浪速区紳士録【番外編】

崔 梨遙(再)

1話完結:約1000字

 知人の石原は、焼き鳥が好きだった。飲みに行くときは、必ず焼き鳥屋だった。特に“ねぎま”が好きだった。石原と言えば焼き鳥、そういうイメージが定着していた。


 或る日、石原はボンヤリしていた。何か考え事をしているのはわかる。大好きな焼き鳥、“ねぎま”を食べることも忘れているようだった。いつもは先輩が話をして僕が聞き役なのだが、その日は僕の方から声をかけた。


「石原さん、何を悩んでいるんですか?」

「聞いてくれるか?」

「はい、僕でよければ」

「俺、結婚して3年になるやんか」

「はい、知ってます」

「子供、いてへんやんか」

「奥さんが不妊症なんですよね?」

「そうやねん。不妊治療に行ってるんやけど」

「それが、どうしたんですか?」

「俺にも原因があったんや」

「石原さんにも?」

「“もしかして”と思って調べてみたんや。俺の精液に精子は無い」

「ほな、奥さんの不妊治療が終わっても子供出来ませんやん」

「そやねん」

「なんで、最初に調べなかったんですか?」

「嫁さんを病院に行かせたら不妊症やと言われたから、てっきり嫁の問題やと思い込んでたんや。まさか、俺にも原因があるとはな」

「早く奥さんに伝えなアカンのちゃいます?」

「そやなぁ、やっぱりそうやなぁ」



 しばらくして、また僕は焼き鳥屋に連れて行かれた。


「今日はひどく悩んでいるみたいですね」

「昨日な」

「はい」

「いよいよ、俺が無精子症だと嫁に言おうと思って、腹を括って帰ったんや」

「はい、それで?」

「ほな、豪勢な料理で、何かのお祝いみたいな感じやったんや」

「はい、それで?」

「“今日は何のお祝いや?”って聞いてみたんや」

「はい、それで?」

「嫁が嬉しそうに、“赤ちゃんが出来たの-!”って言うたんや」

「え! それって……」

「そういうことや」



 翌日、石原さんは朝一番に辞表を提出して消えたらしい。


 後日、電話があった。


「石原さん、今、どこにいるんですか?」

「お前の知らん街や。嫁とは別れる。誰も知らない街で、再スタートや」

「ほな、もう石原さんに会われへんのですか?」

「俺がこの街で幸せになれたら連絡するわ。それまで、お別れや」

「はい、ほな、それまで」

「じゃあな!」



 それから、焼き鳥を見る度に石原を思い出すが、まだ石原からの連絡は無い。







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