カローンの舟を漕ぐあなたへ

与野高校文芸部

カローンの舟を漕ぐあなたへ

 古今東西、遥か昔も連なる今も。彼の世と此の世の狭間には、川が流れる。大きな大きな、何処から流れ、何処へと行くのかも知れない川が流れる。神話にいわく、人の魂はその川を渡り、幽明境ゆうめいさかいにするのだという。


「たまに、、のではないような気がするんだ」


 この子の手の平が、脆く繊細な笹舟をひどく慎重に静かな川面に浮かべる。簡素な造りの舟は、くるり、くるりと水の流れに遊ばれながら、遠く、遠くへと駆けていく。


 郊外。都市の喧しい光の届かぬ此処は、それこそ宝石箱を転げたような満点の星空を拝める場所で。夜闇に黒く塗り込められた川に幾万いくまんもの金剛石のような綺羅星きらぼしが映り込んで、足元にそれこそ天の川が流れているような有様だった。


「わたし達は皆、岸も見えない大きな川に、小さな小さな小舟を浮かべているだけで。遠くへ流れて行くことを一生と呼んでるだけなのかもしれない、なんて」


 憎悪の満ちるステュクスか、悲嘆のよどむアケローンか。少しバランスを崩せば、少しかじを誤れば、たちまち呑まれてしまうような。そんな恐ろしい川の上に、生まれ落ちたその瞬間から舟を浮かべている。自分一人がぽつんと乗った、それきりの舟を走らせている。


「そんな川の上で、ほんのひと時でも舟先へさきを並べられたなら」


 不安定で、頼り無さげな舟に必死にしがみついて。かいを握ってわずかでも流れの緩やかな場所へと漕ぎ出す。

 皆が皆、そんな風に自分のことに精一杯の中、孤独な舟を二艘にそう並べることが出来たのなら。きっとそれは、例えようもない幸運で、言い表せない幸福なのだろう。


「わたしは君の舟には乗れないし、君をわたしの舟に乗せることも出来ない」


 舟はどうしたって一人分で、誰かと相乗りすることなんて到底出来やしない。無理にそうすれば、きっと舟ごと二人で沈んでしまう。

ゆえに、いつ離れるともしれなくても、舟を二艘、気紛れな水の流れの中並べる他ないのだ。


「だから」


 暗がりに、ぼんやりとした人工灯に照らされた柔らかな瞳が、まるで灯台のあかりのように温かくまたたく。


「君が、この川の流れの果て。遥か彼方の大海原へ辿り着く旅路。その中でほんのひと時を、わたしの舟と並んでくれたことが」


 この子の笹舟は、星の川の中、もう何処にも見当たらない。遠くへ行ってしまったのか、それとも冷たい川底に沈んでいったのか。まだ自分の笹舟を流してもいない私には、知る由もなかった。


「わたしは何よりも嬉しい」


 穏やかな声を乗せて。さらさらと、さらさらと川は流れ行く。どうせ、今の話も聞いていたのだろうに。少しくらい、ゆっくり、ゆっくりと流れてくれてもいいだろうに。


 ふと、気がそぞろになっていたのか、手の平から私の分の笹舟も、この子と比べれば大分荒っぽく水面に落とされる。

小さな飛沫を跳ね上げた舟は。けれど意外にもしっかり舟先を川下かわしもに向けて、先に行った舟を追いかけて行く。


「それでは、私は君に舫綱もやいづなでも繋いであげようか。」

 主に、その空っぽな薬指に。私は川の流れなんてものに自分を左右されるつもりなんてさらさらないのだから。満天の星空の下、一歩二歩と近付いて、柔らかな笑みを浮かべるこの子の左手をとる。

 あなたの其の薬指に、金色の舫綱は随分と映えることだろう。

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