第29話
散々不運に見舞われたためか、それとも電柱で頭を打ったせいか、顔から生気が抜けて考えすらままならない百合さんの代わりに、ボクが推理を始める。
『ボクは今まで、死体の入れ替わりが、誰かによって押し付けられたものなのではないかと思っていました…。けれど、何者かが…いや、この際犯人と言いましょうか。犯人がボクらの隙を突いて車…及び死体を盗んだところを見るに、押し付けられたものではなさそうですね』
「…そうだな」
再起動に成功したのか、百合さんが神妙な顔で頷く。
「もしかしたら、女の死体が私の手に渡ったのは、犯人らの想定外だったってことかもしれない」
『だから、取り戻す必要があった』
「何のために」
『…単純に死体を部外者が手にするのを嫌がったか、それとも…』
「死体に、何か重要な秘密が隠されていたか」
冷静になって思考すれば、それなりに仮説を挙げることができた。
百合さんはショルダーバッグに手を入れると、あるものを取り出す。それは、死体から回収した財布だった。
「中には免許証と金、あと、カードの類が入っていた。正直、こいつが重要な存在だとは思わない。となると、後はこれだな」
そう言って、さらにポケットから取り出したのはリングによってまとめられた二本の銀色の鍵。それぞれ長さが違い、一本は五センチほどで、もう一本は三センチと短い。ストラップや番号は付いていなかった。
「長い方は、二〇二号室の鍵と見て間違いがない」
実際、それで扉を開けることが出来た。
『じゃあ、もう一本は?』
「わからん。だが短いね。家の鍵ではないと思う。南京錠とか、金庫とか、その類じゃないかな?」
『じゃあ、その短い方を金庫の鍵と仮定すると、こう考えられますね』
ボクは指を立てて言った。
『車及び死体を盗んだやつは、その短い鍵が欲しかった』
「なぜなら、金庫の中に何か大切なものを隠しているから…」
『大切なものとは?』
「…やっぱり、貴金属とか? 金になる高価なもの。いや、もしかしたら金なのかも…」
まあ普通に考えればそうなるよな。
碌々圭介が部屋で殺されたのは何故だろう? 犯人と彼はどういう関係なんだ? どうして、死んだ可楽涼音の部屋を彼は訪ねたのか。いやそもそも…。犯人と碌々圭介は、どうして鍵を持っていないのに、彼女の部屋に侵入することができたのか…。
『うーん…、意味が分からないことだらけだ』
ボクは頭から煙上げて唸る。そんなボクに、百合さんは首を横に振って微笑んだ。
「なかなかいい線いってるんじゃないか? 正直、これまでの推理は概ね合っていると思うんだよ」
『いやいや、わからないところだらけですよ。女の死体がボクらの手に渡ったのは想定外…って言いましたけど、その想定外はどうして起こったんですか? 何が起こったんですか』
そこを紐解かない限り、ボクの死体の居場所とか、犯人の像は思い浮かべることはできない。
「うーん…」
煮詰まっているボクとは対照的に、百合さんは顎に手をやり、空を仰ぐと、お道化たような呻き声をあげた。
「まあ、財布とスマホが盗まれなかったのは幸いだな」
『うーん…』
それはあくまで日常生活を送る上で大切なのであって、あの死体を盗まれて、もし日常生活に支障を来すようなことが起こったら…と思うと、気が気でなかった。
「あと、ぬいぐるみも無事だった」
百合さんは、へへっと笑い、右手に持っていたクマさんのぬいぐるみを持ち上げた。
「多分、犯人が乗り込むときに、車から零れ落ちたんだと思う。こいつが無事でほんとうに良かった」
『ああ、このぬいぐるみ…』
ボクは、彼女の手に握られているそれをまじまじと見つめる。
相変わらずみすぼらしいぬいぐるみだ。元はふわふわとしていただろう毛はごわごわになり、煙草の煙にあてられたみたいに、全体が灰色にくすんでいる。首の辺りの糸はほつれて、綿が少し飛び出していた。
『目も片方割れてるし…』
それに、なんだか、気味が悪い。まるで日本人形と見つめ合っているかのようだ。
『何ですか? このボロいぬいぐるみは』
「私の大切なものさ」
百合さんはそう言って、服の襟にぬいぐるみを挟んだ。
丁度、彼女の胸元から、クマさんが顔を出しているかのようになる。
『大切なものって?』
「おばあちゃんから貰ったんだよ。死んだ、私のおばあちゃんから」
『へえ…』
「言っただろう? 私の親は酷い奴だったって。男とずっとつるんでた。でもね、おばあちゃんはそうじゃなかったんだよ。凄く優しい人だった。よく遊んでくれたし、甘いものもたくさん食べさせてくれた…」
その、死んだおばあちゃん…とやらを思い出しながら、百合さんは笑みの籠った声で言った。
「まあ、母親からしたらそれが気に入らなかったんだろうね。帰ると一層虐められたよ」
胸元のぬいぐるみを撫でる。
「こいつは、ばあちゃんからの、最後の誕生日プレゼントなんだ。別に、私がねだったってわけじゃなくて、おばあちゃんが、町の手芸屋さんで買ってきた奴」
『手作りですか』
いやまあ、ぬいぐるみは皆手作りなのだが。
「でも私は凄く嬉しくて、本当に嬉しくて、毎日、この子を抱えるようになったんだ」
『その後、おばあちゃんはどうなったんですか?』
「病死」
百合さんはハッキリと言った。
「突然の病気でね、あっさりと逝っちゃった」
『そうですか。悲しいですね』
「うん、悲しかった…。でもね、母親にとっては都合が良かったみたいでね、少なくない遺産受け継いで、豪遊していたよ。おばあちゃんの家も土地も売り払って、愛人との新しい家を借りてた。もちろん、そこに私の居場所はない…」
ぬいぐるみを撫でるのを止める。それから、彼女は天を仰ぎ、わざとらしく、あっはっは…と笑った。
「ぬいぐるみだなんて、大きくなった私には似合わないのに。なんかもう、手放せなくなっちゃったよ。だってこいつが、おばあちゃんの最後の形見だもんね。他は皆捨てられたから」
視線を戻した百合さんは、ぬいぐるみの頭を、ぽんぽん…と叩く。
「だから、こいつが無事でほんとうに良かった。財布やスマホももちろん大切なんだけどね」
『そうですか…』
ボクはなぞるような返事しかできなかった。決して関心がなかったわけではない。ちゃんと、百合さんとおばあちゃんとの関係に涙腺を刺激された。けれど、それ以上に、やはりこのぬいぐるみが気味わるいと思ってしまったのだ。
『…………』
ボクはじっとぬいぐるみを見つめる。
ぬいぐるみの目も、じっとボクを見つめてきた。
何だろう? このぬいぐるみから漂う、生々しい気配は…。
そう言えば、警察に追われそうになった時も…。
そう思った時だった。
「ああ、そうだ…」
百合さんが何か思いだしたかのような声をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます