お嬢様は摂食障害

いちはじめ

お嬢様は摂食障害

 お嬢様が大層ご立腹の様子で部屋から出てきた。


「ダメ、ダメ、ダメ。食欲なんか湧かない」


 ――また始まった。


 じいは深くため息をついた。

 執事のじいがお膳立てした今回の会食、相手の男は申し分のない男だった。お嬢様好みの背の高いイケメンで、さらにITソフト開発で財を成した、いわゆる青年実業家だ。オーダーメイドだと思われる仕立ての良い高級スーツを身にまとっていた。

 しかし、お嬢様の食欲を励起させることはできなかったようだ。


「今回は何がお気に召さなかったのですか」

「食事中の癖よ」

「癖ですか……」


 そんなことで拒絶するなんて、こちらの苦労も察してほしいものだ。候補を発掘する際の、首尾よくいった場合の後処理など、どれほどの労力がかかるのかを。


「もうあの男ったら、口に食べ物を入れたまましゃべるのよ。口を開く度に、咀嚼した食べ物が見えるの。食欲減退どころの話じゃないわよ」

「それでも食べてもらわなければ、お体に障ります」


 お嬢様は、じいの小言には聞く耳を持たず、プイと横を向くと自分の部屋に戻っていった。

 その後ろ姿にじいは心が痛んだ。元々華奢な体がこの頃ますますやせ細っていくように思えたのだ。

 お嬢様は特異体質で、消化吸収できる物が限られているし、なかなか食欲が湧かないという摂食障害をお持ちなのだ。だからその食欲を湧かせるために、こうして厳選した男性との会食を設けているのだが……。

 お嬢様の癖には困ったものだ。お嬢様は食事中のマナー、癖についてはたいそううるさい、いや、異常とも言える程敏感なのだ。相手の食事中の動作やしぐさがちょっとでも気になると、とたんに食欲を失くされてしまうのだ。

 だが嘆いてばかりはいられない。じいはすぐさま次の男の選定を急ぐため、候補者リストを当たった。そこには多くの項目を満たした男性がリストアップされていた。食事中の癖に関する項目もあったのだが、自己申告となっていた。これは失敗だった。なくて七癖という。癖は自分では気が付かないものなのだ。次回のリスト作成時には、事前にそれを確認する必要がある。


 次の男が決まった。

 今回の男性は外資の証券会社に勤めるフランス人である。外見はそこそこ、健康診断の数値も問題ない男であった。

 男は、料理が運ばれてくるまでの合間、食前酒を嗜みながら、他愛のない話で場をリードしている。さすがフランス人である。女性を優雅にリードする術を知っている。よもやお嬢様を落胆させるような癖など持っていまい。

 ほどなくして豪華な食事が運ばれてきた。

 一流のシェフが腕によりをかけたフランス料理のフルコースである。見た目も味も極上の料理に、会話も更に弾むはずだった。

 しかしお嬢様は、三品目から全く箸が進まなくなっていた。そして男が何を話しても相槌すら打たなくなっていた。

 早々に会食はお開きになった。

 お嬢様はお冠である。


「お嬢様、今度は何が」

「何よ、あの男。ナイフとフォークをタクトのように振り回して話すのよ。ソースやドレッシングが飛び散ってもお構いなし。こっちに掛かるんじゃないかと気が気じゃなかったわ」


 じいは、それが怒るほどのものであるとは思えないのだが、お嬢様がそう感じるのなら致し方ないことである。


「それは気が付かず、失礼しました」


 その次も、またその次の男も食事中の癖を理由にお嬢様は拒絶された。

 日に日にお嬢様の体力は落ちて行き、顔色も悪くなる一方だった。それでも一向に態度を改める様子がない。

 こうなってしまっては、お嬢様の癖の方を改善する方が早そうだ。じいはお嬢様にカウンセリングを受けてもらい、癖を直してもらおうと考えた。しかし、そうはいってもお嬢様のことだ、簡単には受けてくれそうもない。

 そこでじいは一計を案じ、次の会食相手に腕のいいカウンセラーを充てることにした。これならお嬢様も断るわけにはいくまい。

 そのカウンセラーは肥満体で、常に頭から顔から汗がしたたり落ちているような男だったが、噂通りカウンセリングの腕は一流だったようだ。

 カウンセラーの食べ方がすこぶる下品だったにもかかわらず、お嬢様は機嫌よく給仕された料理を口に運んでいる。


「じい、猛烈に食欲が湧いてきたわ」

「そうでございますかお嬢様、じいはうれしゅうございます」


 会食に立ち会っていたじいは感涙にむせび泣いていた。

 お嬢様はいうと、目は異様に血走り、その整った唇の端からは唾液がぽたりぽたりとしたたり落ちている。

 カウンセラーの男は、自分の仕事ぶりに満足したのか、対席のお嬢様には目もくれず、料理を騒がしく掻きこんでいた。


 お嬢様が振り向いてじいに視線を送った。


「ごゆっくりとお食事をお楽しみください」


 じいはそう言うと給仕の者たちを下がらせ、そして自らも部屋を出て行った。

 お嬢様はナフキンで口元の唾液をぬぐうと、席を立ち、カウンセラーの男の傍らに立った。


「今日はありがとう。あなたのおかげでようやく食事を摂ることができるようになったわ」


 男の耳元でそうささやくと、お嬢様はオオカミのような大きな犬歯を男の首筋にずぶりと突き立てた。

                                   (了)

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