貴石の奇跡
陽麻
序章
第1話 大神官の息子
濃紺色の夜空に、白い大粒の雪が舞っている。
雪は、この世界の首都となっている街を覆い、家々の屋根や木々に白い帽子を作り始めていた。
街の食堂街の一角、酒も出す家庭料理店では、夕食の混雑を少し過ぎたところだった。
「クレス、食事休憩とっていいぞー」
その食堂内で野太い声が響いた。
声に従って従業員の一人であるクレスは、仕事を一区切りして夕食を摂るために広間から裏方へと回る。年のころは十代後半あたりで、黒いお仕着せの制服を着ている背の低い少年だった。健康的な肌色と、均整のとれた顔立ち、直毛の茶色の髪が短く切りそろえられていた。
店の裏方に入ると、彼は髪から三角巾をむしり取った。そして、食卓に用意してあった
空腹で仕事をしていたクレスは、さじを取るなり、ガツガツと牛乳の煮込み
するとクレスの前の椅子に、この店の店長である彼の叔父が腰をかけた。叔父もいま休憩を取ったのだ。
「お疲れさん。なあ、クレス、神官学校の方はどうなんだ? 成績が落ちてたらここで働くことも辞めさせるからな」
「あー、今はめんどくさいこと考えたくねえ。メシ食べさせてくれよ」
うんざりとそう言って
「そうは言ってもな。お前だっていつまでもここで働いている訳にはいかないだろう。お前はこの世界の唯一の、大神官の息子なんだから」
大神官――この世界の最重要職である。この世界は創造主リアスによって創られた世界であり、その創造主リアスに仕える一番の神官を大神官と言う。
大神官はある都合により世襲制だ。大神官の息子であるクレスは、父親の跡をつぐべき立場であり、次期大神官候補だった。
「大神官ね……。ああ、成績は悪くないから安心していいよ、叔父さん」
「そうは言ってもなあ。俺は、お前の父親にすっごく睨まれてるんだぜ?」
「でも、働くならここが一番安全だからな。世話になるよ、叔父さん」
クレスは飯を食べながら遠慮がちに叔父に笑った。
大職である大神官の父を持つクレスが、なぜここで働いているのかというと、遊ぶ金が欲しかったからだ。
クレスは外で遊びたくて、こうして自分で金を稼いでいた。
家に閉じこもっているよりも外に出ていかないと、どうにかなりそうだったからだ。
大神官の息子であるのに。なぜか。
彼は今現在、自分の背負った『次期大神官』という重責に耐えかねているところだった。
それなりの特別な知識も、普通の勉強も滞りなくやってきて頭に入っているが、それ以前に心構えがまだ全くと言っていいほど出来ていなかった。
そこへきて、春に進学したクレスは、来年には大神殿に務めるという将来が見え始めた。
彼は自分の眼前に広がる大きな役目を直視できないでいる。
だから働いた金で酒場へ通い、酒を飲んで行き場の無いうさを晴らしていたのだった。
遊ぶには金が必要だったので、クレスはこの叔父の食堂で働いていた。
大神官バレルにとっては頭の痛いことだった。
「クレスいる?」
「うん? なんだ。何か俺に用?」
彼が返事をすると、彼女は十歳くらいの男の子をクレスに案内してきた。
「クレスにお客さんよ。弟さんが来ているわ」
その男の子は、丸い眼鏡をした頭の良さそうな子だった。
きっちりと切りそろえられた短髪は、クレスと同じ茶色の直毛だ。
「お姉さん、ありがとうございます」
少年は折り目正しく給仕にそう挨拶をした。彼女は「いい子ねえ」と言ってその少年の頭を撫でる。
「クレスとは大違い」
あはは、と笑いながら広間へ戻る彼女を見送ると、クレスは弟のカイスを見た。
「どうした、カイス。ここに来るなんて珍しい」
「兄さま!」
カイスはクレスの声を聞くと、ぼすんと彼に抱き着いた。
「うわっ。なんだ、なんだ」
抱き着くなりカイスはクレスの飲んでいた酒の
「ねえ、兄さま、このお酒の
この世界の酒の
「ああこれはな、
「ありがとうございます、兄さま!」
カイスはまたぎゅむっとクレスに抱き着いた。
「分かった、分かったから。それよりもなんでこんな時間にここに来たんだ。父さんに怒られるぞ」
「あ、そうでした。兄さま、父さまがすごい剣幕で兄さまを探していたんです」
「げっ……」
また働いていることを注意されるのだろうか。うんざりしつつ顔をしかめると、カイスは「あの…」と口ごもった。
「なんだ?」
「今日の父さまはなんだかいつもと様子が違っていました。何かとても重要なことがあるみたいです。僕ではだめだって、兄さまじゃなくちゃできないことなんだって言ってましたよ」
「俺じゃなくちゃ、できないこと?」
「はい。だからもう帰りましょう? 兄さま」
袖をひっぱる弟を見て、クレスは叔父の顔を見た。
叔父はひとつ頷いて、帰ることを許してくれた。
食堂の制服を脱いで、私服に着替えたクレスは、傘を持ってきてくれた弟と一緒に帰り道を歩いた。
クレスたちが住む屋敷から叔父の食堂までは、大神殿をはさんだ反対側で、徒歩ですぐだった。
クレスとカイスの家、大神官の屋敷は大神殿の隣にあるからだ。
大神殿。そこは、この世界の中枢機関であり、大勢の神官と巫女が働いている場所だ。
中は三区画に分かれている。
第一区画は住民が入れて、色々な手続きなどをする場所。
第二区画は神官、巫女などが仕事をしている場所。
そして第三区画は、聖殿、創造主リアスがいる場所であり、一部の高位の神官と巫女しか入れない場所。
その外観は、整然と管理された草花、木々に囲まれた、白亜の二階建ての建物だ。
外の雪はカイスが来た時よりも勢いを増して、濃紺色の空に吹きすさんでいた。
大神殿の木々の上にも白い傘が被りつつある。
夜の為に門がしまった大神殿を横目に見ながら、その前の人影もまばらな歩道を通って家路を急ぐ。
カイスはオレンジ色の街灯に照らされながら、隣を歩く兄を見上げて聞いた。
「ねえ、兄さま」
「なんだ、カイス」
「今日、父さまから、この世界は宙に浮いている浮遊大陸だと聞きました。それは本当ですか」
「ああ、そうだよ。創造主リアス様が創ったって言われてる。俺たちがいるのは、中央に浮いている主島の首都だ」
その五つの浮島の面積は広大で、生物は浮島によって独特の生態系を保っていた。中央の主島には春、夏、秋、冬、そして新春という五つの季節が廻るが、他の四つの浮島は季節が変わらない。
常春の
人々は創造主リアスと、各島を治める季主をあがめているため、官職につくものを神官と巫女と称していた。
空の上に浮かんだ広大な五つの浮島がすべての世界。
すべての自給自足が成り立つ世界。
それが、クレスが住む『ウェルファー』という世界なのである。
表紙のイラストです
https://kakuyomu.jp/users/urutoramarin/news/16818093075232286871
一話目の挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/urutoramarin/news/16818093075341335221
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