貴族
仮面の少女と共にやってきた老爺。
恐らくその風貌からしてローエスト伯爵家に長らく仕える使用人かなんかであり、僕の記憶には残っていないが、それでもこちらのことを見て知る機会があったのだろう。
「あ、貴方がなんでこんなところにおられるのですかっ!?ハブラアム侯爵閣下!貴方ほどの御方がこんなところで!」
「……何さー、僕はもう引退しているんだけどぉ。今の僕はただのノアだよ」
「ご冗談をっ!」
ということで僕がハブラアム侯爵の当主であったことを知っている老爺はこちらへと熱心に声をかけてきている最中であった。
「貴方であればこの国さえも変えられるはずです……!このようなところで立ち止まっているような人物でないはずですっ!」
「ま、待って?爺や。さっきから何の話をしているの?ノアさんは何処にでもいる魔道具店の店長だよ?」
そんな老爺へと、彼の隣にいた仮面の少女が疑問の声を投げかける。
「何を言いますかなっ!若くして自身の権力基盤を確固たるものとした後、その剛腕でもって衰退しつつあった領地を王国随一にまでたった三年ほどでもっていったまさに天下一の英傑ですぞ!それを知らぬとはあまりにも勉強知らずにも程がありませすぞっ!」
そんな仮面の少女に変える老爺の発言の熱意は凄まじかった。
こちらの方が押されてしまう。
「所詮、僕は部下からクーデターを起こされた残虐公に過ぎないさ」
「貴方ならば問題なくそのクーデターを跳ね返せるでしょうっ!」
「ふぅー」
確かに、今であれば問題なく勝てた。
でも、未来においてはその限りではないと僕は知ってしまったのである。
だが、それでも必ずしも世界が異世界のゲームの記憶通りに進むというわけではないだろう。
あの場で、僕が前世の記憶を思い出したあの日、自分が妹を反逆罪で処刑する決断を下すだけで歴史は変わるだろう。
いや、何なら今でも。
「……」
既に僕は前世の記憶と今世の記憶。
その両者には折り合いをつけているし、当主としての激務の中で擦り減っていた精神の方も回復している。
既に今の僕は過去と違い、余裕も生まれている。
もっとうまく立ち回り、クーデターが起こらないように立ち回ることだって可能だろう。
だが、だがだ。
「……僕は、今の地位に満足しているから」
僕は自分の掌の方に視線を落としながら答える。
今の、僕に……果たして、当主という座に耐えられるだけの器は……。
「何を……何を言っておられるのですか!貴方は貴族として生まれ、その過程で多くの利益を享受しながら育ってきたのです。庶民の血税より育ち、教養を蓄えてきた貴方には庶民へと利益を還元する義務があるのです。ただ、貴方個人が富むのではなく。それこそ貴族の責務なのです」
「……っ」
貴族としての在り方。
僕がまともに教育されてこなかったそれを真正面からたたきつけてくる老爺を前に思わず表情を歪ませてしまう。
「その庶民こそが僕にノーを突きつけたのだ。その事実だけで十分だろうよ。彼らが選んだ決断だ」
あのクーデターを支持していたのは何も自分の部下たちだけではない。
「ですがっ!」
「あとさぁ、声大きいってばぁ」
僕は老爺の言葉をまともに受け取らず右へと流しながら苦笑と共に言葉を告げる。
「周りから目立っているんだよぉ」
扉を開けっぱなしにした状態で貴族だ何だと話しているせいで周りから非常に目立ってしまっている。
おかげで魔道具店の周りには人だかりが出来ている……お客として店の中に入ってくるものは誰もいないのに、だ。
もう全員が野次馬根性丸出しである。
「僕は元の地位に戻るつもりはない。今さらどんな面をして戻るのかって話だしね……とりあえず今日はさっさと商談を終えた後、帰ってくれよ。ここで、僕の意思が揺らぐことはない」
自分に当主としての座を再び手にすることを力強く進めてくる老爺に対して、僕ははっきりと自分の口から復権することはないと断言する。
「本当によろしいのですが!すでに貴方様が治めていたバブラアム侯爵家の方は限界寸前ですぞっ!犯罪率は急増し、他国の間者が入り乱れ、経済も崩壊する寸前なんですぞっ!?あの小さき少女に当主としての器はまるでありませぬっ!」
「……は?」
だが、そんな僕の意思は老爺の驚愕すべき言葉を前に早くも揺らぎ始めるのだった。
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