第5話
アイドルの顔を真似た人が事件を起こした、と朝のニュースでやっていた。アイドルに振り向いて欲しいからという動機で、通り魔事件を起こしたらしい。名誉毀損の方向でも訴えられると神妙な面持ちでニュースキャスターが読み上げている。
「物騒な世界になったわね」
母は私の顔で不安げにしている。ニュースによると、その人は自分も後で死のうと思っていて、自分用の青いカッターをポケットに入れていた。青は、アイドルのカラーで、推しに殺されるのなら本望だという犯人のツイートが拡散されている。私はそれよりも一個前に報道されていた小麦の価格がまた上がることが心配だった。価格が変わるとレジがめんどくさくなる。
「おんなじ顔にして、アイドルの人の迷惑かけると考えなかったのかしら」
その言葉をそっくりお返ししたい所、口にするのは思い留まる。
「自分の所為で人気が地に落ちるのは本望なんじゃない? 犯人メンヘラっぽいし」
テーブルには昨日持って帰ったアンパンが二等分されていた。私は小さい方を食べる。そんなものかしらねぇ、と呟きながら、目がテレビに釘付けになっていた。
「お母さんだって同じことしてるじゃん。私の顔で変な真似しないでよ」
「失礼ね。自分の娘の足を引っ張ろうだなんて思ってないから」
「そう思うんだったら制服絶対使わないでよ。お母さんが同じ格好すると、私だと思っていろんな人が声かけてくるんだから」
「そんなことより早く食べちゃいなさい。遅刻じゃない?」
はっきりとした返事がないということは、多分今日も使うのだろう。母は私が先に食べ終わっていた目玉焼きのお皿を下げた。アンパンを飲み込んで、一緒に持って行ってもらう。椅子が軋んだ。最近家のものが古くなって、ミシミシと音を立てる。
「あ、お母さん今日出かけるから。夜は適当に自分で買ってきて」
「私バイト」
母は最近よく外に出かける。というか、元々が出なさすぎだった。専業主婦の母はずっと家にいて、近所に買い物に行く以外にどこかへ行くのを見たことがない。それだけ私につきっきりだった。だから外に出ることは良いことだ。
「今日どこ行くの?」
「ちょっと近場にね。知り合いと」
私は、母の友人を全く知らなかった。
1時間目からずっと授業をきちんと受けていたにも関わらずなんで教室にいるの? とクラスメイトに訊かれた。私は名札を見て、彼女がどのクラスメイトなのか確認した。クラスのほとんどが付け替えパーツをつけていて、日によって別人の顔立ちをしている。誰なのかを顔で判断するのは不可能だった。今日は隣にいる子とパーツを揃えていてますます混乱する。
「さっき駅前でおじさんと一緒にいたよね?」
ついにやったか、と頭を抱えたくなった。私が制服を着ていたかわざわざ聞くでもなく、私がおじさんと一緒に車に乗ってどこかへ去って行ったのを見たと言う。私はすごく楽しそうで、腕を組んでそのおじさんになんとなく胸を押し付けているみたいだったと詳しく話されると、リアルに想像できてしまって悪寒が走った。
一人でゲームセンターにいるとか、モールで買い物をしていたとか言う話は聞いてきたけど、どれも単独行動だったから我慢した。
「うち今日は3限からだったからさっき来たんだけど、白昼堂々パパ活してるのかなって思ったもん」
冗談として受け取れるギリギリのクラスメイトだった。私が誰と腕を組んでいるのかとても気になっている二人に、あれは母だと言うのは家族の抱えている問題を曝け出すようであまりしたくはなかった。だからきちんと私は笑った。
「パパ活とかやめてよ。やらないよ」
「だよね。篠崎さんはやらなそうだから尚更びっくりしたの。バイトの人かなって」
「バイトは女の人ばっかりだよ。もしパパ活するとして、さすがに学校の最寄りでやる勇気はないわ」
「でもさ、私こないだ見たよ。近所のスーパーにいなかった?」
「それも私じゃないよ。スーパー別に用事ないし。見間違いじゃない?」
「いや、声かけようと思って結構近くまで行ったんだけど篠崎さんにそっくりだったよ。制服着てたし。ほら、篠崎さんのネクタイの結び目って他の子より小さいじゃん。それも同じだったよ」
きゃーと何に向けたのか分からない悲鳴をあげて、クラスメイトは笑った。どこかのCMに使われそうな、弾けた感じがした。逆にいうと、顔が変われば皆それっぽくなれるということだ。隣にいた子が、うるさいと頭を軽くはたいていた。
でも確かに篠崎さんにそっくりだったのに。ドッペルゲンガー? いや、誰かが顔を悪用してるのかも。わざわざ篠崎さんの顔?
クラスメイトはすぐに自分の失言に気がついた。モデルみたいな顔の方がさ、凡庸的で逆に気付かれづらいと思うんだよね、と苦しい言い訳をした。別に今更傷つくようなことではない。寧ろ、気を遣われる方がしんどかった。
私も同感だ。ありとあらゆる顔の中から、なぜ母はわざわざ私を選んだのか。
「そうだ、篠崎さんはまだパーツつけないの?」
そうやって別の話題にずらされるのが一番屈辱的だ。枝葉の先まできちんと満たして、情報を共有しあう。教室はとてつもなく小さいということを、今日も実感している。
「うーん、まぁそのうちとも思うけど、今更とも思う」
ウケる、といいながら、クラスメイトは去って行った。ウケるという言葉を久しぶりに聞いた気がした。
クラスの中では私だけが素顔だった。夏休み前までは仲良くしていた子が何人かいたけど、自然と疎遠になっていった。人は顔じゃないと言っていた人たちをまとめて団子にしてやりたいぐらいに、顔の大切さを目の当たりにしている。
次は体育の授業だから、サボろうと思う。皆が更衣室に向かう中、私は下駄箱へと足を進めた。
母は一体、高校生の時に何をしていたのだろう。高校じゃなくてもいい。学生時代全般、会社員時代とか。母は、細身でいることだけが唯一の取り柄だといつか言っていた。それ以外の何か。私は母の部活すら知らなかった。母が教えなかった。
私の顔を持つ母は、元々自分の知っていた母とズレがある。もっとのっぺりとした人だった。日毎にズレは大きく広がっていつか全く知らない人が出来上がるのかもしれない。
母の青春は再び始まっていて、私のそれと少しだけ重なりあっている。縄張り争い、的な何かが私と母の周りで始まっていた。
母にLINEをする。
『今どこ』
すぐに既読になって、丸い点々が浮かんで消える。
『今はT駅。なんで?』
私はGPSアプリをつけた。こっそり母のスマホに入れておいたやつは、2つ先の駅を示していた。
『今いくから動かないで』
点々は浮かんでは消えて、結局返答はなかった。
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