10話 病の魔女

「うぅ……おぁあ……やめ、やめろぉ……私はまだ……私は、ま、だ……」


 ビルムさんが苦しげに呻く。


 その顔がどんどん白くなり、蝋のように硬くなっていく。床をかきむしる手が固まり、逃げようと這いずる足が固まる。腰が固まる。腕が固まる。首が固まる。


「よせ……よせぇ……病、の、魔……女」


 蝋化は止まらない。遅くも早くもならず、一定の速度を保ったまま、しかし確実にビルムさんの体を白く覆っていく。ゆっくりゆっくり、死に近づけていく。


 楽しむように、


 面白がるように、


 弄ぶように。


 ビルムさんは最後に残った目を動かし、デスを見上げる。


「た、たす、け………………」


 デスが手を伸ばすと同時に、ビルムさんの体を蝋が覆い尽くした。蝋人形のように微動だにせず、蝋人形のように物を言わず、ビルムさんは永遠に沈黙した。

 デスは手を握り、無言で腕を下ろした。


「これは……」


 ウェナが震える声で呟く。デスは目を閉じた。


「契約の効果だ。命を奪う魔法をかけさせておいて、代償が右足一本は普通ありえない。こいつか、あるいはシックが条件をつけたんだ。『自分が犯人だとバレれば死ぬ』とかな」


 へぇ、なかなか察しがいいじゃん。


「……え?」

「ん?」デスはオレを向いた。「何?」

「いや……なんでもない」


 なんだろう。今、なんか、変……


「条件は僕が出した」


 僕は言った。

 え? 違う、オレは言ってない。

 君じゃない、僕が言ったんだ。


「ただ殺すだけじゃつまらないしね」


 君の口を借りて、君の中の僕が言ったんだ。


「シウ少年」


 デスがオレを見つめる。違うね、僕を見てるんだ。


「中に侵入はいられたな」

 何かが、

 オレの中心に、手を伸ばしてくる──!


「ウェナ!」

「はい!」


 ウェナが飛びかかってくる。オレの体はオレの意思に反して、ウェナの首に手を伸ばした。止めようなんて思わないことだね、主導権は僕にあるんだから。


 オレの腕に手を突いて、ウェナはぐるんと体を回して跳び上がった。素早くオレの背後に回り、手に持った何かをオレの口に突っ込む。母さんが悲鳴を上げた。


「お前らどいてろ!」


 デスの手のひらが額に当てられる。瞬間、ドンと視界が揺れて体が浮いた。体が後ろに引っ張られるようにして飛んでいく。眼下にみんなの姿が見えた。


 ぐぐぐと、なんだぁ?、引っ張られる、魂が……、体が、引っ張って、何かが、何をした、──剥がれる、──剥がされる!


 オレの口の中から白い煙が吹き出た。煙の中には丸い、ぷるぷるしたものが浮いていて、それを中心に気体が形を成していく。


「命の魔女……お前みたいなヤツがまだ隠れてたなんて」


 色が抜けたように真っ白な髪を垂らした女の子が空中に現れた。肉の薄い体を深緑色の丈の短いドレスみたいな服で包み、足首には黒い麻縄が巻きついて、靴と足を結んでいる。

 その子は──空中に弾き出されたその子は、宙に足をついて、立ち上がった。


 体が地面に衝突する前に支えられる。見上げると、ウェナの顔があった。


「なんだ、ずいぶんガキじゃねーか」


 デスは呆れた風に息をつく。女の子は不満そうにムッと口を尖らせた。


「自分が歳取りすぎなだけでしょ。お・ば・さ・ん」

「殺すッッッ!!!!!」


 この魔女、沸点が低すぎる……。


「『病の魔女』シック……噂には聞いてたが、とんだクソガキだな。クソガキの中からクソガキが出てきやがった」

「『命の魔女』デス……聞いたこともないから、どんな底辺魔女かと観察してやろうと思ったのに、意外とやるじゃん」

「何が目的だ、ガリガリ漂白チビ」

「目的なんかないよ。面白そうだったからやっただけ。あ、勘違いしないでよね、話を持ちかけてきたのはそこの蝋人形もとい村長さんだから」


 キャフフ、と嘲笑うように口元を歪める。


「目をかけていたのに自分のものにならず、あまつさえ他の男と結婚して子どもまで生んだクソ女を後悔させるため……だってー☆ めーっちゃくちゃ面白いよね! 自分が愛されない原因から目を背けて、他人からの愛情だけは強制するとか、キャフフ、そんなカスがどう動くのか楽しんで見てたんだけど……あー、つまんね」


 シックが指先をくるくる回し、自らの眉間をトンと突く。バキンッと大きな音を立てて、ビルムさんだった蝋人形が砕けた。


「お前のせいで台無しだよ。どうしてくれんだ、僕の楽しみ」

「こちとらテメーのせいで白日の下に引っ張り出されてんだよ。まずその青っちろい頭を地面にこすりつけろ、不健康代表児」

「さっきから悪口のバリエーション無駄に豊富なのやめろ!」


 両者睨み合う。デスが静かに息を吐き、シックが指先をくるくる回す。


「やーめた」


 シックはいきなり踵を返した。


「おばさん「殺す」と戦っても楽しくなさそうだし、そこそこ面白いものは見れたから。早く帰ってフリクトお姉様によしよししてもらお~っと」

「……フリクト?」

「キャフフ──『争いの魔女』フリクトお姉様。僕を魔女にしてくれた、とってもとっても素敵で残酷なお姉様。お前みたいな生温い魔女とは比べ物にもならない、偉大な魔女なのよ」

「そうか──」


 オレはぞわりと悪寒が走るのを感じた。ウェナも、みんなも、気味悪そうに体を丸めこむ。重苦しいプレッシャー……怒り……そういうドロドロした激しい炎が肌を撫でているみたいだ。


 シックの表情が変わった。怪訝に眉を潜め、デスを見定めるように目を細める。


「なら、フリクトに言っといてくれ。『命の魔女』がお前を終わらせると」

「……生意気」


 不機嫌に口を曲げたシックは、けれどそれ以上は何も言わずに指先をくっと回した。白い煙がポッとたち、シックを覆う。

 すぐに風が吹いて煙を散らした。煙の向こうに、シックの姿は欠片もなかった。


 デスはしばらく空を睨んで、顔を戻すと「ウェナ」と呼んだ。


「帰るぞ」

「あ……は、はい」


 母さんを向く。


「シックの魔法は解いた。シウ少年に棲みついてたシックも追い払った。……犯人も死んだ。これでまぁ、一通り解決かな」

「……ありがとうございました」母さんは目を閉じる。「本当に、本当に……」


 家を出て、村の外に向かう。オレは急いでそれを追いかけた。村を出る直前、入り口のところでギリギリ追いついて、「ねぇ」と呼びかける。

 デスとウェナは振り向いた。


「また、遊びにいってもいい?」


 デスは呆れたようにため息を吐いた。


「ダメに決まってんだろ。二度と来んなよ、クソガキ」


 いつも通りの嫌味ったらしい言い回し。でももう、オレはその奥底にある意味がわかっていた。ウェナが嗜める前に口を開く。


「またね。待ってる」

「……ああ、また」


 そう言って、二人は去っていった。不思議な不思議な二人は、不思議なままに、去っていった。

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