第91話 伝令と足止め
曇天の空をひとつの影が飛翔する。
ごうごう、と空を裂き進むのは人の姿をした影。しかし、人とは違うのは背中に生えた翼。コウモリを模した翼を羽ばたかせ、ごぅ、と空気を突き破る爆音を響かせている。
美しい銀糸の髪をたなびかせ、空を飛翔する人のかたちをした異形。ダンジョンマスター、荒木秀吉の命を受け急ぐ、ジャネット・デイ・シュルツその人であった。
「……っ、面倒なことになりましたわね」
あたくしは主さまから受け取った指示書を見て、即座にダンジョンから飛び出しました。
きっと、いまのあたくしの顔は苦り切っていることでしょう。
主さまに呼び出されたとき、最初はなんであたくしが。そんなことを思いました。しかし、指示書を見てそんな気持ちは吹き飛びました。そして、同時に納得も。これは、間違いなくあたくしでないと間に合わないでしょう。
「このままだと、最悪、あの姫騎士さんたちの軍が壊滅しかねませんわ」
服から変化させた翼を羽ばたかせながら、愚痴が漏れました。ばたばた、とはためく服の音があたくしを苛立たてます。
こんな時に、あのメイドの魔法が使えれば……。
かつての記憶。我が宿敵だったアンネローゼの側近だったメイドを思い出します。あれもまた、アンネローゼとは別の意味で理不尽の権化でした。
なにをどうすれば、人の身で
いえ、理屈の上では分かっているのです。
――合体魔法。異なる属性の魔法を掛け合わせ、別の属性を発露させる神秘。秘奥の魔法。
もちろん、秘奥とはいえあたくしは使えます。水と風を掛け合わせ雷を放ったり、この身にまとわせ、一時的に同化。雷霆のごとく動き、一撃を放ったり、などです。
……まぁ、消耗が激しいのでおいそれと使えないのが難点ですが。
――ですが、あのメイドは別でした。
あれはその身に光と闇。相反する属性をまとい、掛け合わせるという偉業を、まるで普段から使い慣れているといわんばかりに、鼻歌交じりに行ってきました。
あれがこちら側、最低でも敵側に与していなければ、あたくしもあそこまで無様な醜態をさらすことはなかったでしょう。
……いえ、そんなことは良いんです。もはや過ぎたこと。あのメイドとて定命の者。流石に死んでいるでしょう。………………死んでいるわよね?
一瞬、嫌な想像が頭をよぎりましたが、かぶりを振って追い出しました。
いけない、また脱線してしまいました。それに無い物ねだりしても仕方ありません。いまはとにかく急がないと。最悪、アンネローゼの末裔たちの軍。首都の背から逆包囲されているかもしれません。
――偽兵計。
首都の城壁に王国の旗を多く置いて、籠城策を取ったと誤認させ、一部の部隊を密かに隠し通路から脱出。
姫騎士の軍を城壁へ釘付けにしている間に後方へ展開。そのまま奇襲をかけさせ包囲殲滅する、というもの。
あくまで主さまの予想でしかありません。が、あり得ない話ではないでしょう。あたくしだって、あちらの立場であれば同じ策を取ります。
それでもあの小娘。アンネローゼに比肩しうる姫騎士さん。リーゼロッテさんなら切り抜けるかもしれません。が、王国側にも
「……忌々しい。あぁ、本当に忌々しい――!」
思わず、食いしばった歯からぎりぃ、という音がなります。それもこれも、こことは別大陸の魔の者。
己を妖精と嘯くロクデナシどもが原因。やつらが生み出した
あれらを使うため、
もっとも、そのロクデナシどももつい先日。内部から裏切り者が出て、
あのときの喝采を思い出し、口角がつり上がる。けど、すぐにかぶりを振って思考を追い出した。
「いけない、いけない。そうじゃないわね……」
実際、魔界でその情報がもたらされた時、拍手喝采が起き、一時期お祭り騒ぎになったが、それはいま関係ない。
あたくしがいまやるべきこと。それは一刻も早く軍勢と合流して撤退させること。かの吉事を思い出し悦に浸るのは後からでも出来る。
「いまは一刻でも早く――」
――合流を急がないと。
そのことだけを考え、あたくしは飛行速度を上げた。すべては最悪の事態。それを防ぐために。
そうして、しばらく無心に空を飛んでいたあたくし。鬱蒼とした森林の先で陣形を整えつつある軍勢が見えてきました。
すわ、敵軍の軍勢か。と、場合によって襲撃も検討しましたが、その中に見覚えのあるホブゴブリン。ルードさんを見つけて思い止まります。
「追い付いた、間に合いましたわね!」
どうやら軍勢はこれから首都の包囲へと赴こうとしていた様子。なんとかギリギリだったようです。
あたくしは軍勢の手前へと向かって急降下。
……ちょっと、勢いをつけすぎてドォン、という轟音とともに地面へクレーターをつくることになりました。
「な、何事?」
「……襲撃、ですかね?」
いきなりあたくしが急降下。この場合、落下になるんでしょうか? それで、混乱した声が聞こえてきました。それと、ルードさん。襲撃と勘違いするんじゃありません。
あたくしはクレーターをつくった時に舞い上がった土埃を吹き飛ばしながら否定します。
「違いますわよ、あたくしです、あたくし」
「あ、あぁ! あんたは――!」
あたくしの姿を見たルードさんがビックリしています。はて、そんな驚かれるようなことをしたでしょうか?
「ルード、知り合い?」
どこか、アンネローゼの面影を持つ女性がルードさんへ問いかけます。……彼女があの小娘の子孫。姫騎士リーゼロッテ、ですか。意外と、なんにも感じないものなのですね。我が仇敵の血を引く者と出会えば、流石になにかしら嫌な感情が出てくるかも、と思っていたのですが……。
そんなあたくしをよそに、ルードさんはあたくしのことを話します。
「え、えぇ。あの女性はジャネット。マスターが新たに呼び寄せたダンジョンの幹部候補です」
どうやらルードさんはあたくしに畏れを抱いている様子。それ自体はこちらとしても喜ばしいですが、古い情報を渡されるのは、ちょっと。まぁ、彼が合流した後に決まったことですし、訂正もかねて話しておくとしましょう。
「あら、その情報は古いですわね。いまのあたくしの役職はダンジョンサブマスターにしてアドバイザー。魔界の可憐なる吸血姫、ジャネット・デイ・シュルツですわ。以後よろしくおねがいいたしますわ」
あたくしは、改めて姫騎士さんたちへ挨拶をいたしました。……って、そんな場合じゃありませんでしたわね。
「それで、この場にルシオン帝国のアレク皇女はおられますの?」
「ボクだけど……」
あら、すぐ側にいらしたのですね。
小さく、可愛らしい皇女殿下へ主さまからのお届け物を渡しました。
渡された彼女は不思議そうな顔をしています。
「これは……?」
「あなたの愛しい殿方からお届け物ですわ」
くつくつ、と笑いながら冗談半分に告げます。その言葉を聞いた皇女殿下は、ぼふん。と顔を赤くしてわたわたしています。本当、可愛らしいこと。
「え、えぅっ……」
「確認されなくても、よろしくて? 重要なものですわよ」
あたくしの軽口にどきどき、とした様子で手紙を開きます。しかし、すぐに顔の紅潮がひいて真剣な表情になります。そして読み進めた皇女殿下は……。
「将軍、リズ姉! すぐにイングまで退くよ!」
皇女殿下の指示に将軍と呼ばれた男性。そして、姫騎士さんがビックリしています。それを尻目にあたくしもルードさんへ話しかけます。
「ルードさん、あなたたちも同じように撤退を」
「あんたさんはどうされるんで?」
「そんなこと、決まってますわ」
どうやら、向こう側も策がバレたことに気付いたようですわね。早々にジョーカーを切ってきました。
美しい銀の煌めき、剣閃が瞬きます。それをあたくしは指を硬化、爪として受け止めます。
ぎゃりぃ、と耳障りな音が響きました。
「残念ですが、あなたはここで釘付けにしますわ」
「……邪魔!」
……まったく、
「あの小娘でないのなら、このあたくし。ジャネット・デイ・シュルツの敵ではありません」
今一度、力を示すとしましょう。王国に、帝国に、公国に。そして何より主さまへ、あたくしの力を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます