◆薄幸白豚令息と、愛の重い専属メイド◆

ナユタ

★第1話★ いつもの風景。


「あの、そういうことで誠に申し訳ありませんが……ヴィクター様との婚約のお話はお断りさせて頂きたいのです」


「そうですか、分かりました。本日は手紙でなくわざわざご足労頂きありがとうございました」


「いいえ、誠意のないことを申し上げたのはこちらの方ですから。今回はご縁付くことはありませんでしたが、どうかヴィクター様も運命のお相手が見つかることをお祈り致しておりますわね」


 言葉ほど申し訳なさそうには見えない、けれど本当に好きな相手を見つけたのだろう幸せそうな令嬢は、今まで見た中で一番丁寧なカーテシーと甘いコロンの香りを残して屋敷から帰っていった。


 前回までのデートがこれまでのどのご令嬢達よりも和やかだっただけに、今回のお断りは流石に堪える。むしろ駄目元でうちとは別に話を進めていた縁談があったというのもどうかと思う。


 けれどそれも仕方がないことだ。問題があるのは彼女達だけでなく、こちらの方にもあるのだ。


 ヴィクター・グラッセ。一応グラッセ子爵家の長男ではあるものの、お飾りという立場の僕に嫁いだところで肩身は狭いだろうし、何より自分で言うのも悲しいが、僕は無類の不細工だった。


 髪は多ければ良いというものではないほどの剛毛で、色も灰色に近い鈍色。あと体格は控え目に言ってもデブ。悪くて野ブタ。目は濁った緑なので相手が不快にならないよう、前髪の下に隠してあった。


 流石にまだ面と向かって見合い相手から言われたことはないものの、目は口ほどに物を言うもので、こちらの目が前髪の下に隠れているから見えないだろうと思った相手は、大抵顔合わせの瞬間に汚物を見る目になる。無理もない。


 見合い相手が去ったあと本邸から借りていた使用人達も帰っていき、重たい身体を引きずるように使用人のいない屋敷の中を歩いて自室を目指すが――。


「おめでとうございます、ヴィクター坊っちゃん。本日のお見合いで通算成績三十戦三十敗です」


 見送りに出た玄関ホールから自室に戻って聞く第一声がこれだ。実験がしやすい大きめのテーブルの上には、ところ狭しとお菓子や軽食が乗っている。僕はそのテーブル横で紅茶の準備をしている人物に目を向け、一度長い溜息をついてから口を開く。


「今のどこにめでたい要素があるのか教えてくれるかい、アシュリー?」


「顔で人品を決める女性に坊っちゃんが騙されないで済みました。いつまでも清い坊っちゃんでいて下さって嬉しいです」


「子爵家の長男がそれだと色々問題があるんだよ、アシュリー」


「まぁ、昼間から大胆なお誘いですね。ですが坊っちゃんのお望みとあれば……」


「違う違う違う。断じて違うから。あと毎度言ってるけど、この歳の男を坊っちゃん呼びするのは止めてくれ。そもそも君は僕より歳下だろう」


「いちいちヴィクター様が訂正される姿を拝見するのが好きなもので」


 あっけらかんとそう言う彼女……アシュリーは、何が楽しいのか十年もこんな僕の専属メイドを勤めてくれている。今年で二十四歳の僕の五歳下。


 美しい黒髪を太い一本の三つ編みにして背に垂らし、くっきりとした二重の下から深い青の瞳でこちらを見つめて笑う姿は、口を開かなければ愛らしい。しかしその実態は、主張の激しい胸をわざと少し大きさの小さいお仕着せに押し込む邪悪なメイドだ。


 九歳の頃に彼女の両親が流行り病に罹って死に、本人も住んでいた村から追い出されて一人森で行き倒れていたところを、ちょうど趣味の調薬のために薬草収集をしていた僕が拾ったのが出会いだ。


 何故そんなところに子爵家の長男がいたかというと、今はもう亡くなっているが、本妻だったものの病弱で薬に過敏で拒絶反応を起こす母に合う薬を作るため、尚且父の愛人とその息子の三人がいる本邸にいたくなかったからで。


 最初は彼女を母のいる別邸の下働きとして雇うことに難色を示していた父も、僕が作る薬の被験者として手許に置きたいと言えば許してくれた。


 実際に拾ったばかりの頃の彼女は両親と同じ病に罹っていたので、その特効薬を作る際にはとても良い患者見本として利用でき、父の名で売り出した特効薬は飛ぶように売れてうちの財政を潤したのだ。


 家を継げるのが長男だけという理由から生かされ、恐らくそのうち事故死に見せかけて葬られて弟に家督を継がせる前に、使えるだけ使おうという腹だろう。


 しかし僕と彼女を可愛がってくれた母の薬は残念ながら間に合わず……母は最後まで父の名を呼び、息子の心配をして逝った。今となってはもう愛人から後妻に収まり本邸で威張る継母の仕切るグラッセ家で、亡き母の記憶を共用できるのはアシュリーだけだ。


「あら残念。それはそうとヴィクター様、もう無謀なお見合いで心が折れる前に私で手を打ちませんか?」


「いつも思うんだが、君の会話には脈絡がないよね。あと恥じらい」


「ありがとうございます」


「褒めていないよ……」


 十九歳の彼女だって世間から見れば適齢期が危ないだろうに、本人は一切気にした風がない。それどころかよくこうして際どい発言でこちらをからかい煙に巻く。


 彼女は椅子をひいて座るよう促すと、不毛な会話に肩を落とす僕に満面の笑みを浮かべ、ティーポットを傾けて紅茶を注いでくれた。


「第一君は仕事もできておまけに美人だ。そんな悲しい冗談を言わなくても、僕が君に似合う男を見つけてみせるよ。あと、本邸の弟には絶対にその手の冗談は言わないように。父の目にも触れないよう気を付けて」


「ああ……あのク○野郎様でしたら、以前ヴィクター様と私の身体を共有するほど女にお困りですかと申し上げたところ、少し大人しくなられましたわ」


「ちょっと待って? 何でそんなに紛らわしい言い方をするんだ? あとク○野郎に様をつけても敬ってることにはならないよ」


「敬う心など日差しの中で舞う塵ほども持っておりませんので、様式美のようなものですわ。それよりも……紛らわしい言い回しとは、いったいどんな共有の仕方をご想像なさったのでしょう?」


 サラッと不敬なことをのたまったアシュリーは、紅茶を飲もうとしていた僕の肩にその主張の激しい胸を乗せ、そう耳許に甘く囁きかける。どこで教育を間違えてしまったんだろうか。


「と……とにかく、今度からそういう言い回しは控えるように。あと距離が近い」


「うふふ……ヴィクター様のふくふくしい頬や、ポヨポヨの二の腕、日向で蹲る猫に匹敵するお腹に、赤ちゃんのようなぷっくりお手て、お顔の面積に合わない丸いお鼻や、蜂に刺された如く厚い唇は、このアシュリーの癒しです。ですから他の殿方には興味がありませんの」


「流れるように人の劣等感を抉ってくる」


「とんでもございません。手放しで褒めておりますわ」


「それが本心なら君の目はどうなってるんだろうな」


「ご安心下さいヴィクター様、私は正気です。それに心配なさらなくても、柔らかいヴィクター様のお身体でも唯一すぐにでも固くできる場所が――、」


「アシュリー昼間!! あと品と恥じらい!!!」


 スッと伸びてくる細い手首を慌てて掴み、ティーカップを乱暴にソーサーに戻して怒鳴ると、彼女はまったく悪びれずに「では夜にでも」と真顔で頷く。いつもがいつもこの調子なので結局今回も見合いの連敗を引きずることはできず。


 隣の椅子に座ったアシュリーに「アーンをさせて頂ければ大人しくしますわ。今は」と脅され。彼女が作ってくれた食事を次々と口に運ばれて。また身体が重さを増した気がする別邸の昼下がり。

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