悲鳴を上げて桃太郎の頭に両腕で抱きついた桃姫。その拍子に赤い蹴鞠を手落とすと、桃太郎は笑いながら地面から跳ね返ってきた蹴鞠を片手で掴んだ。


「ねぇ、降ろしてー! 桃姫は10歳なんだよ! ねえー!」

「まーだ10歳だよ。その証拠に、こんなに軽い軽い!」

「きゃあああ」


 桃太郎はその場で上下に屈伸すると桃姫は悲鳴を上げながら目を閉じた。その光景をやぐらの周囲で作業をしている男衆が大声で笑いながら見ていた。


「来るのが早かったな。ちゃんと、おつるちゃんが見つけてくれたんだな」


 桃太郎は言うと、桃姫を肩から降ろして手に持っていた赤い蹴鞠を渡した。


「うん……それで、なに? なんで呼んだの……?」


 桃姫は男衆に盛大に笑われたことの気恥ずかしさで顔を赤くしながら桃太郎に尋ねると、桃太郎は答えた。


「ちょっと、付いてきてくれ」


 桃太郎はそうとだけ言うと、すたすたと歩き出した。桃姫は困惑しながらも、桃太郎の薄茶色の羽織を着た背中を追いかけるしかなかった。

 桃太郎は村の裏手にある木の門戸を抜けて、山へと続く道を進み始めた。桃姫はその後を毬を持ちながら付いていくと、山に入る赤い鳥居の前で桃太郎は止まった。


「桃姫、去年の同じ日、この山に連れてきたことを覚えてるかい?」


 桃太郎が桃姫に振り返って言うと、桃姫は桃太郎の隣に並んで鳥居を見上げた。


「うん。だって、この山には桃姫は一人で入っちゃ絶対にダメだって母上に言われてるから……誕生日の日だけ、父上と一緒に入れるの」

「ははは……ちゃんと小夜の言いつけを守ってるんだな、偉いぞ」

「うん」


 桃姫が言うと、桃太郎がすっと桃姫の左手を握った。


「でも、私が桃姫と同じ歳の頃は、この山の中を駆け回って特訓してたんだよ」

「そうなの?」


 桃姫が言って返すと、桃太郎の手をぎゅっと握り返した。そして、二人で赤い鳥居をくぐって山の領域に入る。


「……ああ。御師匠様が、私を特訓してくれたんだ……」


 桃太郎は遠い目をして言うと、数を増して来た木々の奥、その峠道の入り口にぽつんと立つ石造りの白い祠を視界に入れた。


「──犬、猿、雉の三獣と一緒にね」

「……三獣の祠」


 桃太郎の言葉を聞きながら、祠の光景を見た桃姫は声に漏らして桃太郎から手を離すと祠に向かって駆け出した。

 そして、祠の前に立つと、桃姫は中を覗き込んだ。木製の格子の扉の中は薄暗いが、小さな陶器製の壺が3つ並んでいるのが見えた。


「よく覚えてたね。桃姫が生まれてから毎年、この祠に来ているんだ──報告をしているんだ」

「……報告?」

「うん、三獣に桃姫の成長を伝えて、そして──」


 祠の前に着いた桃太郎が言いながら格子の扉を開けると、中の様子が明らかになる。

 まず手前には小さな壺がある。それは犬、猿、雉、それぞれの絵柄が藍色の墨で描かれている青白い骨壷だった。

 その3つの骨壷に囲まれるように香木の欠片が入った小型の香炉が置かれている。

 そして、その奥の空間に設けられた小さな社には、翠色の特殊な形状をした勾玉が立て掛けられて榊の間に安置されていた。

 それは3つの翡翠の勾玉が円を描くように一つに繋がっているもので、〈三つ巴の摩訶魂〉と呼ばれる鬼ヶ島随一の宝物であった。


「どうか、末永く御護りください……と、祈っている」


 桃太郎は骨壷の中央に置かれている香炉の蓋を開けると、中の香木の欠片を取り出して新しい物に取り替えた。


「桃姫が生まれてから、ずっと?」

「そうだよ。桃姫を連れてくるのは年に一回だけど、実を言うと私は事あるごとにここに来て祈っている。ははは」


 桃太郎は笑いながら言うと、取り出した香木の欠片を手の平に乗せて桃姫の前に差し出した。


「ほら、古い香木を取り出したのにまだ匂いがするだろ?」

「あ……ほんとだぁ」


 桃姫は香木の欠片に鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐとまだ微かな匂いが感じ取れた。

 この山の中の環境にあって匂いが消えていないということは、一ヶ月、あるいはもっと早い段階で置かれた香木であった。


「それじゃ、桃姫。一緒に祈ろうか」


 桃太郎は古い香木を新品を入れていた巾着袋の中に入れると、そう言ってから両手を合わせた。


「うん……えっと……」

「桃姫のことを御護りくださいって、そう心の中で念じればいいんだ」


 桃太郎の言葉を聞いて、桃姫は眉根を寄せた。


「んー、でも桃姫は父上と母上のことも三獣さんに護ってほしいな……」

「ははは……」


 桃姫の言葉に桃太郎は朗らかに笑うと、三獣の骨壷を見た。


「ありがとう桃姫。でも、祈願というのは誰か一人の事を切に想うことが大事なんだ。あれもして欲しいこれもして欲しいだと、祈りが弱くなってしまうよ」

「そうなんだ……」

「だから桃姫。この三獣の祠に対しては、桃姫のことだけを祈ろうか。私が今までそうして来たように、ね?」

「うん……わかった」


 桃太郎の言葉を聞いて納得した桃姫は小さな両手を白い石造りの祠に向けて合わせて目を閉じた。

 隣に立つ桃太郎も目を閉じて祈る。その時、桃姫の鼻にすんと香木の強い香りが漂ってきた。


 ──匂いが強い……父上が香木を新しいのに変えたばかりだからだ。


 桃姫はそう思って祈りを続けていると、不意に両手が熱くなってきた。


「……っん」


 違和感を感じた桃姫が小さく声を上げると、隣で目を閉じて祈る桃太郎が小さな声で呟いた。


「今、三獣に祈りが届いている。祈ろう……桃姫を護ってくれるように」

「……うん」


 桃太郎の言葉に安心した桃姫は手の平に熱を感じながら祈った。


 ──桃姫を護ってください。父上と鬼退治をした三獣さん……桃姫のことを護ってください。

 ──犬さん、猿さん、雉さん……弱くて泣き虫な桃姫のことをどうか、お護りください。


 最初は怖く感じた熱が今となっては心地よく、小さなお日様が手の中にあるようだと桃姫は感じ始めていた。

 桃姫と桃太郎が祈っているそのとき、祠の奥、骨壷と香炉の更に奥の小さな社に安置された三つ巴の摩訶魂が淡い緑光を放っていることに二人は気づかなかった。


「……さあ、もういいぞ。桃姫」


 桃太郎が目を開き、すっきりとした顔つきで言って両手を離すと、桃姫もゆっくりと目を開いて両手を離した。


「なんだか……手が熱くなって……あと、お香の匂いが……」

「ああ、私も同じだよ。でも、今日は特に熱かったし、匂いも強かったな……隣に桃姫がいたからかな?」

「うん!」


 桃太郎が言うと、桃姫は頷いて微笑んだ。何だか、祈る前よりも心が軽くなったような感じがしたのだ。


「あ、桃太郎様! やはり、こちらにおられましたか!」


 桃太郎が祠の格子扉を閉じていると、村の方から走ってきた息を切らした男が声を掛けてきた。


「やぐらの最終調整が必要で、設計者の桃太郎様がいないと作業が進まないんでさぁ! 男衆が待ってます、早く来てください!」

「ああ。今行くよ」


 桃太郎は男に片手を上げて答えると桃姫を見て言った。


「それじゃ行こうか、桃姫」


 桃太郎が言うと、桃姫は祠をちらりと見ながら言った。


「ねえ、父上。もうちょっとここに居てもいい? ここは静かで空気が澄んでるし、ここで蹴鞠の練習がしたいな」

「ここでか……?」


 桃姫の言葉に桃太郎が思案していると、遠くから男の催促の大声が届いた。


「早く来てくだせぇ……!」

「うーん……そうだな」


 桃太郎は唸りながら考えると、桃姫の頭の上に手をポンと置いて言った。


「この祠から先、いいか? ここから先には絶対に行かないこと。父上と約束出来るならここで練習してもいい」

「うん! ここから先には行かない!」

「絶対に、だ!」

「絶対に行かない!」


 桃太郎は言いながら、桃姫の自分と同じ濃桃色の目を見つめる。

 桃太郎は以前から、桃姫は自分と同じ意志力の強い目をしていると感じ取っていた。


「絶対だな」

「絶対……!」


 桃太郎が桃姫の濃桃色の目を見ながら真剣に言うと、桃姫もまた桃太郎の濃桃色の目を見ながら真剣に答えた。


「よし……じゃあ、桃姫を信じる。私は行くから。いいか、約束だからな? 満足したらすぐに村に帰るんだぞ! いいな!」


 桃太郎はそう言って走り出すと、村への道を全力で駆け抜けていった。

 その後姿を桃姫が赤い蹴鞠を持って見送る。そして口を開いた。


「満足したら帰ろーっと」


 桃姫が今まで一度も蹴鞠で満足したことがないことを、桃太郎は知らなかった。

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