邪神団地でチラシ配りを

重土 浄

第1話 バイトの始まり



 なぜこんな仕事をするはめになったかといえば、人生に対する真面目さがなかった事と、ルールを逸脱して逃げ出すという不真面目さがなかったからだ。


「避難地区に指定された場所に居座っている住人に避難を勧めるチラシを配る」


求人内容はそんな内容だった。


いつもやっているポスティング(他人のポストに無差別にチラシを突っ込むという一番楽な仕事)の一種だと思ったから応募した。


異様な時給の高さが気に入ったからだが、時給が高いのにはワケがあった。


「高さの理由」を気づけなかったのは、人生を真面目に生きなかったという証拠である。真面目に生きてればこうなる前に分かっていたはずだ。


「値段=危険度」


その社会の常識を、俺は今さっき学んだ。




 「ほら、あの団地だよ。ちょっと膨らんでんな、あァ~見てみろ!


窓の中!もう卵になってるよ」


 おっさんが双眼鏡を覗き、興奮しながら隣の俺をはたいた。仕方なく俺も双眼鏡を覗きこみ同じ方を見た。


安物の双眼鏡が遠くの団地を拡大する。


4階建て、築三十年超えのコンクリート建ての団地。昔はどうだったか知らないが、今になっては不便さと安さだけが売りというような代物だ。置いて行かれた老人や貧乏な家族だけがへばりつくように暮らしている。


ベランダには埃のような乾ききった洗濯物や枯れ果てた植木鉢が並び、住んでいる人たちのしなびた生活が遠くからも確認できた。その窓に視点を合わせると、


「なんか・・・液体?」


遠くに見える窓は、濁った色の液体が入った水槽の様に見えた。ズボラな飼い主が放置した水槽、緑に濁った視界ゼロの世界が、団地の窓の中に詰まっていた。


団地のどの部屋の窓も、同じような液体で満たされている。一階につき5部屋…5かける4階の20個の窓の全てに液体が詰まって見える。


双眼鏡のフレームに区切られていると、いたずらで汚水を注入された団地の模型が置いてあるようにも見えた。


 「東棟、西棟、どっちももう胞状卵胞状態だな、行くぞボウズ」


 おっさんはそういうと、止めてあった小さなバンに乗り込んだ。


俺は行きたくなかった。


「邪神」が詰まった団地に近づかなければない。


近づくだけではなく、その団地を一軒一軒回らねばならない。


俺の足は比喩でなく重くなり、なかなか車に乗り込めなかった。




 俺が真面目に生きてこなかったから、こんな仕事をやることになった、という事はもう言ったが「こんな仕事やってられるか」と逃げ出す不真面目さも持っていなかった。


 雇ってくれといったのは俺だ。


読まずに契約書にサインしたのも俺だ。


休みます、といえずにここに来て。


やっぱ嫌です、と逃げ出す事もできない。


「逃げ出す」という経験をしてないのだ。


ミニバンの助手席はまるで小さな牢獄だ。ドアを開けて逃げ出せばいい。「この仕事はやばい」ってもう分かってる、脳の奥から悲鳴が聞こえる。それでも逃げ出せない、ルールを破るのが怖いのだ。仕事を放棄することも、おっさんに怒鳴られることも怖い。


だから俺は、この助手席に座ってあの団地へ向かっている。


仕事を終わらせることだけが、この恐れから逃れる手段になっていた。




「これを一枚一枚手渡しすればいいんですね?」


助手席の俺は手に持った


「ジュシン災害避難のお願い」


というチラシの束を確認した。


 「それだけじゃない、同意書にサインもだ」


言われた俺は同意書も取り出しクリップボードに挟み込む。


「サインさせりゃあいいんすね? 引っ越しますって言わせなくても?」


俺は強く確認した。自分の仕事の範疇を広げるつもりは1ミリもない。


「まあ今の段階で引っ越してない奴は、もうジュシン済みだから、何言っても無駄だけどな」


「無駄ってわかってるのに、なんでわざわざ…」


「役所としても”勧告はしました”という体にしなくちゃならない。その”てい”を作るのが俺たちの仕事だ」


「ジュシン災害ってなんなんですか、ジャシンでしょ」


「政府としては”神”って言葉は使えないんだろ


 国家的には「受信」


科学的には「未解明」


伝承的には「邪神」


俺ら的には飯のタネ」


「世間でも全員一致で「邪神」ですよ。邪神災害」


数年前から始まった異常、


それはこの国のどこででも起こった。


「異世界的」な存在がこの世界に現れ、あらゆる物質、生物と融合する邪神災害。


都会でならばそれはすぐに発見され対処されるが、地方においてはその浸透を見逃すことが多い。


 「いつのまにか、連絡が途絶えた」


「久々に訪れたら、変わっていた」


そういう風に発見が遅れた場合、被害が大きくなる。


 「今回は団地2棟丸々だ。身寄りのないジジババばっかりが住んでたからな、気配がなくなってても誰も心配しないから、発見が遅れた」


 「この後、どうすんです?米軍が爆撃とかするんですか?」


「そんな金がかかることしねーよ。封鎖だ封鎖。この辺り全部、ジュシン災害避難指示地区にして、あとは様子見」


最初のころ、ジュシン被害者は丁重に扱われた。


医者と看護師が24時間対応で治療し、その成果は逐一報道され、一級の研究資料だと思われていた。


だが、その被害者数が指数関数的に増え始めると、扱いは雑になった。


病院に押し込まれ、廊下に寝かされ、駐車場のブルーシートの上に寝かされ、関係のない教会や寺にまで担ぎ込まれた。


その異様な患者や遺体の姿は、国民を恐怖させた。しかし数が増えると恐怖は摩耗しうんざりし始め、興味を失い、ほとんどの人間が耳目を閉ざした。


ジュシン被害者の変容した遺体は、火葬場だけでは処理できない数になった。国はごみ焼却炉の一基を買い上げて、徹底的な清掃と三日三晩のお祓いの後、臨時の火葬場にした。


火葬場と言ってもトラックに山積みにされた遺体を焼却炉に流し込むさまは可燃ごみの焼却処理となんら変わらなかった。


そのころにはすでに「火葬処理」という言葉が平気でメディアに載るようになっていた。








 人のいない住宅街を


「ジュシン災害防止協会」


の白いミニバンが走る。


 もうこの辺りもジュシン災害居住制限区域に入っている。団地の異変の一報が出た段階で、多くの市民が自主的に避難をして誰も残ってはいない。


「なんでこんな仕事を…」


揺れる車の中でお知らせチラシと同意書の枚数を数えながら嘆いた。


 「そりゃ人間が安いからだ」


運転しながら嫌味を言うおっさん。だが彼も俺と同じく安値人間だ。だからこんな仕事をしている。政府からの依頼を受けた大企業の、下請けの下請けのさらに下請け、


おそらくもう一つくらい下の下請けの


社会という階段のはるか下の段。


俺はその下のバイトという立場。


俺の人生はいったい幾ら中抜きされているのだろうか。


「いいか、やばくなったらすぐ逃げろよ。チラシを玄関の下に刺すだけでもいい。だが最初からそれはするな、体裁を整える程度にはちゃんと住人を呼び出して、説明をして書類にサインをさせろ」


体裁…役所と国の「ちゃんとやった」という体裁のために体を張らされるのが、俺のような真面目な人間に回ってくる仕事だ。


「最低、5人程度には書類を手渡ししろ。そうじゃなきゃバイト代は払わんぞ」


雇い主である下請け会社社長は、そう言って俺ににらみを利かせた。


 社員ゼロのワンマン社長の社会に対しての最低限の仁義は、一棟20部屋の団地に対して、最低5人への書類の手渡しのようだ。


おそらく国が命じたのは全住民への警告であるはずなのだが、中抜きに中抜きされた結果、それは5軒の訪問ノルマにまで縮小されていた。




 現場の団地に到着しミニバンから降りた。


最初に感じたのはその場の匂いだった。


 「ひでぇ匂いしやがる」


この仕事に慣れているであろうおっさんでも顔をしかめていた。


腐臭といえば腐臭なのだが、匂いのスケール、出処が違う。これはまるで、


「団地が腐ってる」


そう感じるほど辺り一帯が臭いのだ。


建物の周りは荒れていて廃墟の三歩手前といった感じで、動いている物はなにもない。子供のための遊具も枯れ木のように止まっている。


 蝿の一匹すら飛んでいないのだ。字も読めない昆虫や野良猫ですらすでに避難している。


そんな場所にも関わらず、ここにはまだ避難していない住人たちがいる。


 「お前は左の東棟を、わしは右の西棟をやる。今、3時だから~…4時半には終わらすぞ」


 それだけ言うとおっさんは急ぎ足で右側の団地に向かっていった。仕事上のアドバイスも励ましも一切ない。彼ですら一刻も早くこの場から立ち去りたいのだろう。


俺は自分の仕事現場を眺めた。太陽は低く、4階建ての建物は影の面しか見えない。


 陰鬱な黒い影としての建物。しかしその中には通常ならざる物が巣食っている。


今、住人達がどんな状態であるかは、国も県も市も、おっさんも知らない。


俺も知らないし、そこに興味はない。


 俺はその住人に対して、正義感でも義務感でもなく、ただ今日と明日の生活費のためにチラシと同意書を渡さなければならないのだ。同意書の文章にはこう書いてある。


「ジュシン災害地にとどまるのは私の意志です( )」


ここにチェックさせれば、国と県と市はジュシン被害者を見捨てることを免罪される。「自己責任だから仕方がない」と言い逃れられるのだ。そのために俺はジュシン災害現場に入らねばならない。


 「そう言えば俺も、バイトの誓約書にサインしたな・・・」


仕事に得る際に書かされた誓約書、仕事欲しさに内容をまともに読まずにサインしたが、よく読めば似たような文章があったのだろう。


「おい!」


団地の入口に立つおっさんがこちらに向かって怒鳴った。いつまでも車の横で佇んでいる俺を叱っている。腕を振って東棟の入り口を指し、仕事を開始しろと言っている。


俺はようやく現場に向かって歩き出した。


覚悟を決めたのではなく、考えるのをやめたのだ。


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