必滅の魔女~森の闇に潜むモノ~

坂井ユキ

第0話

見渡す限り続く森。

どれだけ歩いても、どれだけ声を枯らして助けを呼んでも答えるモノは誰もいない。


この底知れぬ深い森に突然迷い込んでから、一体幾日が過ぎたのだろう。


草の根を齧り、夜露で喉を潤し……とまではいかなくても、まともに食べられるモノもないまま何日も彷徨い続けている私は、もうこのまま死ぬのかもしれない。


どこか他人事のようにそんなことを考えてしまう自分の思考に、誰よりも私自身が驚いている。


私は普通の大学生だったはずだ。

それが、アルバイトを終えて一人暮らしの安アパートに帰り、部屋のドアを開けたと思ったら突然こんな森の中にいた。


何が起きたのかわからずに混乱した私は、きっとこれは夢なんだろうという安易な結論に辿り着いた。

だって仕方ないでしょ?

こんな在り来りなラノベみたいなこと。

現実に自分の身に起きたなんて信じられる訳がない。


夢だと思ったからこそ、寝れば現実では目が覚めるんじゃないかと思って、特に何の警戒もしないで適当に地面の柔らかそうな場所で眠りについた。

だけど、目が覚めても私が自分の部屋に帰っていることはなく、こうして何日も過ぎてしまった。


今にして思えば、よく獣に襲われることもなく最初の夜を越せたと思う。

幸いなことに……いや、こんな状況になっていて幸いも何もないとは思うけど、今現在に至るまで、獣に襲われるようなことはない。


でも時折気配は感じるし、何も見えない闇の向こう側から鳴き声だけが聞こえてくることは頻繁にある。

今襲って来ないのは、私が力尽きて死ぬのを待っているからなのか。

それともに何か他に理由があるのかはわからないけど、道具一つ持っていない私が獣に襲われて無事でいられるとはとても思えない。


だからこそ、一刻も早くこの森から抜け出さないといけないと思ってるんだけど、どれだけ歩いても森から抜け出せない。


完全に遭難してしまっているのはわかるけど、今更どうしようもないし。


だから私は今宵も闇の中をひたすらに歩き続ける。


流石に疲れて来たし、そろそろ今夜の寝床を探そうと思っていた時。

ふと夜空を見上げると、美しい満月が輝いていた。

ここが何処なのか、未だに全然わからないけど、見慣れた月を見ると少しほっとする。


今夜は月がよく見える場所で寝ようかな。

そんなことを考えながら、何気なく見渡した視界の隅に微かに灯る明かりが見えた。


私は逸る心を押さえつけ、慎重にそちらへと向かう。

獣は火を怖がるだろうから、その明かりを灯しているのは人間に違いない。

だったら、きっと私を助けてくれるはずだ。


そんな淡い期待は、明かりの主を目にした瞬間に吹き飛んでしまう。


そこにいたのは、薄汚れた衣を身に纏う男達。

焚き火を囲んで、食事をしているようだ。

見るからに堅気ではなさそうな人相をしていたけど、それ以上に恐ろしいモノを私は男達の傍らに見つけてしまった。


大声で何やら笑いながら食事をしている男達の足元に横たわる大きな物体。

成人男性くらいの大きさがあるそれは、ぴくりとも動かない。

そして、その周囲に広がっている赤黒いモノ。

あれは…………。


「なんだぁ?お前何者だ?」


無意識に後ずさっていた私の、そのさらに背後から突然声がかけられる。


暗闇の中からゆっくりと姿を見せたのは、焚き火を囲む男達と同じような姿をした二人組。

その手に握られた大振りの刃物が、月明かりに照らされて鈍く光を放っている。


せっかくさっきまでは綺麗な月を見て良い気分になっていたのに、そんな気持ちは一瞬にして消え去ってしまっていた。

今私の心を支配しているのは、あの地面に転がっていた物言わぬ物体と同じになってしまうという恐怖のみ。


「なんでこんな所にガキがいる?

まぁ良い、お前ちょっと……あ!待てやコラっ!!」


訝しむように私を見ていた男が一歩こちらに踏み出した瞬間。

私はその場から全力で逃げ出した。


「このガキ!!止まれっ!!」


全速力で森の中を走る私の後ろから、男達の怒声が響く。


止まれと言われて誰が止まるものか。

男達に捕まったら最後。

私がどうなるかなんて、分かりきっている。


もうどれくらい走り続けているのか。


静寂に包まれていた森の中に、私が必死に走る足音と男達の怒声が響き渡る。


限界を迎えつつある肺が痛い。

心臓も、これ以上は壊れてしまうのではないかと思うくらいに早鐘を打っている。


こんな時なのに、思うように動かせない体が酷くもどかしく感じる。

なんで私はこんな体になっているんだ。


つい思考が関係ない方向に向いてしまったのがいけなかったのかもしれない。


深い木々に包まれた森は、月明かりがまともに届かない程に暗く、私は足元に伸びる木の根に気が付けなかった。


あっと思った時にはもう遅い。

木の根に躓いた私は、まともに受け身を取ることも出来ずに地面を派手に転がった。


「全く……手間取らせやがって……」


男達の苛立つ声がすぐ近くから聞こえる。


何とか体を起こして振り返ると、すぐ目の前に迫る男の手が見えた。


殺される……!

突然こんな森の中に放り出されても、不思議と恐怖は感じていなかった。

しかし、今目の前に迫る危機に、私の心は完全に死の恐怖に飲み込まれていた。


「ひっ……や、やだ…………」


無意識に漏れだした声は、情けない程に震えている。


「安心しな。大人しくしてりゃ、悪いようにはしねえよ」


私の怯えを感じ取った男の顔に、醜悪な笑みが浮かぶ。

そんな顔で安心しろと言われて誰が信じるというのか。


いよいよ男の手が私に届こうかと迫り、私の恐怖は限界に達した。


「やめて……。『来ないで』!!」


その叫びは無意識だった。

ただひたすらに男達が恐ろしく、それで往生際悪く咄嗟に出てしまっただけのモノ。


「な、なんだ!?体が動かねぇ!!」


「え……?」


目の前には理解出来ない光景があった。


私に手を伸ばした不自然な体勢のままぴくりとも動かない男。

必死に体を動かそうとしているのか、その顔は苦悶に歪んでいる。


「な、なにが起きたの……?」


「おい!!どうした!?」


私の疑問に答える代わりに聞こえて来たのは、男の仲間達の声。


結局何一つ事態が掴めないまま、私はその場から再び逃げ出した。



あの時男の動きを止めたのが、私がいつの間にか身に付けていた不思議な能力のせいだと気が付いたのは、それから暫く経ってからだった。


どうやら、私が意思を込めて放った言葉には、相手をそのようにしてしまう力があるらしい。


そして、何度かあの月夜に遭遇したような男達に出会ううちに、私はここが日本ではない。

ましてや、地球ですらないことに気が付いた。


どうやら、よくあるラノベように私は異世界転移というやつをしてしまったらしい。

それも、かなりハードな部類だと思う。


不思議な能力こそあるけど、逆に言えばそれしかない。

住む場所も食べる物も、頼りになる仲間もいない。


時たま出会うこの世界の住人は、私から奪おうとする人ばかりだ。


だったらもういい。

それがこの世界の流儀だと言うのなら、私もそれに従うまでだ。


奪われるくらいなら、奪ってしまえ。

殺されるくらいなら、殺してしまえ。


そう決意した時。

私の中で大切な何かが音を立てて崩れ去ってしまった気がした。


だけど、私はそれに気が付かないフリをした前を向く。


私は何があっても、何をしてでも生き抜いてやる。


この世界が私を殺そうと言うのなら、世界だって滅ぼして生き延びてみせる。

そのためなら私は…………。




これは、やがて”必滅の魔女”と呼ばれて人々から恐れられるようになる私の、始まりの物語。

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必滅の魔女~森の闇に潜むモノ~ 坂井ユキ @yukisakai

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