第10話 呪歌の桶



 都内のカラオケボックスでバイトしている。ここの仕事をおれは気に入っている。たいていの場合、お客さんは店員のことなんてどうでもいい。ストレス発散に来ているのだし、料金の支払い方によっては15分ごとに追加料金が発生したりする。それなら少しでも歌った方がお得だろう。


 シャイな人は飲み物や食べ物を部屋に置くときに歌が止まる場合もあるが、そういう人は店員に気を遣ってくれる。


 ……おれは人の歌を聞くのが好きなのだ。そんなことを漏らすと同僚には驚かれることが多い。プロのミュージシャンの曲をコンサートやネットで聞くのとではわけが違う。薄い壁越しに聞こえる素人の歌などノイズだとみな言う。


 むしろ、おれはそのノイズを愛している。プロはプロになるだけあって、表現力が違う。歌に込められた強い思念はおれを酩酊めいていさせてしまうのだ。


 歌とは呪いである。


 カラオケボックスの名の由来はからオーケストラから来ているらしいが、呪術師の末裔として育ってきたおれの意見は違う。あれは「空桶カラオケ」だ。桶の中にたっぷり呪いを溜め込み、客が重いドアを開け閉めするたびに、呪いが漏れる。そして、カラオケ店の中には気持ち悪い思念ばかりが渦巻くのだ。


 おれは呪術師が持ち得るべき感受性を生まれつき強く持っていた。かつて平安時代を席巻したような呪術師になれると思い込んでいた。けれど、その才能は毒となった。濃厚な感情を孕む歌に対して、おれの体は勝手に反応してしまう。制御不可能な体質だ。


 呪術師になる夢は絶たれた。


 それこそ平安時代ならばともかく、現代では呪いなんて信じられていない。呪いは信じられていたから、効いていたのである。だから、諦めもついた。でも、おれは呪術師としての鍛錬を幼い頃からずっとやって来たのだ。いまさら、一般人になれと言われても困る。


 強すぎない呪いに浸り続けられる環境。それをおれは求めていた。一時期、ホストのバイトもやっていたのだが、あれはダメだ。擬似的な恋愛はすぐさま本気の炎となる。どれだけ普通の人間だと思っていても、こと恋愛になると途端に狂人になる。


 狂人の愛はすべて呪いだ。人を殺す思念の塊だ。ホストとして人気になればなるほど、その肩には呪いが積み重なる。炎に焦がれて死ぬのは嫌だった。そういう意味では呪い呪われることが日常の世界で生きると決めなくて良かった。


 カラオケでの仕事は天国だ。お客さんはプロが作った曲のすべてを理解して歌っているわけではない。彼らにとってはたくさんある好きな曲のひとつに過ぎない。呪いの塊を希釈して破壊して、自分なりの感情を不恰好に乗せて歌っている。だから、大した威力にはならない。


 安寧の日々が続いていたある日。



「先輩、何かおかしくないっスか」



 後輩の討村うちむらがそんなことを言った。こいつはこの店ではおれの次にバイト歴が長い。異変を感じ取る能力が高く、もしかしたら、おれよりも呪術師に向いているかも知れないなんて思ったこともある。襟足を金に染めている彼が、監視カメラを指差す。


 深夜だった。オール、なんていう概念こそあるが、たいていの場合、体力がある若者ですら歌い続けていれば疲れて、だんだん声量も落ちていく。おれの好きなノイズが聞こえなくなってきて、ちょっとテンションが下がっていた。



「ん。カップルか?」


「こいつらの部屋の映像だけ、色が違うというか。もやみたいのがかかってないスか」


「確かに、なんか変だな。火災報知器は作動していないし、煙ってるわけじゃなさそうだが。でも、こいつらの部屋は喫煙OKの場所だから、煙草の煙くらいじゃ動かないけど」


「一時期、この店の中でコカイン吸ってたやつらもいましたよね。……でも、さすがにこんな風にはなんないス。すみません、過剰になってたかもしれません。……疲れてるんスかね」


「お客さんは全部で5組か。仮眠取ってきたらどうだ? 忙しくなるのはどうせ始発が動き出してからだろ。まだ、時間はある」


「いいんスか?」


「大丈夫だ。何かあったら起こすよ。それに討村はなかなかの社畜だから、ベルが鳴ったり内線が来たら、すぐさま起きちまうだろう」


「あぁ、そりゃそうだ。じゃあ、お願いします晦元くらもと先輩。今度、呑み、奢るっスよ」


「無理すんなよ」



 カラオケに仮眠室なんて無い。奥のスペースで椅子を並べてその上で眠る程度だ。だけど、そういう空間で眠るのは都会に慣れた若者にとっては簡単な技だ。


 おれは少し気になって、討村が言ってたカップルの部屋の映像を見る。確かにおかしい。カメラが壊れているのだろうか? だが、昨日までは何の問題も無かった。


 会員カードを確認したかったが、登録はしていなかった。料金やドリンクが少し割増になる程度、気にしないというお客さんは多い。手間もかからないし、やってくれた方がこちらとしては助かるのだが、露骨な営業は嫌われる。


 でも、普通のカップルだな。たまに監視カメラがあるということを知らずに性行為をするやつらがいる。店では禁止されているので、こっちは堂々と注意出来るが、怪しい靄がかかっている程度でコカインを疑うわけにはいかない。


 様子を見に行こうか。どうせ、やることは無い。そう広くもない店だ。寝ているとは言え、討村も控えている。24番室。他の部屋から少し騒がしい歌声が聞こえる。良いノイズだ。



「……声が聞こえてこないな」



 終電を逃して始発まで夜を凌ぐためにカラオケは利用されることがある。でも、映像を見たとき、女はマイクを持っていたはずだ。マナーは良くないと分かっていたが、気になってドアに耳を付ける。カラオケの音楽が聞こえてこない。……不安が押し寄せる。カラオケ店員は影に徹するべきだ。お客さんを困らせるような行為など、以ての外。けれど。



「お客さま、少しよろしいでしょうか……」



 ノックをする。無音。無音。無音。意を決してドアを開く。これで何も無かったら良い笑い物だ。部屋の中にはカップルがいた。それを見る前に濃厚な気配が部屋から漏れ出す。


 呪いだ。……呪歌じゅかだ。この部屋には呪歌が詰まっていた。空の桶を満たす、凶悪な意志が渦巻いている。男と女がこちらを見た。異常に瞳が大きい。というか、白目が無い。見通せぬ闇がそこには広がっていた。



「復讐ダ……死ネ……ほすと野郎……」


「復讐ダ……死ネ……ほすと野郎……」


「復讐ダ……死ネ……ほすと野郎……」


「復讐ダ……死ネ……ほすと野郎……」


「復讐ダ……死ネ……ほすと野郎……」


「復讐ダ……死ネ……ほすと野郎……」



 狂った機械のようにカップルは同じ言葉を繰り返す。ホスト時代にこんなやつらに関わった覚えはなかった。というより、関わる前に辞めたはずだ。女はマイクを握っている。瞬間的に耳を塞ぐ。



「アーーーーーー」



 増幅された思念がおれを揺らす。圧倒的な憎悪が広がっている。男を中心として紫がかった煙が巻き起こり、店の中に染み渡っていく。


 これほどの呪いを受ければ、普通の人は保たない。間違いなく精神を病むだろう。お客さんを逃がしているヒマは無い。そもそも、おれが逃げられるかどうか。塞いでいる片耳から手を離し、壁にかかっている電話を思い切り叩いた。ぐらりと落ちた受話器。同時におれは膝を突く。……思ったよりキツいな。



「もしもし。どうなされましたか?」



 討村の声が聞こえる。見上げた社畜魂だ。こいつだけは逃さなければならない。未来ある有望な若者だ。何より良いやつだ。



「逃げろ! 討村!」


「晦元先輩!? 何かあったんスか!?」



 何があったか。説明したとしても、信じてはもらえないだろう。



「逃げろ。おれを信じてくれ」


「……っ。分かりました」



 通話が切れる。承知してくれたかどうかは分からない。けれど、討村は異変を感じ取れる能力に長けている。やるだけのことはやったかな。すると。真っ黒な目で男と女がこちらを見ている。感情の読み取れない目だが、何やら驚いているようだ。



「コイツ、晦元牢一ろういちノせがれカ」


「コノ呪歌耐性ノ低サトイイ、間違イ無イナ」


「ドウスル? 同業者ヲ殺スノハりすくガアルゾ。晦元ハ大キナ勢力ダ。我々ノ仕業ダト見ル者ガ見レバ、スグ知レル」


「確カニコイツハ、依頼ニアッタほすと野郎ダガ、優先度ハ高クナイ。ダガ、見ラレタゾ」



 何やら揉めている。こいつらは呪術師……というか、その使いだ。きっと、カップルを遠隔操作しているやつがいるんだ。もし、ここで反抗して格闘戦になれば、おれはお客さんを傷付けた犯罪者となって檻の中。だけど、おれには武器がある。



「……とおーりゃんせ、とおーりゃんせ。ここはどこの細道じゃ。天神さまの細道じゃ……」


「ッ!? 呪歌カ!?」


「ダガ、ナンノ意味ガ……?」



 『通りゃんせ』は日本の童謡だ。歌詞は謎めいているが、時代背景、元ネタとなった逸話などを正当に解釈すれば、そこには子供を祝う感情しか無い。つまり、呪歌としての価値は無い。だからこそ、こいつらも戸惑っている。



「……ちーっと通してくだしゃんせ。御用のないもの通しゃせぬ。この子の七つのお祝いに。お札を納めに参ります……」



 だが、それは三流の考えだ。歌は自由だ。邪道な解釈でも強引な解釈でも、そこにその解釈と合致する強い感情を付随すれば、どんな歌でも呪歌たり得る。ようは歌い手の問題だ。



「行きはよいよい……帰りはこわい。こわいながらもとーおりゃんせ……とーおりゃんせ」


「何ガシタカッタンダ、コイツハ」


「モウイイ、殺……ん。あれ。わたし」


「……ミカ? あ……行かなきゃ」


「うん。行きなきゃ」



 おれの呪歌は女が持っているマイクでその効果と範囲を増幅させた。眩暈めまいがする。おれの命なんてどうでもいい。大事なのは。



 ガチャ。ガチャ。ガチャ。ガチャ。



 あちこちでドアを開く音がする。『通りゃんせ』に反応してお客さんが部屋を出る音だ。虚ろな顔が見えた。いま、彼らに意志は無い。



「行かなきゃ」


「うん。ここに帰ってきちゃダメだ」


「行かなきゃ。この子の七つのお祝いに」


「帰るのはこわい」


「こわいね」



 呪歌の靄から彼らは解放された。当然、お金は払っていないわけだが。おれも討村もクビか? だけど、向こうに隙が無かったら、『通りゃんせ』を歌うヒマも無かった。仕方ない。



 意識が失われていく。喉がかすれるように消滅していく。弾かれた音が次第に失せていく。死ぬんだ、おれ。ははは……あれくらいの呪歌で。本当におれ、才能無かったんだな。



 あぁ……最後に歌えて良かったなぁ。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 なんか、これまでのお話とテイストが違う。怖くない。それどころか、勇気すら湧いてくる。彼は最後まで他人の為に頑張ったんだね。


 ええ。勇気ある振る舞いでございました。


 この討村っていう後輩は助かったの。


 もちろんです。カラオケの客たちは呪歌の毒が少し残ってしまいましたが、討村さんだけは無傷でした。科学的にこの事態を解決することは難しいですが、晦元さんが24番室で変死していたのもあって、穏便に済んだようです。


 良かったね。あれ、もしかして、ぼくが今日の音楽の授業で上手く歌えなかったって言ったから、このお話をしてくれたの?


 見抜かれてしまいましたか。ええ、そうですよ。歌には力がございます。それこそ、呪いと言っても過言ではない強制力が。無意識のうちに歌いたくないなんて思ってしまうぼっちゃまはきっと、感受性が強いのでしょう。


 ……恥ずかしいだけだよ。


 わたくしはそうは思いません。


 ねぇ、ばあや。呪術師って今でもいるの? こんな風に人を殺したりするの?


 残念ながら。前にお話し致しました“アサヒナさん”のようなことは全国で起こっております。この世界に存在する神秘の力を利用したり、信仰を逆手に取ったり、様々な手で人は人を殺すのです。


 許せないよ。


 ぼっちゃまは優しいお方ですね。


 ……なんか眠くなってきちゃった。


 喜ばしいことでございます。


 おやすみ。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る