13 交渉をしませんか?
迷路のような街。迷子になっても空から戻ればいいか。
そんな気持ちでパティエンテはアテもなくぶらぶらと歩きまわっていた。
散歩は好きだ。
ヒトの身体を手にした今、二本の脚で血を歩くのは空中散歩とはまた違った面白さがある。
ドラゴンの身体では見えないような小さな所に目が行くのだ。
鉢植えに寄せ植えされた花や、蟻の行列。
窓の揺らめく色ガラス、バケツに張った水に映る空。
小さなヒトの身体であるからこそ瞳に映るものだった。
「あら……これは?」
小さな叫びが聞こえた。
いくら耳がいいとはいえドラゴンの身体であればこそ聞き逃してしまうような声。
「ともかく向かいましょう」
興味のままにパティエンテの身体は突き動かされていく。
ただの声であったのならば場所がわからず迷っていただろうが、この声の出処の場所はだいたいわかる。
それだけ特徴的なものだった。そういう類のものだった。
なんせ叫びには魔力が含まれていたのだ。
障害物を無視してその方向へと向かえばいい。
トンッとレンガの塀を飛び越え、勢い付けて屋根の上を走り一直線に向かう。
ギョッとした目で道行く人間に見られたがパティエンテは気にしない。
かくして、そう時間はかからずに辿り着いた。
「ヒトの子たち、弱い物虐めはダメですよ」
「うわぁあ!」
そこに居たのは尻餅をついた子どもと、その子を取り囲むように木剣を振り回す子どもだ。
さすがに木剣が当たれば危ないと思い割って入る。
掴んだ木剣がミシリと音を立てた。
子どもが引こうとするがびくりとも動かない。
「ジョンを離せ!」
「む……ヒトに剣を向けてはいけません」
私だったからよかったものの。
そう呟きながら背後から叩きつけられた木剣を長い髪の毛で巻き取る。
「な、なんで髪が動いてるんだよ!?」
「身体の一部なのですから動くに決まっているでしょう。……動きますよね?」
掴んでいた木剣から手を離し、こてりと首を傾げる。
それに合わせて髪の毛もしゅるりと解けた。
「逃げろぉおお!」
「ちょっと、待ちなさいなっ」
追いかけようとして、一瞬前のめりになったものの立ち止まる。
先ほどの声はあの子どもたちがあげたものではない。
ひとまず逃げていく子どもたちからパティエンテの興味は消えた。
逃げるものを追いかけ回す程は野性に染まっていないつもりだ。
となると、声の出処はこちらだろう。
視線の先には相変わらず尻餅をついた子どもがぽかんとパティエンテを見つめていた。
子どもはフードを被っていて彼女から子どもの顔なんて見えなかったのだが。
小さな背丈から10歳程度だろう。
もっともパティエンテには人間の年齢など赤ん坊か子供、大人といったように大まかにしかわからない。
「先ほど咆哮をあげたのはあなたですね。あまりにも下手くそな咆哮だったので気になってしまったのです」
確信をもって口に出す。
「はぁ? 咆哮ってなんだよ」
確信を持って言ったというのに、子どもはよくわかっていないようだった。
「けれども
パティエンテとフードの子ども。
二人して沈黙が流れた。
「オレはただ、父さんから教えてもらった魔法を使っただけだよ。……うまく出来なかったんだけどさ」
「魔法ですか?」
パティエンテは疑問に思う。
あれは拙いとはいえどう聞いても竜語だった。
困った時など、仲間を呼び寄せる時に使う咆哮だ。
狼の遠吠えと同じようにドラゴンだって魔力をのせた咆哮で意思の疎通をする。
「ああ、父さんが声に魔力を込めたらきっとなんとかなるって言ってた魔法だ。
さっきの奴らだって、ちゃんと出来てたらそれでなんとかなったんだ!」
むむ、と悩んでパティエンテは子どもの顔を覗き込んだ。
フードの下には銀髪の髪と、縦長の瞳孔。
それからところどころ肌を覆う鱗だ。
「あなた、
「悪いのかよ!」
「いいえ、悪くありませんよ。むしろ親しみ深いと思います」
親しみ? と聞き返す子どもにパティエンテは微笑む。
「そこまで特徴が出ているなんて父母か祖父母あたりがドラゴンなのですか?」
「わかんのか!?」
身を乗り出した子どもに少しだけパティエンテは驚きながらも頷く。
「私の故郷でもあなたほど特徴が出ている子は珍しいものでしたが、母がドラゴンの竜人と似ていますね」
竜人はドラゴンと人間との間に出来た子供の名称でもある。
人間の身体に変化して子を為したものや、相手の魔力と自分の魔力を混ぜて卵を孵したものなどドラゴンの繁殖方法は多い。
積極的に子を持たない代わりに単体でも卵を産めるといったように生物としての造りが他とは異なるのだ。
だからこそ竜人といったように間の子だって産まれる。
ドラゴンの血が濃いほど子どものような特徴が現れるのだ。
「あなたは――、すみません名前を伺っても? 私のことはエンテとお呼びください」
「オレはネクト。爺さんがドラゴンだったらしいんだけど、父さんから聞いただけだからよく分からない」
少年の名はネクト・ハーディ。
祖父にドラゴンをもつ竜人の少年である。祖父が何処のドラゴンかは知らず、両親とも死別。
姓は幼い頃に亡くなった父親のもので、現在はこの街に住む女性と暮らしている。
「オレが使おうとした魔法を咆哮って言ったよな。なんか知ってるなら教えてくれ」
「ええ、構いませんよ」
何故こうも気になっているのだろうか。
理由はわからないが必死なネクトにパティエンテは快く頷いた。
落ち着ける場所を、と近くのベンチまで案内してもらい腰を下ろす。
「あれは声に魔力をのせ、仲間に声を届ける意思疎通の手段です。ドラゴンの咆哮と同じ原理ですね」
「父さんはなんとかなる魔法だって言ってたのに……」
「いえ、なんとかなりますよ?」
あまりにもネクトが肩を落とすのでパティエンテはフォローを入れる。
「一人前のドラゴンたるものの、基本的にはひとりで解決せねばなりませんが、どうにもならなくなることだってあります」
「もしかして、誰かが助けてくれるからなんとかなる魔法ってワケか!?」
「はい。事実、私が駆け付けたわけですし」
ネクトの魔法は人間の父から教わったものだという。そして父は妻――ネクトの母から教わったのだと。
ドラゴンほど上手くはできずとも、親しい相手の声ならば届きやすいものだ。
予想ですよ、と前置きをして。
人間である父の助けを聞き取る為に竜人の母はドラゴンの咆哮を教えたのだろうとパティエンテは話す。
「今まで魔法が上手く出来なかったのは、誰にも声が届いてなかっただけで成功してたのかな」
「うーん、成功かと言われると下手すぎて怪しいですね。たまたま近くに居た私が聞き取れただけかと。小竜でももう少し上手く鳴きます」
「なっ」
本来の咆哮とは大陸ひとつ程度なら届く程の連絡手段だ。
同じ街の中でかろうじて聞き取れる程度の咆哮など、むしろパティエンテの耳に届いた方が奇跡だともいえる。
だが、父から教わった正しい意味すら知らない又聞きの咆哮。
人間の中には竜の咆哮を使いこなせる者もいるがごく一部。
完全に使いこなせる方が難しい。
「なんでエンテはドラゴンに詳しいんだ?」
「それはですねぇ」
パティエンテは嘘をつくのが苦手だ。
苦手ではあるが、モナルとの“ロースラグ王国から来たという出自を隠せ”という約束も破りたくはない。
どうしようかな、と一瞬だけ考えて。
「故郷ではドラゴンが身近に居たので。きっと帰れない場所なのですが」
考えて、出来るだけ真実を話す。
自分がドラゴンであるとは意図的に伏せながら。
幸いにしてネクトは空気の読める子どもだったので、ふーんと一言だけの反応をした。
「じゃあさ、魔法……っていうか咆哮とか、ドラゴンとか! オレに教えてくれよ」
「主観でしか教えられませんよ」
「いい! 全然いいよそれで。あっ、礼は――小遣い溜まったら全部やるから!」
椅子から降りてネクトはパティエンテと向き合った。
顔も知らない母と、幼い頃に亡くなった父。
少しでも自分のルーツについて知りたいと思ったのだ。
「子どもからお金を巻き上げる気はありません」
「えー、でもセレンは対価はキッチリしろって言ってたのに。セレンってのはオレを引き取ってくれた人なんだけど」
「恩人からの教えですか。無下には出来ませんね」
対価をうやむやにしたら後が大変になるんだ、とネクトは力説する。
どうも育ての親からきつく言われているらしい。
パティエンテからすると、自分の主観を語るだけで対価を貰うのは釣り合いがとれない。
それが子どもの小遣いなら余計に受け取れないものだった。
「そうだ、それなら私も知りたいことがあるのです。それを対価にしてください」
「なんだ?」
何がいいのか考えて、ひとつだけ思いついた。
「私はとんでもない田舎者なのでヒトがよくわからないのです。だからヒトについて教えてください」
「ヒト?」
口に出してみて妙案だと改めて思う。
「恩を返したいヒトが居るのですが、その為に何をしたらよいのかわからないのです」
倒れていた所を助けてくれたモナル。
彼に助けられずとも、パティエンテは全快していただろうが関係ない。
与えてくれた嬉しさこそが大恩だとパティエンテは感じている。
パティエンテの目的は街で伴侶を見つけること。
それを差し置いてでも先にモナルへの恩返しをしたいと思っていた。
しかし、恩を返すにしても彼女の知識では何もできない。
「どうしたら喜んでくれるのか。どうやったら怒らせないようにできるのか。
わからないからこそ、ヒトが知りたいのです」
竜人とはいえネクトはずっとヒトの街で暮らしてきた少年だ。
彼からならばヒトについてよく知り、学べるだろうとパティエンテは考えた。
生活にしたって王宮と街はまったく違う。
王宮に住むヒトよりも街に住むヒトの方が人口も種族だってずっと多い。
加えて、王宮で王妃教育を受けている時だって人間について知る機会なんて身体の構造ぐらいしかなかった。
マナーこそ教わっていたものの『ありのままの、貴方の在り方でいい』とろくに人間を知る機会が無かったのだ。
だからこそ多様なヒトについてパティエンテは知りたかった。
きっとその中に、模倣すべき在り方が有るはずだと思ったのだ。
「わかった。こーしょー成立だな!」
「はい」
パティエンテに伸ばされた小さな手。
お互いの目的の為に握手を交わした。
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