リンカーベイビー 〜逆転生現象から僕の妹を救い出す唯一の手段〜

わさび大佐。

CHAPTER:01 僕の妹の正体。

1.1 その目に何が映ってる?

デジタルサイネージによる広告が、僕の視覚に強く訴えかけてくる。

K-POPのアイドルグループが、構内では禁煙です。と訴える広告だった。

小学一年生の僕にとっては、全く意味のない大袈裟な広告だ。


都会の地下鉄駅構内は、僕の心情なんて関係なく、喧騒を撒き散らしている。

人は、他人に何があっても、それは他人事なんだ。

喧騒が、人が、僕に気を遣って構内の雰囲気をガラリと変えてくれるわけでもなく、気になるわけでもない。

僕は、この場所に何を求めているんだろう。


月吉つきよしっ!!」


顔を上げると、ホームにおばあちゃんの姿が見えた。

息を切らしながら、人の波を掻き分け、僕に向かって走ってくる。


「……。帰ろう。」


おばあちゃんは怒りもせず、少し苦笑いにも見える笑みを見せ、僕の手を握った。

おばあちゃんの後ろには、俯いた姉がいた。



今日、母さんが死んだ。


僕の妹を産んだ、すぐ後に。


原因は、誰も教えてくれなかった。


そしてその日から、父さんは僕らの前から消えてしまった。




rinkar baby.1.0




母さんの命日から、半年が過ぎ、夏が来た。

あの日から、僕ら蔦町つたまち家族は分裂してしまった。

父は行方知れずになり。母は他界。

親がいなくなった僕ら三人の子供を引き取ったのは、父方の叔母。

田舎のおばあちゃん家に引っ越し、姉ちゃんは転校した。


「あっつ〜い…。何もする気起きないー。早く夏休みなってくんないかなあ…。」


アイスの棒を口に加え、顔にうちわを仰ぎながらボヤいているのは僕の姉、日和ひより。小学五年生。


姉ちゃんは、縁側の障子を全開にした。

風を受けて風鈴がチリンと鳴る。


「エアコン無くてよくこんなとこで生きてられたよねぇ。おばあちゃん。」


「ここにもう70年以上も住んでるからねえ。この暑さにもすっかり体が慣れてしもとる。」


おばあちゃんは僕らにキンキンの氷がゴロッと入った麦茶をテーブルに置いてくれた。


僕はすぐにその麦茶を喉にあてるように飲み干し、カランと氷が音を立てた。


「月吉、じいさんがもうすぐ軽トラで帰って来るさかい、野菜運ぶの手伝ってあげてくれんか?」


おばあちゃんは、たばこに火をつけ、煙を燻らせながら僕に言った。


「わかったよ。」


僕はシャツの襟元を煽いだところでどうしようもない日差しを受けながら、重たい足取りで縁側から庭へ出た。


すると、何かと目が合った。


「狸…?」


狸がいた。

狸がこの辺りに出没することなんてあんまり珍しくもない。人を見るなりすぐさま逃げ出すのが大半だが、僕と目が合った途端、その狸はピタリと動きを止めてしまった。

僕も思わず動きを止めた。

やがてその狸は僕から視線を外し、家の方を見つめた。


「何か飯でも狙ってんのかあ?ダメだぞ!あっちいけよ。」


狸の目線を追うと、どうやら僕の妹に視線が向いていた。


「あ、凛香りんか起きてるじゃん!!」


プップー!!


クラクションが鳴ると同時に、狸は素早い動きでその場を去り、山の方まで駆けていった。


「月吉、手伝いに来てくれたんかあ?」


じいちゃんの軽トラが帰ってきた。

いつものクセで荷台に乗った。


「お、今日はナス?」


「そう!ナスと言ったら夏。あ、いやちゃうちゃう。夏と言ったらナスや!これでばあさんに麻婆茄子でも作ってもらえ。」


「えー!麻婆茄子!?この時期に!?」


「美味いやんか麻婆茄子。あかんのか?まあ好きにせえ。」


僕は袋に入った大量のナスを担ぎ、家まで運んだ。


「なんや凛香起きとるやないか!」


凛香が縁側に出ていた。

凛香とは、半年前に産まれたばかりの僕の妹だ。

名付け親は、おばあちゃん。

父さんと母さんで名前は考えていたらしいけど、父さんは行方知れずで、母さんは凛香を産んだ後、死んでしまった。

結局名前はわからないままだったから、おばあちゃんが名付けたのだ。


「ばあさん。いい加減凛香の前でタバコ吸うのやめてくれ。悪影響じゃろ。」


「ああ…。こりゃ失礼。」


おばあちゃんは灰皿に吸いかけのタバコを潰し、火を消す。


「ばあさん。これでこいつらに麻婆茄子作ったってくれや。もう夕方やし、腹減っとるじゃろ。」


「え?こんな暑い日に麻婆茄子をですか?」


「なんやばあさんもかいな。ほな好きにせえ。わしは風呂入ってくるわ。」


じいちゃんは縁側に上がり、風呂場へ向かった。


空は日が照り、巨大な入道雲が広がって、陽炎は地面をユラユラと揺らし、セミの鳴き声が暑さを呼んでいた。


「ナスは浅漬けにでもしましょうかね。」


名案に、僕と姉は頷いた。


「凛香、あんま縁側に居すぎると焼けちゃうよー。」


姉は、凛香を抱っこし、部屋に入れる。

凛香の目は、さっきからずっと外へ向いていた。


「あれ?」


凛香の目線の先には、さっき見た狸がいた。


「何あの狸?見ない顔だね。」


姉はその言葉を残し、凛香を食卓まで運んでいった。

おばあちゃんもその後を追う。


僕は、少し残っていた学校のひらがなの宿題を終わらせようとちゃぶ台に座った。




気づけば、夕方。


茜色の空は、夜空に包まれようとしていたそんな時間。

ようやく涼しくなり、僕はグローブを手にはめて、家の前の坂を登った公園に出た。


壁に描かれた円にめがけてボールを投げる。

これをひたすら繰り返す。


この時間が僕は一番好きだ。

虫やカエルの鳴き声、川のせせらぎも、都会の喧騒に比べれば、静寂同然だ。

何も考えなくて良くなるというか、何もかもがどうにかなるものだと思えるというか、心が不思議と落ち着くのだ。


何より田舎は星空が見れる。


僕にとって、都会の喧騒は苦手だったのかもしれない。


空を見上げていると、ズボンの裾を引っ張られた感触がした。

下を向くと、僕のズボンの裾を持った凛香がいた。


「凛香!ダメだよこんなとこに来ちゃ!」


僕は凛香を抱っこする。


「もう夜になってきたし、家に戻るか。」


ちょうどキリが良かったので、凛香を連れて家に帰ろうとした。


「 ……。ちょっと待てよ。」


家の前の下り坂を見て、ゾッとした。


凛香は、どうやってこの坂を登ってきたんだ…?

凛香を持ち上げ、体を確かめたが、特に汚れが目立っていない。

産まれて半年経ったばかりの凛香に、こんな坂を登ることなんてできるのか…?


「月吉ー!ご飯だってー!!」


家の方から姉の声がする。

誰も凛香が外に出たことに気づいていない。

ということは、外に出てそんなに時間が経っていないということなんじゃないか?


僕は怖くなり、家に戻った後、すべての窓と扉を締めた。




「姉ちゃん…。」


「ん?」


姉ちゃんは、米を頬張りながら、僕に返事をした。


「凛香があの坂登って、僕んとこに一人で来たんだけど、気づかなかった?」


「はあ!?」


姉とじいちゃんとおばあちゃんが一斉に声を出す。


「嘘つかんといてや月吉。1歳になったとしても、そんなの無理や。」


「じゃあどんな方法だったら登れると思う??」


「んー…。」


三人は考えるが…、


「この三人が頭使って考えて、なかなか答えが出ないのに、0歳児がやってのけれるわけないでしょ。」


姉は続けて、ナスの浅漬けを口に放り込んだ。


「こんなプックプクの手足じゃ、ねぇ〜凛香ぁ。」


凛香は他人事のように、眠たそうな顔を向けてきた。


「…だよね…。あ!!」


考え事をしている内に、ナスの浅漬けが一つも無くなっていた。


「まだ僕食べてないよ!!」


「早いもん勝ちだよ飯は!ごちそうさま!」


姉は食べ終わった皿をシンクに置き、自分の部屋へ戻った。


「おばあちゃん、ちゃんと凛香見といてね。」


「はいはい。ちゃんと見とるよー。」


おばあちゃんは皿洗いをしながら、背中で返事をする。





僕はご飯を食べ終わり、風呂も入り、自分の部屋で寝た。


だけど、この日に限っては、何故か眠りが浅く、途中で起きてしまった。

ボヤけた目をこすり、壁にかけられた時計を見る。


「短い針が…、5だから…、5時?」


ふと、隣の縁側がある部屋に目を向けると、常夜灯がついているのが見えた。

普段はここでは誰も寝ないから、その常夜灯の灯りの違和感が強くあった。


おばあちゃんが起きたんだと思い、常夜灯がついた部屋を覗いてみた。


するとまたも、ゾッとする光景を目の当たりにした。


そこにいたのはおばあちゃんではなく、凛香だった。


「おい凛香!何やってるんだよ!」


小声で呼びながら近づく。

いつもおばあちゃんの部屋で寝ているはずの凛香が、何故か別の部屋にいた。

ハイハイもまだままならない凛香が、どうやってベッドから降りて、どうやってドアを開けてここまで来れたんだ?


凛香の手には、僕の宿題であるひらがな帳があった。


「こんなもん見てどうすんだよ。おばあちゃんの部屋で寝てたんじゃないのか??」


僕はひらがな帳を取り上げようとするが、凛香は頑なにその手を離さない。


「勝手なやつだな…。最近のお前不気味だぞ…。」


凛香はひらがな帳をちゃぶ台に乗せ、最後のページのあいうえお順にまとめられたひらがな表を開いた。


「それが気に入ったんなら持ってってやるから、早くおばあちゃんの部屋に戻ろう。」


凛香とひらがな帳を持ち上げようとすると、凛香はある場所を指さした。


『わ』という字に向かって指を指していたのだ。


「凛香、それは『わ』っていうんだよ。わかるのか?」


僕はその時、凛香の気の済むまで見てやろうと思っただけだったんだ。


こんなタイミングで、凛香の秘密を見てしまうとは、思いも寄らなかった。


「…た…?」



次に指さしたのは、『た』



次に指さしたのは、『し』



「っ!!」


思わず立ち上がった。

足の震えが止まらなかった。

凛香は間違いなく、ひらがな帳を使って、僕に何かを伝えようとしている。

あり得ない光景だった。


『は』


『べ』


『つ』


『の』


『せ』


『か』


『い』


『か』


『ら』


『き』


『た』


「わたしは、べつのせかいから…きた…?」


凛香がひらがな帳に書かれた文字をそれぞれ指を指した後、僕の顔を見つめた。

その瞳の奥には、驚愕する僕の顔がはっきりと映り込んでいた。


朝日が登り、部屋を照らし始める。

鶏の朝の挨拶が町に響き渡る。


この日から、僕の生活は一変した。

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