『乙女ゲームの世界の悪役令嬢に転生してしまった』世界の原作主人公に転生してしまった

@patrick_t_s_dodgson

王国歴743年 獅子の月 2日

 カーテン越しに、さわやかな朝の光が差し込む。


「ふあ……」


 叶精一はごく普通のボンクラオタク大学カナ・エステルは学校生活に不安を膨ら生であったませていた

昨日夜更かししてしまったあんまり眠れなかったから眠い。

でも今日は一限入れてないしそんなに焦る必要もないが三日後の入学式にそなえて準備を進めないと


「へあっ!?」


 何かがおかしい。考えていることが二重になっているような妙な感覚。寝ぼけているのだろうか。ゆっくり状態を起こして、背伸びを一つ。ベッドから出ないまま周囲を見渡す。見慣れない部屋。明らかに現代日本のアパートではない学院の寮は孤児院よりもだいぶ綺麗だ。ベッドもふかふかだ。


しばらく慣れないだろうなウッソだろお前これ何ここどこってか俺女の子ォ!?……」


 混乱して叫んだつもりが、口から出たのは物憂げな女の子の声。どうやら俺は、私になってしまったらしい。


***


 あまりの驚きで眠気はふっ飛び、思考が回りだす。とりあえず状況を整理したい。TS転生? 意識憑依だけか……? とりあえずベッドから飛び出してラジオ体操っぽいアクション。慣れたそれよりも随分と小さく細い手が視界に入るが、ともかく体は自分の思う通りに動く。


「つぇ、つぇ、とぅ、今日はいい天気」


 普通に喋ることもできた。さっきの台詞フィルターはなんだったんだ。さて、もう少し心の準備をしたいという気持ちはあったが……そもそも出かける用事があるのだから身支度はしなければ。洗面台で意を決して鏡を見たところで、さっそく私が何者が確定してしまった。


 平均よりちょっと低めの背、肉付きのうすい体。茶色の長い髪。ここまでは、よくいる田舎育ちの町娘だ。しかし、寝起きでも元気に頭頂部から飛び出ている双葉のようなアホ毛と、目が覚めていても眠たそうに見える細目が記憶にあるビジュアルと完全に一致するので間違いようがない。私、カナ・エステルは、「すば断」世界の原作ゲーム「ラママラ」における、主人公である。


***


 順を追って思い出していこう。まず「すば断」つまり、「すばらしき断頭台の日 ~胸糞乙女ゲーの破滅確定悪役令嬢に転生してしまった?上等!知識権力努力内政すべて駆使して破滅イベントも原作シナリオもまとめて粉砕してさしあげますわ!~」は、いわゆる乙女ゲー悪役令嬢転生モノだ。


 とある乙女ゲームにおいて、どのルートでも必ず破滅する悪役として配置されている侯爵令嬢「ドロテア・エト=ホーフト」に転生してしまった主人公が、様々な騒動を引き起こしつつ、その身に課せられた破滅の運命と原作シナリオをバキバキに粉砕していく、という内容のWEB小説で、書籍化・コミカライズ・アニメ化もされたビッグタイトルである。ちなみに俺は連載開始時から読んでいる古参のオタクだ。


 そしてドロテアが憎んで、または一周して愛してやまない「原作ゲーム」が、「さまざまな危機がうずまく世界で真実の愛の魔法を探し出すちょっとハードな物語 Love Magic & Magic Love」、本編内での通称が「ラママラ」である。


 この手の作品に普段触れない人にはちょっとややこしい話ではあるが、ラママラは実在する乙女ゲームではない。すば断という作品に二次創作っぽいエッセンスを与えるための「架空原作」なのだ。


 さらに言えば、そもそも実際の乙女ゲームに悪役令嬢という役柄のキャラクターが存在することはほとんどなく、この乙女ゲー転生というのがWEB小説界におけるテンプレというか一種のシェアード・ワールドめいた集団幻覚でェ……やめやめ、今はオタクを出してる場合じゃない。


 話を戻すと、そもそも実在しないゲームなので細部まで設定が判明しているわけではないのだが、メインの舞台としては斜陽の王国における魔法学園モノであり、ドロテアによると「人間のことが嫌いになるゲーム」である。


 ルートによって王位継承争いで国が割れたり、軍部がクーデターを起こしたり、モンスターの大襲撃が発生したり、謎の連続殺人の容疑者にされたりするなど、「ちょっとハードな」の一言で済ませたメーカーに憎悪が湧いてくるほどのストレス展開が襲い掛かってくる。


 そしてどのルートに進んだとしてもドロテアの破滅と生家のエト=ホーフト家の没落は避けられないし、最終的に封印された古の邪神が復活する。プレイヤーに「滅んでしまえこんな国!」と思わせてから実際に国が滅ぶところを見せられる、というあたり皮肉が利いていると言えなくもない、とのこと。


 ちなみに、復活した邪神の力の前に攻略対象たちが倒れた後、主人公が邪神に対して「真実の愛の魔法」を発動し、共に光の向こうへ消えていく……という通称「邪神エンド」がグランドエンディングらしい。いいのかそれで。


 そして、そんなラママラの主人公であるカナ・エステルとはどのような人物なのか。辺境生まれ孤児院育ちながら全人口の0.2%ほどしか持っていない魔法の才能を見出され、必死に受験勉強した結果とはいえ平民としては80年ぶりにファンバルネヴェルト魔法学院に合格したまぎれもない秀才、なのだが……ユーザーからの扱いを一言で表現すれば「主人公様メアリー・スー」である。


 シナリオ上の扱いがあまりにも良すぎるのだ。一貫性が感じられない場当たり的な行動を繰り返すが全て上手くいく、理屈抜きの幸運の持ち主。切り抜けられない危険はなく、思い付きの対策はことごとく成功する。攻略対象たちからは早々に恋愛的な意味での興味を抱かれ、共通ルートの半ばあたりでは逆ハーレム状態になる。


 「主人公補正を信頼しすぎ」「シナリオライターは恋愛に興味がない」とか言われてたな。「実は精神操作系の能力者である」みたいな考察というか邪推が流布されるレベルだったという。ドロテア曰く「強力なフェロモンを発するプロ迷子」である。


 すば断は悪役令嬢が主人公となる物語なので、本編においてのカナの扱いは当然ながら悪役だ。場当たり的な行動は原作通りだが、自身の幸運に自覚的であるうえ、基本的に話が通じないので主人公プレイヤーだった時と比べるとやや悪女めいている。


 彼女の方からドロテアに敵対的態度を取っているわけではないが、事前に折ったはずの逆ハーレムフラグが再建設されつつあることによって計画の修正を迫られたり、幸運を前提とした行動をするせいでドロテアを含む周囲が度々ピンチに陥るなどの悪質な被害が多かった。


 制御不能な状況を生み出し続けるため、最終的には数々の破滅イベントと同様にドロテアの「粉砕対象」として指定され、「処される」……具体的な描写はいっさい避けられているが、その後彼女は登場しない。


 破滅を回避するために特定個人に対して予め手を下すことを良しとするか、という葛藤をドロテアに突きつけてくるという意味では物語に欠かせない存在ではあるのだが、もちろん読者人気は高くない。彼女が出てくると感想欄が荒れるのだ。


***


 自分が何者かをだいたい思い出したところで改めて頭を抱えたくなったが、前向きに、生き残るための行動指針を考えよう。


 もし、この世界が原作ゲーム本来のシナリオをなぞっているのであれば確定的な世界の滅びが待ち構えていることになるが、入学式が三日後という時点で、すば断をなぞっているだろうと判断できる。というのも、ラママラのオープニングパートにおいては、私は入学式までに学院に着くことができていないらしく、「いないはずのカナ・エステルが入学式に出席している」というのがすば断における原作崩壊要素の一つだからだ。


 なので、目下考えるべきはドロテアに処されるような筋書きにならない過ごし方だ。これはこれで現時点では情報が少ないので……とにかく無難に、妙なアクションを起こさず普通に学生生活をしようと思う。原作ゲームに出てくるとされる「真実の愛の魔法」はちょっと気がかりではあるが、すば断側ではそんなものに頼らず邪神対策をしていくので、たぶん大丈夫だ。世界の危機はドロテアに粉砕してもらおう。


 しかし目立たず過ごす、というのは意外に難しいかもしれない。平民の特待生という時点でどうしても物珍しくはあるからだ。積極的なやらかしさえなければ、貴族子弟のスルースキルと”陰”の大学生の空気化スキルが真価を発揮してくれるはず……言ってて悲しくなってくるな。


 今後の方針をざっくりと決めたところで、まずは腹ごしらえだ。食堂に降りて、パンとスープという標準的な朝食を受け取る。スープにベーコンの少し大きいところが入っていてうれしい。


 朝早いからなのか、隅っこに陣取り、食べながら改めて本来の予定について思い返す。今日やること。学院御用達の術具店に行き、引換札を使って制服と長杖を受け取る。孤児院のマザーと連名で保証人になってくれたシスターに御礼を言うために、教会に行く。


 カナの記憶がスムーズに思い出せるのは怖いと言えば怖いのだが、今はメリットの方が大きい。そもそも魔法の才能があると言っても、現時点で何をどれくらい使えるのかも知らないくらいだしな。すば断の劇中ではカナが魔法を使う場面はほとんどなかったので……


***


「やっぱり都会すば断だ……」


 昨日は移動の疲れでゆっくり見渡す余裕もなかったが、王都の風景は辺境の田舎町とは比べ物にならないほど大きく、活気がある。アニメのすば断がそのまま現実化したらこうなるだろうな、というビジュアルが眼前に広がっていることに深く感動していた。ちなみに「疫病蔓延による治安の荒廃からの破滅」をドロテアが粉砕しているので、非常に衛生的でありその点も安心だ。ありがとうドロテア。


 術具店で真新しい制服と長杖を受け取り、坂の上にある断頭台広場を抜ける。物騒な名前だが、断頭台の実物が設置されているということはもちろんなく、それがあったとされている場所には代わりに建国のモニュメントがある、市民の憩いの場である。まあ原作ゲームでの展開によってはここは再び公開処刑場となってしまうのだが……閑話休題。


 次の目的地である教会は、そのまま大通りを下っていった先だ。道すがら、通り沿いにあるカフェテラスに目をひかれ、立ち止まる。外に置いてあるメニューを見た感じ、学生にはちょっとお高いっぽいが、お金を貯めたら入ってみたい。バイトとかあんのかな。何でこんなことになったのか解らないが、せめて楽しみは持っていたい––


「危ない!!」


 後ろから人と馬の悲鳴、そして切羽詰まった声が聞こえたのは、その時だった。驚いて振り向くと、横転した状態のままかなりの速度で横滑りしてくる馬車。避ける? どうやって? 現実を認識しきれず足が止まっているうちに、現代で言うと軽トラ並の質量がそのまま私にぶつかってくる。衝撃。吹き飛ばされたのか、視界がめちゃくちゃにシェイクされる。ああ、これは痛いだろうなあ。という他人事のような感想が、私の最後の記憶になった。


***


 カーテン越しに、さわやかな朝の光が差し込む。


「ふあ……」


 叶精一はごく普通のボンクラオタク大学カナ・エステルは学校生活に不安を膨ら生であったませていた

昨日夜更かししてしまったあんまり眠れなかったから眠い。

でも今日は一限入れてないしそんなに焦る必要もないが三日後の入学式にそなえて準備を進めないと


「へあっ!?」


 何かがおかしい。考えていることが二重になっているような……


 それどころじゃない!


 俺は……私は? なんだ今の夢は……目の前に迫る馬車のことを直前のことのように思い出せる。大丈夫だ。心臓がうるさく鳴っている、つまり生きている。意識して何度か深呼吸をして、体を落ち着かせる。不安が悪夢を見せただけだ。大丈夫。とりあえずゆっくり朝食を取りながら今日やることを考えよう……


 パンとスープを食べながら、落ち着いて現状を思い返す。今日はいつか? 獅子の月、2日。今日やることは何か? 制服と長杖の受け取りと、教会へのあいさつ。大丈夫。ベーコンの少し大きいところも入っていたし、きっといい一日になる。


 術具店で制服と長杖を受け取り、教会へ向かう。夢のお告げというものをあまり信じてはいないけど、断頭台広場から大通りを下るルートは避けよう。ちょっと遠回りにはなるが、案内札によればこっちの裏路地を通って教会側へ出られそうだ。


 ファンタジーの裏路地と言えば危険の代名詞のようなものではあるが、治安のいいこの街においては人こそ歩いていないものの、怪しい感じは何もない。民家の玄関飾りやちょっとした鉢植えがあったり、小さいが教会への案内札が立っていたりして、むしろちょっとオシャレかもしれない。ちょっと詳しくなったら安全な裏路地を散策するのもいいかもしれない––


 とぷん、と。一歩踏み出した足が石畳に少し沈み込んだような気がした。違和感にあたりを見回せば昼下がりのはずなのに周囲は薄暗く、空が夕焼けのように真っ赤だ。


 この異常現象の原因には一つしか心当たりがない。世界の裏側に潜み、死を振りまく理外の存在、「黄昏の魔人」だ。原作ゲームでは、とあるルートにおいて城下町の首なし死体事件の真相として登場する。


 本編では後半に入ってからの顔見せだったはずなので登場時期が合っていないが……世界の裏側というのが時系列に合わせて生えたり消えたりするほうがむしろおかしいので、「ずっとここにいた」と言われても納得はいく。納得はいっても状況は最悪だが。


「お嬢さん、お嬢さん。いけませんよ、こんなところに来ては。ここはわたくしの微睡み、とこしえの仮宿。入りやまずに入れば、招かれざるを招く」


 低く落ち着いた、それでいて歌うような声。あたりを見渡しても、姿はない。俺は絶望していた。「黄昏の魔人」は、出会ってしまったら詰みなのだ。本編後半における鍛え上げすぎたドロテアですら、直接戦闘を避けている。現時点は一般人でしかない私にとっては言わずもがな。


「昼は夜へ立ち入らず、夜は昼へ立ち入らぬ。黄昏歩きは笛を持ち、しかして吹かずにただ笑うのです。それを忘れているならば、大事なものを落としてしまう……このようにね」


 首筋に冷たい感触が触れたと思ったのは、予備知識が生み出した気のせいかも知れない。魔人の手際がそんなに悪いはずはないからだ。視界がくるりと縦に回って、落ちていく。痛みは、なかった。


「出会いにはしかるべき時というものがある。今はそうではありませんでしたよ、お嬢さん」


***



「……」


 一度なら夢だと断ずることもできた。二度でも、夢だと思い込むことはできるかもしれない。だが、そもそも俺が私になっている時点で、もう何が起こってもおかしくはないのだと、認めるべきだったのだ。……死に戻った。


 そして、理解した。カナ・エステルの「幸運」の正体は、死に戻りによる致命的シチュエーション回避の結果である、ということを。


***


 王都から脱出しようとしたら、大門から出たところでモンスターに襲われて死んだ。


 出かけずにいたら、寮で火事が起き、煙にまかれて死んだ。


 術具店からまっすぐ帰ろうとしてみたら、暴漢の捕り物に巻き込まれて死んだ。


 先に教会に行ったら、教会が謎の狂信者たちの襲撃に遭って死んだ。


 馬車事故そのものを防げば、市場で刃傷沙汰が起きて死んだ。


 危険な状況をまるごと回避しようとすると逃れようもなく死ぬことに気付いてからは、当初の予定通りの行動をベースに一つずつ死を回避する方向に切り替えた。


 馬車を避けきれず死んだ。落ちてきた植木鉢に当たって死んだ。我流で学んだ魔法が暴発して死んだ。寮に入れず、夜の街に放り出されて死んだ。


 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ……伝奇ADVとタメを張れそうだ。


 だが、死の答え合わせをしてくれる親切な師匠などここにはいない。


 歩くたびに消える未来の足跡を、一歩ずつなぞりながら先に進むしかない。


 そうして数えるのも面倒なほどの自分の死を重ねて……出来上がったチャートがこちらになります。すばらしき断頭台の日ショーケース、ステージはカナ・エステル入学三日前、レギュレーションは「生存」です。はーじまーるよー


***


 まず、朝ごはんはちゃんと食べる。ベーコンのちょっと大きい切れ端が入っていてお得なので。術具店までは最短ルートで行って構いませんが、三の鐘が鳴るまではお店が開きません。開店前に着いても何もいいことはないので、焦らず寮を出る前に大鞄から回収できるものは回収しておきましょう。まあ私物ってほとんどないんですけど……引換札と、マザーからもらったペンだけは忘れずに。術具店で制服と長杖を受け取ったあとはおのぼりさんらしくはしゃいで、試着室を貸してもらって制服に着替えてしまいましょう。学院の制服は特殊な加工がなされているので、各種能力がわずかに底上げされます。デザインもかわいい。社交辞令だとは思いますが、店員さんも褒めてくれるので気分がいいです。その後断頭台広場へ向けて歩いていきますが、飛来物の影響を最小限にするために右側通行を徹底します。広場で吟遊詩人の演奏を聴きながら少し立ち止まっていると、露店の奥から子猫が走り抜けてきますので、続けて飛び出してきた女の子から捕獲依頼を受け、手荷物を預けてダッシュ。速度を調整しながら坂を下り、タイミングをはかって距離を詰めて5本目の街路樹の上へ子猫を誘導します。これを追いかけて木登りをするわけですが、踏むと折れる枝があることと、制服はスカートであることに気を付けて。子猫を確保したところでちょうど横転馬車が通り過ぎますので、すかさず車体右側に向けて「誘引」を二連打。素人が杖も持たずに使った魔法なので、制服の補助効果があっても二回目は不完全発動になりますが、車体の突っこむ先をカフェテラスからその横の物置小屋にずらすだけなので威力的にはこれで足ります。魔法の反動で木から落下するものの、おがくず入りの木箱に背中から落ちられれば無傷です。このあたりは完全な状況再現は出来ていませんが、猫を守る、大怪我をしない、の二点を押さえていれば問題なし。これで、「猫を追いかけて木に登ったが馬車事故にびっくりして落下。しかし幸運にも無事だった、変な学院生」の完成です。追いついてきた女の子に子猫を引き渡して荷物を受け取り、道路の片付けを手伝って、周囲の人に木登りのことは黙っていてもらうようにお願いしたら急いで教会へ向かいます。ここでも右側通行を徹底するように。教会に着いたらまずシスターへ御礼の挨拶をし、礼拝堂で祈りを捧げます。このとき偶然ドロテアが教会を訪れますが、目を閉じたまま祈り続けることで、ニアミスしつつも直接の対面はしない状態を作り出します。ここでの遭遇を完全に避けても、会話をしてしまっても上手くいきませんでした。「この時点でいるはずのないカナ・エステルがいる」という情報だけをドロテアに与えるのが重要なようです。教会での用事を一通り終えると夕方ですが、何も考えずまっすぐ帰路について夕暮れの断頭台広場に足を踏み入れると「黄昏の魔人」の領域に繋がってしまって詰みです。なので教会で掃除や力仕事を手伝って時間を調整し、六の鐘が鳴ってからゆっくり帰りましょう。寮の門限は当然過ぎていますが、そもそも火災で私の部屋を含む下級棟が焼けてしまっているため、有耶無耶にできます。寮母さまとこれからのことを相談していると、このチャートを通った時のみドロテアが通りがかり、差し当たりの相部屋を提案してくれますので、素直に善意を受け取ったところで、タイマーストップです。


***


 のこのことドロテアについて行くと、そのまま私室に通される。ベッドを入れてもらったのは隣の使用人部屋のはずだけど……と、頭上に疑問符を浮かべつつある間に、振り返った彼女がまっすぐこちらを見る。


「はじめまして……で、よろしいわね? とはいえ貴女の事は知っています、特待生のエステル。わたくしはドロテア・エト=ホーフト。貴女のほうも、知っているという顔ね。ああ、とりたてて畏まる必要はなくてよ。学院の制服を纏う者に貴賤なし、ですもの。しかし、貴女も災難でしたわね、寮に着いて早々に焼け出されるなんて」


 ドロテアの容姿は、端的に言えば華と圧のある顔面強者である。中身は転生者だが、生粋の貴族なので姿勢もいい。そして台詞にも圧がある……つまり、対面して改めて実感したが、めちゃくちゃ怖い。


「火事にはびっくりしましたが、お助けいただき感謝に堪えません、エト=ホーフト様。急なことでご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。幸運なことに外出していたおかげで怪我もなく、ここには昨日着いたばかりですので私物もありません」


 受け答えを間違えたら死ぬんじゃないか? という内心の冷汗を、大貴族と同室してしまったという緊張のガワに隠すようにして、当たり障りのなさそうな受け答えをひねり出す。


、ね。平民の身でファンバルネヴェルトへの入学を許された以上、弱みは見せられぬ、ということかしら。気丈だこと……貴女という存在に多少の興味が湧きましたが、ひとまず今宵はお休みなさいな。その分だと自覚はなさそうですが、ひどい顔色をしていてよ」


 無意識で使ってしまった「幸運」という単語に対し、ドロテアは明らかな引っ掛かりを覚えたようだが、退出を許された。何かのに、今日のところは合格したらしい。


***


 ベッドの中で、長かった一日のことを思う。


(こんなTASみたいな生き方をしていくのか、俺は)


 ツールアシステッドスピードランならぬ、転生アシステッド死に戻り。本来の展開と乖離しまくっているので、二重に転生知識ある癖にアシストめちゃくちゃ薄いのマジで勘弁してほしい。すば断の時系列的には、今は第三部「ファンバルネヴェルト魔法学院 一年生編」の冒頭にあたるはずだが、もちろん本編にはこのような場面はなかったし、そもそもドロテアとカナは現時点では出会ってすらいない。だが、むしろ出会うとしたらここしかない、と私の直感が強烈に告げている。俺はそれを信じるしかなかった。


 手札は少なく、破滅のきっかけはあまりにも多い。原作ゲームを粉砕する本編の展開すら捻じ曲げながら進まざるを得ない俺の、あるいは私の。あるかどうかもわからない生存エンドに向かうための孤独な戦いは、始まったばかりだ。


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