第4章・兄妹 #1

 薄く開いた窓から、冷たい風が入ってくる。

 それでも、穏やかな日差しが差し込むと、もう初夏の陽気すら感じた。

 庭先に造られた小さな花壇には、今の時期に咲く花が日差しを浴びて揺れていた。 

 そこから、爽やかな草の匂いが風に乗って室内に流れ込んでくる。


 ぼんやりと窓の外を見つめたまま、椅子の上で身動き一つしないその女に近づくと、倉持は黙って肩掛けをおいた。

「寒くないか?」

 と声を掛けるが、女は無表情のまま、じっと窓の外を見つめていた。

 その顔から、彼女の感情を読み取るのは難しいが、言葉はなくとも気持ちは伝わってくる。

「少し出かけてくる。後で由乃よしのさんが来るから、それまで少しの間留守番頼んだよ」

「……」

 返事はないが理解はしていると感じて、倉持はその肩を軽く撫でると「じゃあ行ってくるよ」と耳元で囁いた。


 表に出ると若い男が数人、倉持が出てくるのを待ち構えていた。

 その男たちに目配せして、倉持は歩き出した。

 付近を少し警戒するように見回しながら、倉持と男たちは居住エリアから管理施設と呼ばれるエリアへと進む。

 そこには、コンクリートで出来た、2階建ての倉庫のような建物があった。

 男の1人が倉持の先頭に立ち、建物の入り口にいる別の男に何か耳打ちする。

 すると、辺りに素早い視線を向けて、男が入り口の扉を開けた。

 若い男たちが倉持を守る様に中へと誘導する。倉持は慣れたようにそのまま建物内へ入った。その後を、男たちも続く。

 見咎める者はいない。


 それは時間にして、ほんの数秒の出来事だった。




 享愛の里を訪れた翌日。

 宇佐美は美波に簡単な報告をメールで送った。

 その内容に興味を引かれたのか、美波の方から、ぜひ会って話したいと申し出があった。


『会って話せませんか?場所を指定してくだされば、どこでも行きます!』


 メールのやり取りでは埒が明かないと思ったのか、いきなりの直電話に宇佐美は戸惑ったが、どこでも行きます!という威勢のいい言葉には思わず苦笑してしまった。

「江口さんが来やすい場所でいいですよ」

『私はどこでも大丈夫です。宇佐美さんが来いっていうなら、地の果てでも行きますよ!』

「あはは」

 宇佐美は思わず声を出して笑ってしまった。

 相手の声色から、会って話がしたいという目的以外の何かを感じたが、その事には気づかぬふりをして、宇佐美は会う日時と場所を決めると、通話を切った。

「……」


(強引に踏み込んでくるところは、誰かさんにそっくりだな)


 でも不思議と嫌な気がしない。

 そんな気分にさせるのも、野崎そっくりだと思った。


(俺、ああいうタイプに弱いのかな……)

 頭をかいて宇佐美はため息をついた。




 ——その2日後。

 宇佐美は横浜のランドマークタワーにあるコーヒー店で美波と会った。


 初めて会った時と違い、この日の美波はベージュのロングタイトスカートに白いトップス。淡いブルーのカーディガンを羽織っていて、あの勇ましい女性記者の装いとはまるで別人だった。

 髪もきちんと整えてある。

 宇佐美が少し驚いた顔をしているのを見て、美波は笑った。

「誤解しないで下さいね。いつもはこんな感じなの。本当ですよ!」

「別に……何も言ってないよ」

「この間は仕事の合間に来たから、あんな格好で……髪も……クシャクシャだったし……」

 と、言い訳しながらも、


 ――なに色気出してんだって思われたらどうしよう—―


 という美波の心の呟きが聞こえて来て、宇佐美は思わず言ってしまった。

。どうぞ座って下さい」

「え?」

「え?」

 不思議な顔をする美波に、宇佐美はハッとなると、慌てて首を振った。

「あ、いえ—―そんな……そんな髪とか服とか気にしませんから」

「――」

 じっと自分を見る美波の視線に、宇佐美はしどろもどろになる。

「全然、良いと思います。似合ってます。今日の服装。素敵ですよ」

 はぁ、と頷く美波に、宇佐美は黙って項垂れた。


 相手の心の声は、いつも聞こえるわけではない。

 ラジオの周波数が合う様に、なにかのキッカケやタイミングで聞こえてくるのだ。

 相性もあるのだろうが、宇佐美の耳にはそれが、ので、油断していると普通に対応してしまう。

 口に出した言葉か、心の声か――


 見極めないと【変な奴】だと思われる。


「すみません……」

 そう謝る宇佐美を不思議そうに眺めながら、美波は笑った。

「なんで謝るんですか?別に悪い事してないのに」

「……」

「似合うって言われて嬉しいです。ありがとうございます。宇佐美さんに会えると思って、ちょっと気合入れちゃった」

 そう言って照れ笑いを浮かべる美波に、宇佐美は微笑んだ。

 気合を入れたというが、メイクだけは素顔に近い薄化粧。

 飾らない生き方を貫く強さをそこに感じて、宇佐美は心惹かれた。

 そして、楽しそうに笑う美波の笑顔を見てふと気づく。



 会えると思って心躍らせていたのは、

 もしかしたら自分の方だったのかも……と。

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