第3話 早朝 朝練 ナイショバナシ
早朝の柔らかい陽が板張りの剣道場を照らしている。
生徒がまだほとんどいない、この時間の空気が好きだ。
剣道着を着て正座をしていると心が静かになっていく。
精神が凪いだら、竹刀を握り振るう。正しく振り下ろせば、空気を裂く鋭い音が鳴る。
余分なものがそげ落ち研ぎ澄まされる感覚、それに割って入ったのは緩くてハスキーな声だった。
「がんばってるね~」
「うぉう!!」
振り返るとアロマさんがいた。
自分1人しかいないと思っていた空間に他の人がいると普通にビビる。集中しているときは特にだ。
羽でパタパタと浮かぶアロマさんは、俺の驚きに反しマイペースな様子だ。
「やほ~。昨日ぶり?…5時間ぶりくらい?」
「あぁ、昨日ぶり。…どうしてここへ?」
汗を拭きつつ尋ねる。
そろそろ初夏に差し掛かるとはいえ、朝方は汗をかくと少し冷える。
「あたし学校生活って興味あってさ。見学に来ちゃった」
「じゃあ入校許可証とかは貰ったか?」
彼女はぽかんとした表情をした。
「なにそれ」
「部外者が学校に入るために必要な書類だ。貰っていないのか?」
訝しんで聞くと、悪びれもなく返された。
「存在自体しりませんでしたね」
「…胸を張っていう事じゃないと思うが。じゃあ事務室が9時に開くはずだからそれを待ってからもう一度」
もう一度改めて来ればいい。そう続けようとした時、剣道場のドアが開けられた。
「おい白木。誰かいるのか?」
「あっ、先生…!」
顔をのぞかせたのは顧問の先生だ。使用申請は俺1人だったのに話し声がしたから様子を見に来たらしい。
まずい、ここには飛んでいるサキュバスの不法侵入者がいるんだぞ。スリーアウトだ。
俺は慌ててアロマさんを隠そうとする。
先生は剣道場の中を覗き込み、左右をちらっと見てから言った。
「ん?お前ひとりじゃないか。……なんだそのポーズ。まぁいい、朝練はそろそろ終わりにしておけよ」
扉がばたんと閉じられる。後にはアロマさんを隠すために、はしゃいだ集合写真みたいなポーズをとってしまった俺が残された。
アロマさんを振り返ると、膝を抱えて気ままにぷかぷか浮いている。
「サキュバスだからね~。姿を消すのはお手のものですよ。見せたい人に姿をみせるのもね。言っときゃよかったな」
「そうか…」
妙なポーズから体勢を戻す。我に返ると少し恥ずかしい。
アロマさんの言う通り、漫画などで見るサキュバスは不思議な技を色々持っている気がする。
「他にもあるのか?」
興味本位で聞くと、アロマさんは「うーん」と考えたあと口を結んだ。
(こんなのがあるよ。テレパシー)
「うわっ!」
頭の中に直接声が響いてくる。記憶にある声を再生するのにも似た不思議な感覚だ。
戸惑う俺にアロマさんが続ける。
(あたしに向けて脳内で話しかけてみて)
脳内で話しかけるってどうやるんだ。考え事とは違うのか。
悩めば悩むほどできなくなる予感がしたので、とりあえずアロマさんをまっすぐ見ながら伝えたいことを思い浮かべる。
(こ、こうか…?つたわっているか?)
アロマさんがにこっと笑って指でオーケーのサインを作る。
(伝わってる!ちゃんと聞こえてるよ~これで周りに人がいてもおしゃべりできるね)
翡翠の目を細めて、ニッと歯を見せて笑う。
アロマさんはつくづく愛想がよく、距離感が近い。俺としてはいちいち心拍数が上がる。
だが、これが彼女の性格なのだろう。もしくはサキュバス特有のものかもしれない。どちらにせよ、アロマさんと交流を続けていくなら早く慣れなくては。というかこういう思考なども読まれてしまうのだろうか。
思考を巡らせる俺を見て、アロマさんが「あ、」と気づいて言った。
「伝えておくけど、普通に考える分には思考は伝わってこないから大丈夫だよ」
「そ、そうか」
「まぁ読もうと思えば読めるけど」
「読めるのか!」
反射的にガッと頭を抱える。
普段考えているあれやこれやが筒抜けになったらと思うとぞっとする。
本当にマズイ。人にお聞かせできるものではない。
焦る俺をよそに、アロマさんは淡々としている。
「読まないけどね。おしゃべりで教えてもらうほうが好きだし」
「そうか…」
それなら少しは安心、なのか?
胸をなでおろしかけた俺に、アロマさんが人差し指を突きつけた。
「あ、でもあたし以外のサキュバスには気を付けて。なんでもやるから、マジに」
たいていは眠そうにしている目にぐっと力を入れた、真剣な表情で言われた。
反射的に背筋が伸びる。
「それって、どういう」
言葉の意味を聞こうとした時、朝練終了のチャイムが鳴り響く。
まずい!まだ道場の掃除もしてないぞ!
「アロマさん!続きはまた後で教えてくれ!」
急いで掃除用具を取りに行く俺の脳に(お~け~)とテレパシーが届く。便利だなコレ。
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