時間

@aaamI

  明けた空の光を浴びて、私はいつもの公園で過ごしていた。いつものとは言えても、慣れ親しんだとは言えない。なぜなら私が童心を捧げた公園はとうの昔になくなったからだ。捧げたとは大げさのようで、一生のうちにおそらく最も全てが鮮やかで、何にも無遠慮で、はしゃいで遊んだ純粋な時間を経た場所だった。公園に思い入れは最初からあったはずもないが、そしてたまたま過ごしたそこが公園なだけだったのは今から考えてもわかる。けれどもこの公園に来るとふと思う、もうあの場所はないのだ。それからいつものように、思い出にふりかえる。実のところ、この考えはほんの一瞬で転換するが、起点はいつもここからはじまる。まるで何かに、私はこうであるのだ、こう歩んできたのだと縛られているように。さえずる音、吹いてる音、流れる音には無意識を向けながら、意識はここにある。時間は振り返らないのに、あきれるほどに平等だ。

 ほんの一瞬だったと思う、少なくとも私からしたらそのはずなあいだに、ふと目線を上げると一人の子供が神妙な目で私を見つめていた。

「こんにちは」 

「...こんにちは」

理由を考えていると挨拶をしてきたので、遅れながらも返した。不思議なことに近所では見たことがない子だった。遊びに来たのだろうか、しかし子供が遊べる場所はこの地域では少ないので、必然的にみんなここに集まる。だがこの子はこんな早い時に一人で来たのだ、なにか事情でもあるのだろうか。

「遊びにきたのかい?随分と早起きなんだね、友達はまだいないと思うよ」

「いや、ちがうの」

「そうかい、では散歩かな?お母さんとお父さんは一緒にいないの?」

「ううん、置いてきた。逃避行?ってやつ」

不意に出た言葉に驚いた。この子がたまたま物知りなのか、それとも今のスタンダードなのか。そんなことを思いつつ逃避行となると、子供にしては突拍子もない。そして見ると、その子は俯いてしまった。

「疲れたでしょう、隣に座って」

そういうと素直に隣に腰かけてきた。

「少し話をきいてもいい?」

「うん」

「なんで逃避行をしたの?」

するとその子はころころと表情を変えながら、まとまりのないような声で話した。

「死んじゃったの、ポチ」

「ポチって、ペットの?」

「うん」

多分これがこの子にとって、人生で最初の別れだろう。だとしたらそれはとても、強く刻まれる。様々な感情を伴って。痕跡は褪せることはあっても消えはしないように、ずっと。

「そうだったのだね、とても辛かっただろう。じゃ、ポチのことについて話してくれる?」

「うん、ポチはね、自分が生れる前から飼ってたらしいの。だから今までずっと遊んでた。ポチは世界一鼻がいいからかくれんぼをしてもすぐに見つかるし、ポチは小さいからどこにでも隠れられる。だからかくれんぼじゃポチにかなわない。でも最後にはいつも自分から出てきてくれて、「今回も引き分けだね」って言ってるみたい。でも、おとといポチが急に動かなくなって、ママもパパもポチをどこかに連れでって、夜になってもポチだけは帰ってこなかった。そしたらさ、二人はポチは死んじゃったんだって言うの」

ここまでうっすら涙をこらえたまま話をしているのをみて、私もやるせなかった。

ほとんどはこの子の経緯への悲しみ、そして自分の思い出。今や自分の家族、友達とおはようと面と言えるのはあと何人?

「ねぇ、死ってなに?何でポチはそうなっちゃったの?」

ふとそうつぶやかれた。

「それは、みんなに必ずおきること。神様が決めたことなの。ポチは今天国であなた達を幸せに見守ってるの」

なにといえばこの子は納得するのだろうか。誰でも言う辛気なことを言って、所詮は自分すらもだましている。命がこの運命を辿った時、果たして私は神頼みをしていたのだろうか。否。

「パパとママと同じことを言うんだね。だとしたら神様はわがままだよ、自分勝手にやりたい放題」

その子はそう言いながら表情を見せなかった。突き詰めれば私の保身のために言ったこと、それの自責の念にかられる。そのは自分勝手でやりたい放題だ。なにも聞き入れないし、誰が定めたかも分からないルールを振りかざす。こんな傲慢や当てつけを考えてしまう。

「...そうだよ、その通り。でも避けられない」

「さけられない?ぜったいに?」

「絶対に」

どうでもよくなったのか、私は真実を告げた。

「そうか」

聞き分けがいいのか、私の言うことをすんなりと受け入れた。もしかして、この子は数日で何度も自分で考えていたのではないか。そう思うほどに。

「じゃ、いいや」

「え?」

「ポチが死んじゃったこと、もういいや」

「もう、いいって?本当に?」

「うん、だって意味がないよ。ポチのことはずっと忘れないし、これからもずっと大好き。それでいい」

諦観。いや、大切な時間を過ごした命の死を乗り越えた?その答えに私は呆気にとられた。今まで私が嵌まっていたことをさっぱり切られた。初めからみんなそこに向かうのに、抗えない流れなのに、それはすべてなのに、意味がない。……え?


もしかして、本当に意味がないかもしれない。それがすべてだとしたら、そもそも存在しないものと一緒なのではないか。だって、そうだとしたらそれ自体を考慮する必要がない。宇宙があるとして、それが向かう結末がやがてのすべてだとしても、なんの関係があるのだろうか。ただそこにあるだけで、視線を外すとまるで存在しない。地球は今動いている、四季は移らいていく、私は考えを馳せる。あの子がこんな壮大な話をしようとしているわけではないのは必然だが、ひょっとしたらあの子こそが...。

辺りを見渡すと、あの子の姿はいなかった。陽は傾き、随分と暗くなってきた。私は立ち上がり、歩き出した。自分の影が前へと延びる。一歩踏み出すとそれらは私の後ろへと移ろい、街灯に消えた。いずれ無限に前に伸びるだろうが、まだその時じゃない。



これは私がはるか昔に出した答えでもあった。

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