わたし

 そっと風が吹いて、私の髪の毛を弄んだ。風に吹かれたせいで鼻の奥がツンとして涙腺が刺激された。あふれそうになった涙を堪えて、平静を保つ。偽ったところで意味は無いのに、偽ってしまう。誰かに見られている気がしているとかでは無いし、脅迫じみた感情を持っている訳ではない。

 空間が霞んで消えていく。感情が歪んで消えていく。それに伴って私の存在意義も消えていく。

 元々私はそういう人間だった。そのときだけ私がいて、そのときが過ぎれば私の存在が消えていく。記憶に残らない人間。私は透明人間。幽霊に似たもの。存在価値のないゴミのような人間。

 ぼんやりと展望台から町を見下ろしていた。ぬるい風が私を包んだ。感傷的な感情が温かさで満たされて、はっとした。目が覚めた気がした。まるで、かぜが泣いている。そんな気がした。もしかしたら、風に私の涙が混じったのかもしれない。申し訳ないと思う。

 目を閉じる。

 暗闇が視界を支配する。

 どうすればこの暗闇に慣れるのかと考えてみる。

 多分、慣れない。だって、私はもう、無理なのだ。だって、孤独を感じるには私は孤独に慣れすぎてしまっているし、透明であることに違和感を覚えるよりも色がついているほうに違和感を覚えてしまう。私は何もかも遅いのだ。

 目を開けると、少し眩しくなった世界が幕を開ける。さっきまでの世界とは違う世界。多分、どこか違う世界。

 さっきまで、私の隣には昔の同級生がいた。私だけ名前を覚えていた。けれど、向こうは気がついていなかった。少なくとも私を目に捉えていたはずだった。けれど、私を覚えていなかった。それが当たり前のことなのに、それを受け入れられない自分がいる。私は誰にも覚えてもらわない事を求めていたというのに、その目的が達成されてしまった今では過去の選択を、行動を後悔している。

 もう逃げ道はない。過去に戻れない。未来に行く先もない。答えなんて始めからなかった。

 私は彼女を覚えていた。

 彼女は私を覚えていなかった。

 求めていた結果のはずだった。

 結果が得られてうれしい気持ちになるはずだった。終わってわかったのは、さみしさだけ。

 ほかの人たちが自分の人生に彩りを着けるのなら、私は自分の人生に虚ろを塗り続けなければならない。これが私に課した業である。

 また風が吹いた、

 また、風に涙が混じった。

 涙が溶けて、私の存在が溶けた。

 私は、風になった。溶けた。消えた。見えなくなった。サヨウナラ。

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