とある並行世界の春の終末

卯月二一

第1話 『天使の化石』

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主。の光榮は全地につ。


イザヤの預言書6章3節より




「先輩、待ちましたか?」


 アカリだ。実は三十分も前から待ってたなんて言えない。初めて見る私服姿のせいで少し返事が遅れる。彼女の白のワンピースがまぶしい。


「あ、ああ。ちょうど2時きっかりだね。俺はさっき着いたところ」


 第七区画、国立の美術館や劇場があるこの場所も、祝日の今日はいつもより家族連れなんかが多く見える。


「第三区画よりはマシですね。途中通ってきましたけど人であふれかえってましたよ」


「あそこは商業地区だからね。国の特別支援電子クーポンの期限が今日までだし仕方ないよ。俺はもう全部使い切った。アニメにすべてささげたよ」


「ふふ、私もですよ。『魔法少女マジマジ』グッズでいっぱいです」


 そんなことを言いながら俺たちは目的の国立美術館を目指す。今日は『再生さいせいの日』。二十年前の世界的な大災害だいさいがいを忘れぬようこの日を多くの国が祝日としている。その災害以降、この国を支えたのは自動車でも半導体でも観光でもなく、『アニメ』であった。


「大災害以前の偉大なる職人たちの作品が俺たちを待っているのだよ。分かるかねアカリくん」


「ええ、もちろんです。先輩!」


 これが彼女とのデートではないことは残念だが、二人しかいない我が校の歴史探究部れきしたんきゅうぶの立派な課外活動である。決して趣味の延長などではない。有名な建築家が設計したというガラス張りの不思議な形状の建物に足を踏み入れる。


「これぞ原点にして頂点!」


 災害の瓦礫がれきの中から奇跡的に発見されたセル画の展示、可能な限り修復されたデジタルデータの上映、薄汚れてしまってはいるがキーホルダーや缶バッジ、フィギュアなどもガラスケースの中に並んでいた。当然、現存するアニメの情報はすべて俺の頭の中に入ってはいるが、購入したパンフレットに目を通しつつそれらを丁寧に鑑賞していく。


「先輩、あれを見てくださいよ!」


「ん? ああ、それか……」


 一際大きなガラスケースが見えた。すぐ側にはガードマンなのだろう制服を着た小太りのおじさんの姿もある。


「行きますよ!」


「俺はそれには興味が……。お、おい!」


 俺は手を掴まれて引っ張られる。その展示物よりもつながれた柔らかな手の方に意識は持っていかれる。


「これを見るのも今日の目的なんですからね」

 

 俺が放されてしまった手の余韻よいんひたっていると、アカリはそんなことを言う。


「キリル文字だっけこれ?」


など多くの国で使われていますね。二十年前の大災害ではユーラシア大陸全体も同様甚大じんだいな被害を受けましたから。共に復興を成しげたことを祝ってかの国から贈られたものですよ」


 ロシア語で書かれたプレートには日本語で『天使の化石』とある。


「何というかメルヘンチックな名称だけど、どこに天使の要素があるんだい?」


「そんなこと知らないですよ。発見した考古学者のセンスですから……」


 それは真っ黒で表面に脈のように見える線状のものが浮き出ている。俺のセンスなら『悪魔のたまご』というべきものであった。


「天使って卵生らんせいなの? たしかに鳥みたいに翼のあるイメージだけど」


「さ、さあ?」


 パンフレットの説明を読むと、これは数年前崩れた断層から発見された未知の物体であり世界的にも話題になったようだ。俺は当時高校受験に向けて頑張っていたからかそのニュースは知らなかった。


 科学者たちもお手上げだったようで、それがかえって創作物を作る人たちの想像力をき立てたようだ。今度、かの国との共同制作で映画が制作されるらしい。


 この謎の物体は複数個発見されており、このように世界の主要先進国へ配布されているということだ。あの大災害でかつての侵略戦争は有耶無耶うやむやになってしまったが、かの国は二十年経ってようやく国交回復に乗り出したのだった。


北方ほっぽうの領土問題もあの辺一帯が沈んでしまって公海こうかい扱いだろ。あのメガネ総理も国交回復に積極的だし、きっと昔のこととして全部無かったことにするんじゃないかな」


「えっと……。そういうことも含めて私たち『歴史研究部』のテーマじゃないですか。先輩、ウチは『アニメ研究部』じゃないんですからね」


「アカリ、お前がそれを言うのか?」




 数日後、かの国から世界にばらかれた『天使の化石』は、一斉に脈動みゃくどうを始めた。ただの無機物だと思われていたソレは生命体として成長を始める。


 人類は気づくのが遅すぎたのかもしれない。いや、かの国の政府は知っていたのかもしれないが今となってはもう誰にも分からない。


 かつて地球と呼ばれた青い生命の惑星は、死の星と化した。


 空は、3対六枚の翼を持つ異形の怪物が支配している。


 それはかつて人類が想像した熾天使してんしセラフィムの本当の姿であり、わずか残された人類に希望ではなく絶望を告げるの使徒であった。




 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る