月1小説

アラタネコ

お題「川」

皆様こんにちは。いや、時間次第ではこんばんはだろうか。

それはさておき、「河童の川流れ」という言葉をご存知だろうか。その道の名人でも失敗することがある、というものである。

似たような意味で、弘法にも筆の誤り、猿も木から落ちるという言葉も存在する。

これからお話するのは、ある1つのきっかけから、人生が川の如く流れて言ってしまう、とある小説家の話。

私がタイトルを付けるとしたらそれは…


「人生の川流れ」でしょうか。


それでは、お聞きください。


私は水井くらり。本名を隠し、ペンネームで活動を続ける小説家だ。自分で言うのもあれなものだが、誰もが名前を知る有名小説家だ。初作である、「月に届かぬ。」は私の想像を超えて異例のヒットを打ち出し、社会現象にまでなってしまった。その後、2作目3作目と作品を続けて出し続け、小説家として成功してそろそろ7年が経とうとしていた。これまで世に出してきた作品は40を超える。シリーズ物に単発物、短編集もなんのその。どんな形の作品も容易く書けるほどの才が私にはあった。

しかし、満足できなかった。これまでの40本。思いついたものを書いてきた。私の意欲そのものを映し出し、それを文字に変換させてきた。しかし、そのように生まれた作品に私が愛することは無かった。所詮私の考えたことを文字にしただけ。初作に関しても、こんなことだれでも考えられる。ありふれたものだ。そう考えていたが故に、作品に大きな反響があったことに衝撃を受けた。誰も思いつけない独特な世界だ!くらりは天才だ!はっきり言おう。馬鹿だ。私のゴミも同然な作品に虫のごとく付きまとう人間たちは脳が無いのだろうか、頭にはなにも詰まっていないのかさえ疑った。

今の生活に不満はない。知らないうちに高層マンションの高い部屋で生活し、食べるものは高品質、普通の人間どもが心から望むだろう生活を送っている。はっきり言おう。退屈だ。創作意欲が全て失われるような、なんというか、暇だ。どうしたものか…

ということで、散歩に出かけることにした。あんな家にいたら心も頭も何もかもが腐る。外にいれば少なくとも何かしら頭を刺激するものに出会える気がした。やはり外の空気は美味しい。春休みの期間だからだろうか、小学生ぐらいの子供たちが川の近くで騒いでいる。どれどれ、何をしてるのかなと覗いてみると、そこには1人のうずくまった少年を体の大きい少年達が囲っていた。間違いない。いじめだろう。全く、何をしてるんだか。暇つぶしも兼ねて、そのいじめの輪に近づいた。いじめをしているであろうガキ共は私に気がつかない。私は声を一段と大きくして笑う1番のガキの首を掴み、持ち上げた。そのガキは声を止め、顔を青くした。周りのガキは、一段と騒ぐ。なにするんだ、離しやがれ、殺す、と。私は皆に聞いた。何故こんなことをする?何の意味がある?と。すると全員静かになり、少しして私がつまみ上げたガキを指さして言った。こいつにやれって言われた。なんと愚かだろうか。だがこれは興味深い。日本人は立場が上の奴に言われたことに従う愚かな生物とよく聞く。その通りだったようだな。いじめというこの世で最も愚かな行為をすこしだけ立場が上の人間に言われたからと言って行う。愚かで、汚らわしくて、私の創作意欲を刺激する。今まで私には無かった道を直接知ることが出来た。人間がいくら愚かなのか、弱者を痛めつけることに快感を覚える強者。吐き気を催す邪悪。面白い。私はこのガキ共に言った。すると、彼らは私の言った通りの行動を起こし、私の目の前でそれを完遂した。やはりだ。私は一言、これで君たちの人生は全ておしまいだよ。そう吐き捨てて家に戻った。私の創作意欲が今までにないほどに溢れている。これまでの人生で唯一、作品に愛を持って送り出すことが出来ると確信した。

私の49作目、「塗れなさい。」が完成し、世に送り出された。確信は現実となり、唯一愛を持って最後まで見送ることが出来た。私の中では最高傑作と言っても過言では無かった。しかし、どうやら世間からは拒絶されてしまったようだ。私の元にはバッシングの嵐が訪れた。何故このような話を書くことができるんだ、人間じゃない、子供たちに悪影響だ、普通に気分が悪くなる、色々な批判が来た。肯定意見は一切見れなかった。ついには私への誹謗中傷が届くようになってきた。この作品を境に仕事も来なくなった。小説家としてはもう生きては行けないだろう。きっと、水井くらりは死ぬだろう。さて、人生全てを流して0からやり直すだろうか。

否、それの何が面白いだろうか。やり直す?やり直したところで行き着く場所は誰1人にも看取られて貰えない死ではないか?ではどうする。私が満足出来る結末とは。それは1つ。私は水井くらり。水井くらりという小説家は死ぬ。私は水井くらりでは無いが水井くらりを名乗り生きてきたのだ。ならば死ぬ時も水井くらりとして死ぬべきではないだろうか。

あの日の川の近くだ。あの日に少年のいじめに出会えたからこそ最高傑作が出来た。あの日少年のいじめに会ってしまったからこそ水井くらりは死んだ。失敗だったか成功だったか、今となってはどうでもいい。あの出来事があったからこそ今の結末がある。私は今、それが面白い。さぁ今こそ、私の人生を川に長そう。全て。


ありがとうございました。

「人生は川流れ」。その名にふさわしい結末だったと言えるかもしれません。

その後の世界で「水井くらり」という名前を覚えている人はどれくらいいるんでしょうね?私にはもう確かめようがございません。

それではこれで、閉幕としましょう。

本日のご案内は、「誰も覚えていない無名の元小説家」でした。

それでは。

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