その2

この作品の肝は、

なぜ園子が黒淵家に留まる

道を選んだのかにあります。


これ以上ないくらい強調された部分を

まるごと引用しましたので

すこし読んでみてください。

感じは現代の常用に直しています。


「ああ!実に、人はこの自由自在なる全く動物と同じ境涯きょうがいにあって、しかして、く美しき徳を修め得てこそ、始めて不変不朽なる讚美の冠を、其の頭上に戴かしむる価値を生ずるのである!否、始めて人たる名称を許されるのである!!」


私はこの文章を読んだとき、

「地獄の花」という題の意味認識を

転回させなければなりませんでした。


紅い花と比喩されるような

殺人事件の物語かと思っていたら

「地獄で咲く美しい花」の話だった。


その結論に至る経緯を次に。


園子は水澤に体の清浄を奪われた後、

貞操の徳を失って罪人になったことへの自責と、

水澤への積もる怒りや憎しみで鬱になった。


「処女」という純潔が如何に儚く、

如何に壊されやすいモノであるか。

そして、大切に守り続けてきた

自分の努力が水泡に帰した無力さに

園子は打ちひしがれてしまいます。


その一方で、自分が淫悪を嫌ったのは

徳を修めたかったからではなく、

世間体を良くしたかっただけだと気づきます。


園子だけではない。

笹村は清教会に属しているくせに

浮気をはたらいたし、

水澤は教育の長であるくせに、

自分の学校の職員を強姦した。


彼らだけでもない。

世間一般の人間たちは、

徳ある人間の皮を被っていて、

それが単なる仮面に過ぎないと

バレてしまうのを恐れている。


我が事から目を背けさせるため、

「誰かが悪いことをした!」と

噂を少しでも耳にすれば、

徹底的に対象を攻撃しようとする。


一旦、テキストそのものに戻ります。

これが凝縮された部分を抜き出すと、

「人は己を醜獣と認めた上で、

 猶、徳を修めんとすることで、

 ようやく人として相応しくなる。」

この部分の私の解釈は、そういうことです。


「己を醜獣と認め」るとは、

雑に取れば性悪説の立場を取ること。

人間は人殺しができる。

浮気でも性的暴力でも、

いかなる悪事を働くことができる。

その事実を肯定することです。


人間は悪事ばかりすると想定した上で、

「徳を修めんとすること」は、

あちこちで銃声の響く市街戦場で、

町の中心で「私は人を殺さない!!」と

高らかに宣言するのと同じで、

そんなものうまくいく訳がないですし。


具体例にいきましょう。

社会のすべての人が銃を持っています。

あなたも銃を持っています。

その状態が「醜獣」にあたります。

誰もが誰かを殺せてしまいますし、

あなただってその例外ではない。


あなたが銃で誰かを撃てば、

社会から猛烈なバッシングを受ける。

それが嫌で撃たないという抑止社会は、

たった一度の発砲で秩序が壊れる。

自分の身を守る大義名分ができれば

銃の使用をためらう理由が消えます。


荷風の言っている「徳」とは

その一歩先をいくもので、

誰もが銃殺者となり得ることを肯定し、

自分は絶対に銃を使わないと

宣言することなのです。


だからもし銃を持った輩が

家に押しかけてきたとしても、

なすがままに殺されるしかありません。

それがここでの「徳」なのです。


再び抽象化すれば、

徳を修める行為は、

「きれいごとで

 社会を回そうとする行為」です。


黒淵長義は一度の不祥事の後、

心を入れ替えて、修徳に専念しました。

ですが、上手くいかないで心中。

きれいごとで社会は動かないんです。


ですが、社会から隔絶された空間であれば

きれいごとでも押し通すことができます。

それで、例えば桃源郷とか、天国のような

社会を離れた理想郷があったらいいのですが、

世の中それほど甘くないんですね。


園子が黒淵家に留まろうとした理由は

そろそろ見えてきたのではないでしょうか?


理想郷とはほど遠くはありますが、

社会が地獄と呼んで排斥している黒淵家は、

言うまでもなく社会から離れた空間です。


天国で咲く花ももちろんありましょうが、

地獄で咲く美しい徳の花もある。

そして園子は「地獄の花」としての生き方を

選択していくと言うことなのです。


「戦争やめろ!」「銃をなくせ!」

「金権政治をやめろ!」などなど、

正しいはずの主張がきれいごとと化している。

これは明治からずっと変わらない、

社会の辛いところなのだなぁと

つばを飲む思いで読んでいました。


さて、次ページでは、

特に印象的であったレイプシーンについて

ちょいと考えていきたいと思います。

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