第103話 幕間 魔界、魔王城にて
毒々しい紫色の空、おどろおどろしい色合いの空の割に澄んだ空気が辺りに漂う。この世界こそがジャネット・デイ・シュルツの故郷である魔界。その一角に黒曜石のごとき黒さの城があった。その城こそ、魔界を支配する魔王の居城、魔王城。
魔王城の一角、魔王が座する玉座に通ずる路をひとりの悪魔が歩いていた。
赤い髪に同色の猫耳、身体の一部も体毛に覆われ、その上から軽装の鎧を身にまとった女性。彼女こそが、かつてジャネットが語っていた魔王の側近。その中でも武門の家柄と称されたグリュン家の当主。マリス・グリュン。
そんな彼女であるが、険しい顔、眉間にシワを寄せながらぶつぶつ、呟きつつ歩いている。
「あんにゃろう、今日という今日はとっちめてやるにゃ」
いかにも不機嫌です、と言わんばかりの状況。心なしか、彼女の周囲も発せられている雰囲気で、物理的に空間が歪んでいるようにも見える。
もし、近くに別の悪魔。もしくはモンスターがいたら空気に当てられて卒倒するのは間違いない。いまの彼女が放つ威圧に耐えられるのは、それこそ魔王、もしくは側近クラスのみだろう。
のしのし、と重い足取りで進むマリス。彼女が怒り心頭な理由。それは――。
「たのもぉぉう」
ばんっ、と勢い良く扉を開く、中には玉座に座る栗色の髪をショートにした発育の良い身体を惜しげもなくさらした露出度の高い女性。その側には件の女性すらまだ控えめと思えるほど、ほぼ紐水着と同等の服をまとった頭に山羊、背中から蝙蝠の羽を生やした女性。
玉座の女性こそかつて魔界を統一した傑物。現魔王であるアリス・ヘイズ。そして側に侍る女性。彼女こそマリスの目的となる人物――。
「みぃ、つぅ、けぇ、たぁにゃ……。おみゃあ、やっぱここにいたにゃ! ――リリスぅ!」
突然の訪問、そして発狂に目が点となるアリスとリリスと呼ばれた女性。彼女こそ、魔王アリスの側近。ジャネットが最側近と評した始まりの二家、グリュン家とともに名を挙げたティム家の実質的当主にして宰相。悪魔の種族としてはサキュバスに属するリリス・ティムその人だった。
あまりの剣幕にびっくりしたアリス。しかし、
「おいおい、マリス。今度はなんだよ? 俺はなにか問題があったなんて聞いてないぜ?」
「問題も問題、大問題にゃ! リリス、またジャネットにあることないこと吹き込んだにゃ?!」
「…………はて?」
マリスの怒号。しかし心当たりがなかったリリスは首をかしげる。そんな仕草を見て、ごぅ、と周囲に殺気が膨れ上がる。気のせいか、辺りの温度がぐん、と下がったように感じる。
確かにふたりのじゃれあいはよくあること。しかし、ここまで激昂しているマリスを見るのは久しぶりだった。何が、彼女をここまで昂らせているのか気になったアリス。
「リリス、お前なに言ったんだ?」
「……いえ、身に覚えが」
こめかみをとんとん、と叩きながら頭を悩ませている。その顔はなぜか淫靡さを感じさせ、異性がここにいたら虜にしていたことだろう。
惜しむらくは、ここにいるのは全員同性だったということになる。
しばし頭を整理していたリリスは、なにか思い当たりがあったのか、あっ、と声をあげた。
「……もしかして?」
「んっ、なんだ?」
「ちょっと前、確か一時期ジャネットが塞ぎ込んでいるのを覚えてられますでしょうか?」
「……あぁ! 確か、ダンジョンを人間に踏破されて、這う這うの体でこちらへ帰ってきたことがあったなぁ」
いやぁ、あれには驚いた。と懐かしむように呟く。リリスも同意するように頷いた。
「そう、それですわ。その時、ちょっとあの娘のこと、あまりに見てられなかったので、我らのことを少し、昔語りをしたな、と……」
「ふぅん……? それはだいたい、いつぐらいの頃の話なんだ?」
「それは……。だいたい
「と、なると俺らが出会った頃の話か」
なるほど、と納得したアリス。しかし、同時にあの頃のことを話してなにか問題があっただろうか、と頭を悩ませる。確かに時期的に魔界統一を始める少し前であり、すべてが順風満帆というわけもなく失敗だってあった。
だが、そのことはもう既に三人のなかでは笑い話に昇華できる事柄。いまさら怒るようなことではない筈。なにがマリスの逆鱗に触れたのだろうか?
「…………別にあの頃の話をしたのは良いにゃ」
ぼそり、と呟いたマリス。そのことにアリスはおや、と不思議がる。ならばますますもって意味が分からないからだ。だが、続く言葉で理解することになった。
「……でも! グリュンが武門の家柄なんて、どういうことだにゃ! みゃーも初耳だにゃ!」
「あ、あぁ…………」
マリスの咆哮を聞いて、アリスも微妙な、曖昧な笑みを浮かべた。
確かにマリスの個人的武勇は凄まじいものがある。彼女の
「まぁ俺らの部族もだが、マリスの部族も少数だったしな……」
昔を思い出し、感慨深く呟くアリス。そう。マリスのバステト族もそうだが、アリスも元々少数の魔物使いを生業とする隠れ里の出身だった。
それゆえ、部族を率いる族長はいたが貴族に比する階級は存在しなかった。
「それどころか、当時のマリスは跳ねっ返りでしたから」
「うるさいにゃ!」
くすくす、とからかう様子のリリス。がぁ、と烈火のごとく吠えるマリス。それも仕方ない、当時マリスは部族をひとり離れ、旅人としてリリスとともに行動していた。そして、アリスの隠れ里へ訪れていた。それが三人の出会いの始まりだった。
そんなマリスであるが、魔界統一後部族のもとへ戻り、族長の立場となって一族を率い、アリスの元に帰還している。
それも、アリスの元で部隊、君団を率いた経験があればこそ。それがなければ彼女が族長の立場におさまることもなかっただろう。
それはともかくとして――。
「結局、あることないこと、ってなんなんだよ?」
アリスは不思議そうに首をかしげる。確かにマリスが貴族か、と問われたら怪しいが人、というか悪魔を率いる立場であることに間違いない。少なくとも、リリスは嘘を言っていない。なにか問題があるとは思えなかった。
そんな疑問を抱くアリスへ聞こえるか、聞こえないかの声量でマリスはぼそぼそ、と呟く。
「…………れないにゃ」
「うん……?」
「だぁかぁらぁ、いたたまれないにゃ!」
突然の大声にひっくり返りそうになったアリス。それに気づかず、マリスのストレス発散をかねた叫びは続く。
「あれからジャネットが元気になったのは良いにゃ。でも、みゃーを見る目が尊敬とか、崇拝とかそんな感じになっちゃって! と、て、も、いたたまれないにゃ!」
つまり、なんてことはない。ジャネットの視線に耐えられなくなった、それだけの話だった。
一頻り叫んだマリスは多少落ちたいたのか、人差し指をつんつん、と突っつきながらぼやく。
「これが、昔のジャネットならまだ良かったにゃ。でも、族長……。当主としての手腕はいまのジャネットの方が上にゃ。そんなジャネットが、あたくしの目標はマリスさまです。なんてキラキラした視線を向けてくるにゃ。それ、勘違いにゃ。なんて訂正しようとしても謙遜にしか取られないから、本当いたたまれなくなるにゃ」
真面目に勘弁してほしいにゃ。そうぼやくマリスに乾いた笑みを浮かべるふたり。それは確かにブチ切れる、と納得してしまった。
とくにアリスはほぼマリスと似た立場だということもあり、明日は我が身、と頬をひきつらせていた。
「そ、そうか。大変だな」
アリスは震えた声でそう言うのが精一杯だった。
このままこの話題を続けていても地雷を踏むだけ。そう判断したアリスだが、どうやって話題を切り替えた方が良いか、と思案する。が、考える前にリリスから別の話題を振られることとなった。
「そ、それはそれとして。魔王陛下、お話が――」
「え、やだ」
せっかくの話題変えのチャンスにもかかわらず、反射的に拒否したアリス。リリスが畏まった言い方。魔王陛下なんて言う時は、大抵面倒くさい、もしくは無理難題を投げられる時だといままでの経験で理解していたからだ。
だが、リリスも嫌と言われて引き下がるわけにもいかない。それが仕事だからだ。
「――お話があります! ……こほん。天界からダンジョンを
「えぇ、またぁ……」
心底嫌そうな顔になったアリス。
「あれ、
「まぁ、気持ちは痛いほど良く分かりますが……」
先ほど、話を伝えた筈のリリスも同情するように苦笑いを浮かべている。
「でも、仕方ないにゃ。コアを創れるのはそもそもアリスだけなんだし」
「んなこと、わかってるよ!」
「結局、あのコアもあくまで
困った、とばかりに頬に手を当てるリリス。
そう、そも、ダンジョンコアとは、本来魔王-アリス・ヘイズの権能、能力を擬似的に再現したものだった。
モンスターを支配するのも、ダンジョンと呼ばれる特殊な空間を生成するのも、だ。そして、召喚されるモンスターも大抵は魔王たるアリスの配下。もしくは新しく創造されたものが派遣されている、というのが真実だった。
そして、ダンジョンコアの権能を十全に発揮するためには先ほどアリスが言ったように適合者が必要となる。すなわち、それこそがダンジョンマスター。
つまり、ダンジョンマスターこそがコアの制御装置。その役割を担っていた。
「それで、あちらさん。今度はどこにダンジョン創れって?」
「なんでも、
「はい、無理ぃ!」
その言葉を聞いた途端、アリスはお手上げとばかりに両手をあげるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます