第7章・潜入 #5
享愛の里の入り口に車を近づけると、それを見て男が1人近づいてきた。
「こんにちは。車はそのまま、天守様の館の方までお進みください」
いやに愛想よく笑顔で案内されるので、野崎は思わず苦笑すると車を敷地内へ乗り入れた。
「随分対応が違いますね」
徐行しながら進む車内から、宇佐美は外を眺めた。
先日来た時は出迎えどころか、誰もいなかったのに。今日は住民たちが姿を見せている。
それも、車とすれ違うたびに皆、笑顔で会釈だ。
その笑顔を見ながら白石は言った。
「感じのいい所じゃん」
「そうか?俺は逆に怖いぜ」
野崎の台詞に宇佐美は言った。
「人がいればいたで、それも不自然に見えるって、変な所ですよね」
すれ違う住民の視線が、獲物を見る様な目に見えてくる。
野崎はゾワッと鳥肌が立った。
目の前に白い大鳥居が見えてくる。
「ほら。お出迎えだ」
野崎の言葉に、宇佐美と白石は視線を向けた。
目の前で止まる車を見て、作務衣姿の小男――綿貫がゆっくりと近づいてくる。
「ようこそ、わざわざお越しいただきまして」
「こちらこそ。先日はどうも」
野崎たちは外に出ると、静かに辺りを見回した。
「倉持から話は伺っております。探している方を敷地内で見かけたとか?」
「えぇ。その事も含めて、少しお話を伺いたいんですが」
「そうですか……まぁどうぞ中へ」
綿貫はそういった後、「あぁそうそう」と手を叩いた。
「大変申し訳ないんですが、プライバシーの関係で携帯機器の持ち込みはご遠慮させて頂きます。車内の方に置いてからお入りください」
有無を言わせぬ言い方に、3人は顔を見合わせてから車にスマホを置くと、ゆっくりと屋敷の中へ足を踏み入れた。
「……」
宇佐美は一瞬躊躇したが、意を決して中へ入る。呼吸を止めていたが、恐る恐る息を吸った。
その様子を、野崎が心配そうに見つめている。
その目に、宇佐美は黙って頷いてみせた。
(大丈夫。臭わない)
今はね――と、心の中で付け加えて、慎重に辺りの様子を伺った。
中は昼間なのに薄暗く、やけにひんやりとしている。
純日本家屋の平屋だが、広さはありそうだった。使っていない部屋の襖は閉められており、内部は伺い知れないが、人の気配が全く感じられない。
「こちらで少しお待ちください」
そう言って、綿貫は襖を開けた。
客間だろうか。10畳ほどの和室で、床の間があり、花瓶に花が活けてある。
畳の青臭い匂いと、微かだが香の匂いも。
綿貫に案内された部屋で、3人はしばし所在なげに佇んでいた。
「意外とあっさり通されたな」
「倉持が話をつけておいたんだろう」
野崎はそう言うと、美波が音声を聞いていることを意識しながら遠回しに2人へ目配せした。
「倉持には何か思惑がありそうだった。だから、こっちの立ち位置は教えてないみたいだ」
警察の人間だとは知らない。だからそのつもりで動け――と。
白石と宇佐美は黙って頷いた。
――客間に通されてから30分。
「いやに待たせるな……」
白石が気になって襖を開けた。
薄暗い廊下が、左右に長く続く。
「俺たちの事、忘れてる?」
「そんなまさか――」
野崎と宇佐美も廊下に顔を出した。静かで物音ひとつしない。
「宇佐美……何か見える?」
暗い廊下をじっと見つめる宇佐美の横顔に、野崎は問いかけた。
「さぁ……特に何も」
「前に大きい影が見えたって言ってたけど、あれってどのあたり?」
「入り口入って、割とすぐだよ」
「行ってみるか」
そう言って野崎が廊下に出る。
「あのさ、俺、ちょっとトイレ行きたい」
「は?」
白石がモジモジしながら訴える。
「ずっと我慢してたけど、そろそろ限界」
「今?」
「こんなに待たされるとは思ってなかったんだよ」
「トイレってどこです?」
来る途中に見た、と白石は言うと、「すぐ戻るから!」と言い残して走っていった。
「1人で大丈夫かな?」
「まぁ……大丈夫だと思うけど」
そう言いながらも、嫌な予感が払拭できず、「やっぱり一緒に行こう」と宇佐美を促して、白石の後を追った。
廊下を進んで、突き当りを左右見回す。
「あれ?あいつどっちに行った?」
「来た時に見たって言ってたから、こっちかな?」
長い廊下の両サイドは同じような襖ばかり。
しかも暗くて、まるで迷路のようだった。
「こんなに入り口から遠かったっけ?」
「ここって……さっきも通りました?」
襖をあけて中を覗くが、どの部屋も同じような造りの和室で、方向感覚がおかしくなってくる。
「おーい!誰かいませんか?白石ー!」
「どなたかいらっしゃいますか?」
2人は襖を片っ端から開けて回った。人っ子一人いない。まるでキツネにつままれたような気分だった。
微かに灯っていた廊下の明かりが、その時怪しい明滅を繰り返す。
「――⁉」
宇佐美は思わず立ち止まって鼻を押さえた。暗い廊下の先から、漂ってくる腐敗臭。
あの臭いだ———
「……野崎さん」
呼びかけたが、返事がない。
「野崎さん?」
振り向いてハッとした。
野崎の姿がない。てっきり自分の後ろにいたと思っていたのに……
「そんな――」
宇佐美はイヤホンを出して耳に当てると、ピンマイクに向かって呼びかけた。
「野崎さん?どこにいるんですか?」
イヤホンからは微かなノイズ音がする。
「江口さん聞こえます?」
『…え……ぁ……――』
何か言ってるように聞こえるが、ノイズが邪魔して聞き取れない。
「野崎さん、白石さん、聞こえますか?どこにいるんです?」
大丈夫ですか—―…
そう聞こうとして言葉を切る。
宇佐美は大きく目を見開いた。
目の前の廊下を、黒い塊がゆっくりと這うように横切っていく。
ズズ……ズズ……ズズ……
濡れた、嫌な音を立てながら、ズズ……ズズ……ズズ……と。
強烈な腐敗臭を放ちながら、視界を横切っていく。
「あ……」
宇佐美は小さく呻くと、怯えながも、何故だが逆らえず。
その黒い塊に誘われるように、ゆっくりと後を追った。
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