ここに百合を捨てないでください。

バーニー

第一章『自殺に関する一考』

第1話

 自殺をするにあたって、まず目標としたのが、「誰にも迷惑を掛けない」ということだった。

 当初は、電車に轢かれて死ぬことを想定していたのだが、この目標のおかげで断念せざるを得なくなった。

 駅のホームから線路に飛び込み、走ってくる電車とぶつかり合ったとして、ボクの身体が勝つことはまずないだろう。肉体は十や百へと千切れて、辺りに飛び散るのだ。当然、ヘモグロビンの値が十四である鮮血も一緒に。ボクの肉片と体液は、きっと何かを汚す。今日も仕事を頑張らんとする綺麗なOLさんのスカートとか、親に買ってもらったばかりの、高校生のスマートフォンとか、サラリーマンの曇りなきメガネとか。

 電車は遅延するだろうな。どのくらいの時間遅延するのだろうか? 肉片を拾い集めて、コンクリートにこびり付いた血を洗い流すとして、三時間、いや、四時間くらいは必要だろうか? 電車が動き出すのを待っている人の中には、もしかしたら、妻の出産に間に合わない人とか、親の死に目に会えない人もいるかもしれない。単純に、気持ちの悪いものを見せられて、吐きたくなっている人もいるだろう。

 いやまあ、人生八十年時代の、たった数時間の出来事だから、このくらい我慢してくれ…とは思わなくもない。むしろ、酒の席で「俺、実は、人が自殺するところを見たことあるんだよ」と話し出せば、一躍話題を掻っ攫うことが出来るかもしれないし、狙っているあの子に「その話の続き、二人きりで聴きたいです」と、夜の人身事故のお誘いが来るかもしれないから、感謝してほしいと思うのが本音である。

 とは言え、ボクは自殺を切望するほどの小心者だから、例え、「自殺」という現実から乖離した出来事を、周りの者たちに享受できたとしても、彼らのお目を汚すことは憚れた。やっぱり人間は、人に迷惑を掛けるべきではないよ。

 では、誰の目にも触れない自室で首を吊るのか? と考えた時、それも違うよな…と思った。

 僕が住んでいるアパートの大家さんにはかなり世話になっている。入居した日、米を貰ったんだ。それに、「仕事はしているの?」と、アルバイトの求人票ももらった。こいつのおかげで、ボクは今のバイト先に通えている。また、ボクが学生だから…ということで、家賃も安くしてもらった。時々、管理人室に招待されて、お茶を飲んだり、内職の手伝いをしてもらったりしている。

 そんな人のために、今住んでいるアパートを心理的瑕疵物件にするわけにはいかなかった。いや、家賃二万円なんて、明らかに安いよな。もしかして、もう既に何人かが死んでいたりして…。

 とにかく、電車に飛び込むのもダメ、部屋で首を吊るのもダメ、川に飛び込んだら、きっと腹にガスが溜まって浮いてきて、釣りをしている小学生らを驚かせることになるだろうからダメ。車道に飛び込むのなんて論外だ。もちろん、ビルからの飛び降りもダメ。下に人がいたらどうする? 何もかもダメ。

 八方塞がりになったボクが辿り着いた答えは、「山で死ぬ」ということだった。

 誰も立ち入らない、誰の目にも触れない場所で死ねばいいのだ。これなら、人の目を汚すことはないだろう。何事も視野を広げるべきだよ。近場で済ませようとするからダメなのだ。世間で成功しているミュージシャンは大抵、上京している。

 ではその行為が「人に迷惑を掛けない死に方なのか?」と聞かれれば、答えは否である。ボクがいなくなった後の部屋はどうする? 生徒がいなくなって、大学側も心配するに決まっている。また、ボクが来なくなったアルバイト先はてんやわんやだろう。

 だから、当初に立てた目標は断念した。代わりに立てたのが、「なるべく人に迷惑を掛けない」という妥協案だった。つまり、「人への迷惑を最小限にする」ということ。

 一か百で物事を考えてはいけないのだ。全国大会で優勝することは素晴らしいことだが、準優勝だって素晴らしいし、出場するだけで素晴らしい。何なら、一生懸命頑張った者は皆素晴らしい。

 そう思った後は、順調に事が進んだ。

 少しずつ、部屋にあるものを処分した。家具、食器、衣類、家電…。少しずつ。少しずつ。最初に本を捨てたのがいけなかったな。暇を潰す手段を失って、二か月に渡って気分の悪い時間を過ごすことになった。

 アルバイトも、今日辞めた。店長には「ビャクゴウさん良い子だったのに…」と惜しまれたが、決めたことだ。代わりを用意できなかったことが本当に申し訳ない。

 僕が失踪した三日後に、大好きな大家さんのもとに、解約書類と、違約金が入った封筒が届くようにした。本当は大学の退学届も出しておきたかったのだが、億劫でできなかった。まあいいだろう。単位取らず、学費を払わなければ、勝手に除籍処分を下してくれるはずだ。

 そして、二〇一三年の、十一月八日の今日。

 僕は計画を実行した。

「よし、行くか…」

 四十五リットルのナイロン袋に、生ごみと、その日食べたカップラーメンの容器を入れて、口をきつく縛る。振り返ると、僕の部屋は入居時と遜色のない、すっきりとした風になった。

 立ち上がると、足元にあったリュックサックを背負う。ウインドブレーカーのポケットに財布が入っていることを確認すると、ゴミ袋を掴んで外に出ようとした。

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