糖花通りに降る花は

雨宮テウ

第1話




この小さな町には

糖花通りという細い路地がある。

もう誰も知らない大昔、

金平糖の雨が降ったという言い伝えと共に

今もその道は

静かに人々の足音に耳を澄ませ生きている。


私はというと、

曽祖父のそのまた曽祖父が残してくれた

糖花通りにある小さなアトリエを改造して

花を育てては

必要な人へ贈る仕事をしているだけの人間である。

糖花通りの言い伝えは曽祖父が可愛がっていた犬の子孫、私と暮らすこの犬から聴きました。

このお話とこの道が

この先も生き続けていてほしいという願いから今、ペンを走らせている次第です。

----------------


私にはお父様が2人います。

1人は旅をしながら絵を描いて生活している

人間のお父様、ルース。

そしてもう1人は

不思議な方法で糖花を作っては

夜な夜な人々の口に小さな糖花を含ませる

妖精のお父様、ミオトです。


出会いはこうでした。

私はというと、一体いつからひとりぼっちなのかもわからないくらい小さい時からひとりぼっちの痩せた犬。

お腹が空いてしかたなかったある夜。

『大丈夫…?ずいぶんお腹を空かせているね…眠れないの?』

甘い香りと共に

ふわりと突然空から降りてきた

妖精のミオトでした。

『少しだけ元気になれるかもしれないから

お口を開けてごらん』

そう言ってミオトは私の口の中に

カラン、コロンと小さな糖花を三粒

含ませてくれます。

『僕たちの世界ではこれは薬でとてもよく効くんだけれど、君はどうかなぁ』

とふんわりしたお顔と声で私を撫でてくれます。

するとどうでしょう、

たった三粒の糖花なのに、

不思議と元気が湧いてくるではありませんか。

私はどんどん力強く動けるようになる体を使ってミオトにありがとうを伝え続けます。

するとミオトは言いました。

『お礼なんて。

そんなことより、

しばらく一緒にいてもいいかい?

長く旅をし続けて疲れたのかな…

なんだか君に寄りかかりたい気持ちなんだ。』

ぎゅっと、私を両腕で抱き、そのままミオトは眠ってしまいました。

私は三粒の糖花のおかげで温かくなった体で

ミオトを包みます。

この時ばかりはお腹が空くばかりで好きになれなかった大きな体が役に立ちました。


ミオトは人間ではありません。

だから、人間にはミオトが見えませんでした。

でもミオトはどうやら人間のことが大好きなようで、特別な糖花を作っては眠っている人間の口の中に糖花を含ませていました。

ミオトの創る糖花には不思議な力があり、

それを口にするとどんな重たい夜に潰された心も、目が覚める頃には

ほんの少し熱を取り戻せるのです。

(どうしてそんなに人間が好きなの?)

尋ねるとミオトは教えてくれました。

『僕らはずっと昔に、

人間に糖花の作り方を教えたんだって。

もちろん、人間にできるやり方でね。

僕たちは鏡の水を満月の宵、一晩、月光で金色に染めることで蜜を創るけれど、

人間はそういうわけにはいかないから、

蜜になってくれる植物育てるところから、

“キカイ”や“ヒ”

を使って創る方法を教えたんだ。

人間は糖花を気に入って、それに名前をつけ、

作り方を次の世代へ繋げて長く長く愛してくれた。

この糖花、

僕らは“薬”なんて呼んでいたのに、

人間たちはこの薬を“花”だ“星”だと可愛がって“糖花”という美しい名前を授けて愛してくれる。

こんなに可愛い生き物他にいないでしょう?』

“もちろん、君もとても可愛い。僕の妹の創る綿飴のようなもこもこふわふわ、お日様の匂い。”

と付け足してくれた事は私の自慢です。


ミオトの一族は蜜を扱う一族で、

ミオトは糖花、

ミオトのお兄様は琥珀糖、

ミオトの妹様は綿飴を

特別な蜜から創る事が得意なのだとか。

中でも人間が好きなミオトは長い時間、この世界のあちこち飛び回り小さな元気が出るように人々に糖花を含ませる旅をしているのでした。

“でも、少し疲れてしまったから、休憩。”


ある雨の日、

ミオトに出会ってから初めての雨でした。

雨に濡れてしまったミオトを舐めると、

“甘い…!!溶けてるの…?!”

驚いてしまった私はミオトが雨で溶けて消えてしまうのではないかと

“たすけて!”

ワンワンワンワン、今まで鳴いた事もなかったのに大きな声で鳴きました。

“大丈夫だよ。少し甘くなっちゃうだけだから”

ミオトはそういうけれど

心なしか一回り小さくなってしまったような気がして、私は気が気じゃなくなってしまい、

心配でキューンキューンと鼻がなってしまいます。


『どうしたんだい?』

そして、2人目のお父様ルースに出会いました。

ルースは使い古した傘を私に傾けながら目線を合わせてくれました。

『大丈夫?寒いのかい?』

“ちがうの!ミオトが溶けてしまうの!”

けれど犬の言葉が人間のルースには伝わりませんし、ルースにはミオトが見えません。

どうしよう、ともう一度ミオトの方を見ると

ミオトはルースを見てかたまっていました。

“君は…”

固まっているミオトには気づく事もないルースは私を撫でてよしよし、

『…懐かしい匂いがするな。

甘い、

なんだかいつだったかこの香りに包まれていたような、そんな香りだ。』

と、言いながらぎゅうと私を抱きしめました。

『なんだか、疲れたな。宿を借りよう。

お前もおいで。雨宿りをしよう。』


ルースは私に

おいで、

と声をかけて歩き出します。

私はこわばった表情のまま動けないミオト乗せてルースの後について行きました。

“ミオト、一体どうしたの?”

やはり雨に打たれてしまったからミオトは元気がないのでしょうか…



ルースは旅をしながら絵を描く絵描きでした。

『でも、何が描きたいのかよくわからないんだ。

だから旅をして色んなものを見て、

色んな人が描いて欲しいというものを描きながら、何が描きたいのか思い出そうと思ってね。』

『君はとても器量のいい賢い犬だね。“レネ”って呼んでもいいかい?』

『レネ、君から甘い懐かしい香りがして、何か思い出せそうなんだ。描きたいものの答えが君からする香りにありそうだなんて、

信じてくれるかい?』


ルースは朗らかで

人間の言葉でお返事ができない私に沢山話しかけてくれました。

私はミオトが溶けなくてほっとしたのと、ルースのひまわりみたいな色に元気つけられて

落ち着きを取り戻したのですが、

ミオトはずっと黙ったまま、

悲しいような痛いようなそんな顔をしています。


“ミオト、どうしてしまったの?苦しいの?”

私が尋ねるとミオトは小さく返してくれました。

“だめ、僕がここにいること、ルースに気づかれないようにして。おねがい。”


ルースの事が嫌なのかもしれないと、雨が止んだらすぐにここを出ようと言っても

『大丈夫、君はレネ、名前をもらったんだ。

ルースと一緒にいよう。

僕もルースには気づかれないようにレネ、

君たちのそばにいるから。』


だから、私にはお父様が2人いるのです。

絵描きのルースと糖花師のミオト。


ルースはこの路地に小さなアトリエを構えて、来る日も来る日も色んな絵を描きました。

ミオトも少しずつ出会った頃のような穏やかな顔に戻りつつあります。

一体あの時のミオトはどうしてしまったんだろう、と引っかかるものの、

ルースには見えないミオトは時折嬉しそうだったり、やっぱり少し悲しそうだったりしながら笑顔を取り戻して行きました。


ある満月の夜、蜜を創りに屋根に登り鏡の水を染めているミオトが

私に教えてくれました。



レネ、

僕、ルースと友達だったんだ。

ルースはその頃、ルースっていう名前じゃなかったし、今のルースの体じゃない体にいたけれど。絵描きでもなかったし、あの頃は音楽を作る人だった。


僕嬉しかったんだ、大好きな人間が、ルースが、

僕を見つけてくれた最初で最後の人間だったから。


ルースは僕が旅した色んな世界の話を聞いてくれて、僕の作る糖花を幸せそうに食べてくれた。


でもね、他の人間たちには僕が見えないんだ。

誰も見えない僕と話すルースをみんな、

怖がって、おかしい奴だって、病気だって、

そういって、病院に閉じ込めたんだ。


もう僕と話しちゃだめだよって言っても、

ぼくを見えないふりしてって言っても、

ルースは

『君がここにいて、

言葉が聞こえるのになぜ?』って、

病院という所が、他の人間が、なにより僕の存在がルースをどんどん壊していってしまうのを

止められなかった。

僕を忘れるように調合した糖花をルースに飲ませても、ルースは僕を最期まで忘れなかった。

僕が見えなくなるように調合した糖花を飲ませても必ず僕を見つけた。

ルースはそのまま、お家に帰れないまま、

眠ってしまったんだ。


ルースの残した音楽、

自分のことだなんて思わない。

けれど、美しいその曲は

金平糖の精と色んな世界の事が歌われていた。


僕はルースの事が大好きで、

ルースも僕を大切にしてくれた。

でも、僕はルースを助けてあげられなかった。

だから、

だから、本当は今もここにいるべきじゃない。

わかっているんだけど、わかっているんだけど。


そう言ってミオトはポロポロと小さな糖花の涙をこぼすのでした。

私はミオトのこぼれる糖花をペロペロと拭ってあげることしかできません。


泣かないで、ミオト。

気づかれないように、

私ちゃんと2人のそばにいるからね。



ミオトとルースと一緒に暮らす日々は、

穏やかで、

いつもそこらかしこ笑いが溢れるような

そんな時間でした。

ミオトも

ルースがミオトを見つけないよう調合した糖花をこっそり夜中にルースの口に含ませている時以外、心から笑っています。

どうか、この日々が続きますように、

私は毎日祈るのでした。


『レネ!!ちょっとこっちに来て!』

弾むルースの声が私を呼ぶのでアトリエへ向かうと布のかけられたキャンバスの前にルースが立っていました。

『1番にレネに見て欲しくて。』

ルースが布を引くと、

一枚の肖像画が現れました。


それは、ルースには見えないはずの

ミオトと同じ目の色をした絵。


人のような、星のような、花のような

全てが詰まった一枚の肖像画でした。


『レネからする香り、

僕の描きたいものの正体をやっと描けたんだ。どうかな?』


“自分のことだなんて思わないけど”


すると突然、

カタン、コトン、一粒、二粒と雨が降ってきました。

『雨…?晴れてるのに…なんで…?』

不思議そうに窓の外を見ると、

雨とは違う何かが音を立てて降り始めます。

『雹…!?氷か…?』

いいえ違います。

私にはそれがなんだかすぐわかりました。


“自分のことだなんて思わない”


でも


『金平糖だ…!!レネ!

信じられるか?!金平糖が降ってる!!』


ねぇ、ルース、

金平糖の雨を眺めるあなたの目をそっと目隠しする手が私には見えるのです。


“どうか僕を見つけないで”


でもそばにいさせて、

と、ルースの目を隠すミオトの手のひらを通して

ルースは降り続ける

溢れたミオトの涙を

“奇跡だ”と、

無邪気に煌めいた笑顔で眺めるのでした。


私は自分が犬で本当に良かったと思うのです。

もしも人の言葉を話せたら、

ルースに隠し通せなかったから。


そうして、たった一度のその奇跡の雨で

糖花通りと名前のついたこの道にあるアトリエで私たちは暮らしたのでした。


----------------


これが

私が“レネ”の遠い子孫から聴いた

糖花通りの言い伝え。

このお話とこの道が、またどこかで語られますように。


コトリ


私はペンを置く。

さぁ、

小さなお花を今日も誰かに届けなくては。



おしまい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

糖花通りに降る花は 雨宮テウ @teurain

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画