人と獣の境界線 羽ばたきの追跡者

蒼衣ユイ

第一話 運命の出会い(一)

 空には暗雲が立ち込めている。もうじき雨が降るであろう暗がりの中を、渡鴉の鳥獣人・威龍うぇいろんは旋回しながら飛んでいた。

 界隈を上空から確認すると森の木々をすり抜け地上へ向かうと、空中でくるりと回転しながら人間の少年へと姿を変える。獣人が人間になる『人化』だ。

 威龍は人間の姿で地表に足を着くと、大きく手を振っている男の側へ駆け寄った。


「父さん! さっきの三差路は一番右だ! 華理ほぁりいへの大通りがある!」

「やっぱりか……まーたやっちまったよ……」


 威龍が父と呼んだ男は人化で裸になった威龍に上着を放り投げた。

 がくりと肩を落として後ろに停まっている馬車へと目を向ける。馬車では数名の男達が威龍たちの様子を伺っていた。


「おーい! 憂炎ゆーえん! どうなんだ! 真っすぐでいいのか!」

「すまん! やっぱ間違ったみたいだ! 右だった!」


 男たちは遠目でも分かるほどに落胆し、表情は見るからにむかっ腹を立てている。


「……俺は二度と地図を持たんぞ。今度こそ絶対にだ」

「いつもそれ言ってるじゃん。最初から俺を先行させなって」

「けど鳥獣人は希少種だ! 狙う人間がいないとも限らん!」


 鳥獣人は絶対数が少ない。理由はいくつかあるが、一つが人間の狩りだ。

 獣人が獣の姿でいると野生と区別がつかない。大きさが野生と相当違えば『恐らく獣人だろう』と予想はできるが、そうでない限りは分からない。

 そのため人間の狩猟民が悪気無く獣人を殺す事件がたまさかあった。

 飛行中に意思を伝える術が無く、空中で人化すれば落下して死亡も珍しくない。


「狩猟民なんて今時いないよ。人間は狩りなんてしなくなった」

「分からんだろうが。俺が十の頃はまだ狩猟で生計を立ててる人間もいた」

「憂炎もう四十前でしょ? 三十年も経てば文明も変わってるってば」


 威龍は軽く笑って憂炎の背を叩いたが、それでも憂炎は辛そうな顔をしている。

 がしがしと威龍の頭を撫でて苦笑いを浮かべた。


「俺が鳥ならよかったんだがな。お前に危ない役割を負わせずにすむ」

「負わせるって、隊員の利を生かすのは隊商として当然だよ」


 隊商は古くから獣人が行っていた生活様式の一つだ。

 馬車で全国を周り商売をする集団で、主に一族身内で構成される。種族単位での行動を好む獣人は隊商生活を選ぶ者が多かった。

 しかし今は人間が経営する物流事業の一業務として行われている場合が多い。

 これは人間が確立した獣人との共生手段の一つだった。


「馬獣人は高速運搬、でかい獣人は重量運搬、鳥獣人は偵察。そういう業務だ」

「俺の頃はそんな割り切り方はなかったんだ。適材適所っていやそうなんだろうが」


 獣種の特性を生かすことで人間では不可能だった多様な物流を確立した。かつては単一獣種で構成されていたが、今は様々な獣種が集まっている。


「隊商はいかに安全に最短距離を移動できるかで価値が変わる。俺が偵察すればそれが叶うんだ。やるべきだよ」


 隊商には幾つかの問題と危険が伴う。

 まず大量の荷物を野盗や野生動物から守り無事に抜けるのが困難で、力の無い人間は確実に狙われ被害に遭う。道に迷ったら食料品は傷み売り物にならなくなる。

 だが鳥獣人が偵察すれば危険を避けて進むことができる。鳥獣人の道案内は全隊商が欲しがる貴重な能力だ。それを生涯の仕事にする鳥獣人もいる。


「俺が偵察するべきなんだよ。それ目当てで入隊した奴もいるしさ」

「けど危険がないとは言い切れないじゃないか。飛ぶのはなあ……」

「心配しすぎだよ。それに隊の長が獅子であることはそれだけで俺らを守る。父さんはそのままでいいんだ」

「俺を父と呼んでくれるのは托卵のお前だけだよ。孤児は拾っても国に預けるから父とは思ってくれん」


 隊商の隊員は長に採用され就職するが威龍は違う。

 親が子を他者に養育を頼む托卵が本能の鳥獣人だったようで、赤ん坊のころ憂炎に預けられたらしい。血の繋がりは無いが、威龍にとって憂炎は父だった。

 旅の道中に孤児難民を保護する場合もあるが、基本的には役所へ連れて行って終わりだ。 居つく子供は隊員が生む子供のみになるが、子供が生まれれば安定を求めて離隊する隊員がほとんどだ。

 その点、威龍は憂炎が父親なので離隊する必要が無い。人間の物流事業に所属しない、憂炎のような独立隊商を継いで増やすのは威龍のような托卵である場合が多い。


「いや、しかし遭難はいかんな。次は危なくない程度に偵察を」

「父さん! あれ!」


 威龍は茂みに入ったところで見えた光景に思わず声を上げた。

 鴉が一羽、ぎゃあぎゃあと鳴き声を上げながら青い羽の生き物を突いている。

 周囲を気にせず声を上げ暴力を振るうのは野生だ。獣人がやれば犯罪となり、人間が確立した各国の法に則って裁かれる。こんな目立つやり方をする馬鹿はいない。


「お前ら何してんだ! そいつを放せ!」


 威龍は右腕だけを羽に変え鴉に向けて羽ばたいた。

 鳥獣人の腕は羽だ。人間社会では目的に応じて部分的に獣へ変える。人間を怖がらせず便利に使えるからだ。羽なら青い羽の生き物を傷つけず鴉を追い払えるだろう。

 案の定、驚いた鴉はあっという間に飛んで行った。

 威龍は慌てて青い羽の生き物へ駆け寄ると、両腕で抱かなければいけないくらい大きい。

 初めて見る青い羽に、どんな鳥かわくわくしながら羽をかき分けた。すると、見えてきた身体は鳥ではなかった。


「あ! こいつ鳥じゃない! 有翼人だ! こんな色いるんだ!」

「ほとんど白いからな。たまに見るが、ここまで綺麗なのは珍しい」


 赤ん坊は有翼人の男児だった。威龍は無事か確認するために手をそっと握ると、赤ん坊も小さな手できゅっと握り返してくる。

 青い羽の赤ん坊はぱっちりとした丸い目をきょとんとさせて威龍を見つめている。

 必死に威龍へ手を伸ばし、しがみつこうとしている姿に威龍の胸は高鳴った。思わずぎゅっと赤ん坊を抱きしめて頬ずりをする。


「ちゃんと俺が見えてるんだな。怖かったな。一人でよく頑張ったぞ」

「擦りむいてるな。手当してやろう。化膿するといけない」

「うん! もう大丈夫だぞ。すぐ痛いの治るからな」


 分かっているのかいないのか、きゃっきゃと笑っている青い羽の赤ん坊を抱きしめて威龍は全力で馬車へと走った。

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