第8話 真夜中のできごと

 自分の前に、自分がいる。

 レイの前には、水色の長衣の上に、青いがらの入った短衣を着て、髪をきっちりと後ろで一本に縛っている自分がいた。髪飾りさえ、青。

 その自分が、レイの目の前で言う。


「君、そんなに肩入れしていいの?」

「肩入れなんてしていない」


 その自分の声に答えながら、ああ、夢を見ているんだ、とレイは思った。


「すぐに死んじゃうのに」

「やめろ!」


 自分自身にきつく返答して、レイは大きく息をすう。

 肩入れなんてしてない。ただ、自分にできることを少ししただけだ。

 そう思って目の前の自分自身を睨みつける。

 しかし、夢の中の自分は容赦なく言葉を続けた。


「タリアのようにね」

「だまれ!」


 レイは叫んでいた。大事な思い出の中にいる人の名前を出され、その思い出を無理やりに引きずりだされたような感覚だ。胸の鼓動が痛いくらいに早くなる。 

 ああ、嫌な夢だ。

 ひさしぶりに夢を見たと思ったら、こんなに嫌な夢なんて。




「う……あぁ……」


 クレスはどこからか聞こえてくるうめき声に、意識がゆっくりと覚醒した。

 だれかがうなされている。

 そして、ぼうっとする頭で考えて、この部屋にはレイと自分のふたりだけしかいないという事実に思い当たった。


「レイ?」

「う…ぁ……だ…ま……れ」


 なにを言っているのか要領を得なくても、苦しんでいる様子は分かった。

 二段ベッドの階段を降りて、一階で寝ているレイの寝台の脇へ行く。

 するとレイは玉のような汗をかいてうなされていた。


「おい、レイ、大丈夫か? 病気か何かなのか?」


 病気なら薬を常備しているだろう。それを飲ませることができればこの症状は治まるのではないか。

 そう思ったクレスは、苦しそうなレイに薬のありかを聞き出そうと苦心した。

 目を覚ましたレイはしかし、


「病気じゃないよ……少し夢見が悪かっただけ……」


 そういうなり、横になったまま荒らい息遣いで胸を片手で鷲掴わしづかむ。


「夢見……?」

「そう、それだけ。だから大丈夫」


 クレスにはレイの様子が全く大丈夫には見えなかった。

 コハクも起きだしてレイの手を舐める。

 レイはコハクの背を撫でて、蒼い顔をクレスの方に向けた。


「起こしてしまって悪かったね」

「そんなこといいけどさ。どんな夢だったんだ? 言えば楽になることだってあるだろ?」

「……本当にたいしたことじゃないんだ」


 クレスは少し考えて、寝台へ横になっているレイの額に手をかざした。


「そのよこしまなる気よ、創造主リアスの御名みなによってしりぞかん」


 そう、文言もんごんを唱えた。

 子供でも知っているこの国のおまじないの文言だ。

 レイはびっくりしたように目をひらき、クレスを見つめた。


「知らないのか? 子供でも知ってるおまじないなのに」

「……子供のようにおまじないをしてもらってる自分が……なんだかおかしくて」

「……苦しそうだったから。少しでも楽になればいいと思ったんだ」

「……」


 レイは目をつむって大きく息を吐いた。


「もう、本当に大丈夫。これで眠れるよ」

「そうか。また何かあったら起こしてくれていいから」

「大丈夫。もう、寝よう。今は深夜だし」

「それもそうだな」


 クレスは苦笑し、二階の自分の寝台へと戻って行った。

 しばらくすると、レイの耳にクレスの規則正しい寝息が聞こえてきた。

 それを聞いてレイはほっとし、そのあと眠らずに朝まで寝台の中で寝転がった。

 眠らなければ、あの夢を見ないですむから。




 朝、寝間着から旅装束に着替えて飛行船の食堂兼広間で朝食を摂ったクレスとレイは、船室で荷物の整理をしていた。

 コハクに食事をさせて、ネコ用の不浄も片づけた。

 いよいよもうすぐ、夏島に到着する。

 飛行船が着岸する気配がすると、カンカンカンと鐘が三度響き渡った。


「到着したみたいね」


 レイが荷物をかついで、船室の小さな丸窓から前かがみになって外をのぞく。


「海が見えるよ、クレス」

「海か! 俺にもみせてくれ!」


 小さな丸窓へ寄り二人は顔をそろえて外を見た。そこには雄大なエメラルドの海が広がっている。

 きらきらと太陽の光を反射して、目にまぶしい。


「俺、初めて見るよ!」


 クレスは思わず子供のようにはしゃいでしまった。


「そう言ってたね。ねえ、クレス。クレスは夏島のどこに行く予定なの? 夏島の首都はこの海を渡った先にあるキリブという街だ。そこまでいかないと、主島からはろくに人の住める場所にはつかない。だからクレスもキリブに行くんでしょう?」


「ああ! 俺は夏島の首都にある夏神殿に用があるんだ」


 クレスは海をみながらレイに答えた。


「へえ、私もそうだよ。偶然だね」


 レイは意外なことを聞いたと、驚いた声をだした。

 しかし、すぐに気をとり直す。


「じゃ、夏島の帆船はんせんに乗りに行こうか」

「帆船か! この海を渡る船なんだろ?」


 好奇心の塊のようになっているクレスは、窓から見える夏島の海を背後にして、レイについていく。

 本物の海をこの目で見るために。

 レイはがちゃりと飛行船の船室の扉を開けて、意気揚々と歩き出した。

 そして、そのあとをクレスが、そのあとをコハクがみゃーおと鳴いて二人のあとをトコトコとついて行った。

 この飛行船を降りれば、そこはもう夏島だ。


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