ハートオーガン

朱部 周生

第1話 あめこ


俺と、アイツの出会いは、本当に突然だった。もし、俺がずっと昼寝をしていたら、きっとタイミングが合わなくて俺たちは関わることはなかっただろう。



本当に、偶然で、突然だったんだ。






「んお…。」


ザーザーと雨が降る音で目を覚ます。ふと窓を見ると、今朝干した洗濯物が濡れていた。


「やばいやばい、洗濯物ベタベタになっちゃう。」


雨が降っているのに、洗濯物を出しっぱなしにしていたことに気付き、俺はベランダに裸足で出て洗濯物を部屋に入れていた。


「うわー…、洗い直しだ。」


少々テンションが下がり、大きなため息をついた。濡れた服達をもう一度洗濯機に入れ、洗剤を流し込みスタートボタンを押す。そういえば今何時だったっけ、テレビで確認しよう。


「○○区域は、大雨の影響で、川が氾濫しています。避難をしてください。」

「まじか、氾濫してる。」


雨は今日の昼間から降り始めたようで、現在では大雨警報、洪水警報、避難勧告が出ており、俺が住むアパートの真横にある川が恐ろしい程に氾濫している。

俺が昼寝をしている間に、こんな事になっているとは。アパートには俺以外誰も住んでおらず、誰も逃げろなんて教えてくれない。


「…どうか、アパートが浸水しませんように!」


ここは神頼みにしよう。俺にはどうしようもできない。窓越しに氾濫した川をもう一度見る。茶色く濁り、絶対に入りたくない。


「いや……よく見たら、コーヒー牛乳みたいで美味しそう……ん?」


川を眺めていると、根元が浸水した木の枝に、何か布が引っかかっていた。大きな掛け布団のように見える。


「やった、ラッキー。丁度布団を変えようと思ってたんだよね。」


先程のテンションとは打って変わり、傘をさして外へ出る。ボロいスリッパが靴下を濡らす。強風と大雨で傘が反対に向きそう。


「お布団、お布団、お布団チャン、嬉しい嬉しいお布団ちゃ……ん。」


近づいてから分かったが、これは布じゃない。


「人……。」



下半身が川に浸っていたため、アパートの窓からは上半身の白いパーカーだけが見えていた。

傘を手放し、急いで人間を川から引き上げる。傘は風と共にどこかへ飛んで行った。強く雨が当たる中、どれくらいの間ここにいたのだろうか。服には破れた跡があり、赤黒い血がにじみ出ているのが分かった。


「はあっ、……はあっ……。」


 バイクに乗る時のゴーグルを身につけており、鼻と口元が見える姿は、あまりにも奇妙だった。怪しすぎる。


「あ……、人が血を流して倒れてるんだ。救急車を呼ばないと……。」


救急車を呼ぼうと、ポケットからスマホを取り出すが、圏外を表示していた。まず、こんな氾濫地域に救急車なんて来ないか。


「いい……ほおっておいてっ…うっ…。」

「ん?聞こえない!大きい声で言ってくれ!」


ゴホゴホと人間は咳き込み、口から赤黒い液体を吐き出した。


「ゴボッ…どっかいって……」


 耳を口に近付けて聞き取る。


「は……、死にそうなのにか?」


自分でも声が震え、上がってしまうのが分かる。

上級層で人が死ぬなんて、大問題になるし、今まで聞いたことがない。何より、目の前にいる人が生きているのに、死なせてしまうのが怖い。


「はぁっ…、はあっ…貴方を巻き込みたくない。いいから、早くどっかへ行って。」

「そんな傷で、動けないだろ……。」


 雨が激しく体を打ちつける中、体温も奪われ肌も白くなっている。


「いい。」


雨音でハッキリした声はわからないが、中性的な声をしている。しかし、俺の腕を掴んだ時の力は、かなり強かった。多分男だ。


「起こしてくれてありが…っ、ごほっごほっ……。」


また、口から血を吐いた……


俺の腕から手を離し、どこかへ行こうと膝を地につける男の腕を掴んだ。


「絶対死ぬよ、だから消毒しよう。」

「え?」


何故か驚いたかのような間抜けな声を出していた。


「だから、俺の家で手当して、元気になったら出ていく。どう?」

「……え?」

「なんでだよ!絶対お前にとって、いい話だろ!俺には何の得もない……いや、友だちができるから、俺たちウィンウィンの関係じゃん!それに、山奥だから歩かないと何も無いし。」

「……。」


男は、口を半開きにした。


「な?な!?いい話じゃん。俺の家、ここの2階だから!」


 強引に男の肩を俺の首に回し、アパートへ入った。目の前の人間は、必死に生きようとしていた。


 しかし、大粒の雨が、俺たちの体温を下げていく。この男は、血を流しているし、きっとこのまま放っておいたら、死んでしまう。


「…服を、貸してほしい。それと包帯。無ければ、布でもなんでもいい。」

「俺の服好きなの来ていいし、布も何枚も使っていいよ。」

「ありがとう…」


 男は、俺にもたれかかり、小声で言った。雨の音が大きく、ギリギリ聞き取れた。濡れた男を背負い、俺はアパートの自分の部屋へ歩いた。


「ふぅっ……。」


 結構筋肉質なのか、重い。

 階段を上る時、ボロボロなアパートはギシギシと音を立てた。


「よいっしょ、っと。」


ドアを開け、男を俺の布団に寝かす。とても重い。


「……はぁっ…………、はぁっ…。」


 ずっと苦しそうに呼吸をしている。


「喋る元気ある?」

「……はぁっ、はぁっ、はあっ……。」

「ごめん、ゴーグル外していい?服脱がせてもいい?」

「ゴーグルは…っはぁっ、だめっ、……。」

「じゃあ、服脱がすよ?」

「ゲボっ、げホッ……。」



 咳き込むのと同時に、また血を吐いた。その血が俺の体にも付着した。


「と、とりあえず、傷口を消毒して、体を温めてあげて……。」


 自分の血か、他人の鼻血しか見たことの無い俺には、刺激が強すぎるのか、手が震える。


「落ち着け、俺。」


とりあえず、パーカーを脱がすと、一つに結われた銀髪が布団にこぼれおちた。


「うわ…、綺麗だな。」

 と思ったのも束の間、お腹は深く切れており、目を背けたくなった。が、血が止まらないため、とにかく布を押し当て当てる。


 パーカーを脱がせると、タートルネック、そして、男性には無い膨らみがあった。


「あ、女の人だった。」


 布団を肩まで上げ、タートルネックとシャツを脱がせる。傷口であろうお腹辺りに消毒をし、ガーゼをマスキングテープで貼る。俺の紺色のパーカーを着せる。


「28度くらいでいいかな。」


エアコンを暖房にして部屋を温める。もし女の人が起きたら、ご飯食べれるように作ろうかな。


「…おかゆ、リゾット……何にしようか。あー、リゾット食べたいな。」


本当はリゾットを食べたいけど、我慢しよう。おかゆの方が体に良さそう。冷凍してあった米と卵を料理しておかゆを作った。暖房が部屋全体に効き始めるのと、お粥が完成したのはほぼ同時だった。



熱々のおかゆをお盆に乗せて、布団で寝る女の人の枕元へ置く。


「まだ寝てるか…後でレンジでチンして食べてもらおう。」


 隣であぐらをかいてテレビのリモコンを手に取る。


「……ありがとう。」

「うわ!」


突然声が聞こえ、びっくりした。


「…起きてたの?」

「今起きたところ。」

うっ、と声を漏らしながら、布団から起き上がる。


「そっか、体調はどう?」

「だいぶ楽になったよ。それより、貴方もずぶ濡れだけど、大丈夫?服についてるの、私の血でしょ?。」


自分の服を触ってみると、確かに濡れていた。だけど、暖房で少し乾いたから、気にならなかった。


「たしかに。」

「……わざわざ、見知らぬ私を救ってくれてありがとう。お礼にもならないけど……。」


女の人が俺の頭に手を置いた。

 

「ヴェール。」

 

そう呟くと、球体の何かが俺を包み、濡れていた服が一瞬で乾いた。


「!……すごい!なんで!?」

「………上級層では見慣れないか……。」

「俺にも教えてよ!その手品!」

「手品じゃないよ。心力を使っただけ。」

「心力って…。」

「学校で習ったでしょ?」


 中学校で、魂について学んだが、あまり覚えていない。しかし、自分の心臓と心力は、同じであり…同じものであるから、どちらか片方でも壊れると、死んでしまう……だったか?


「上級層では、心力を使うことを禁じられてるから、見慣れないんだね。下級層では皆使ってる。」

「下級層ではって……もしかして、下級層から来たの?」

「そう……。だから、こっちの人たちを巻き込む訳にはいかないのに……私は貴方に助けられてしまった。」



 下級層の人間は、上級層に踏み入ってはならないという、法律が存在する。だけど、まず上級層に踏み入るには、政府の許可がないと無理なはず…まぁ、何か事情があるから来たんだろう。


「いいんだ、死にそうな人を放っておくなんてできないだろ?それより、どうやってここまで来たの?」


 湯気を放つおかゆを忘れて、質問ばかりしてしまう。


「………それは言えない、…――っ!」


ドコンッッ――――


 突然の爆発音に目をつむる。


何かが壊れたような大きい音。


雨音が強くなった_____






「くそっ…もう来た……。」


目を開けると、女の人と俺が球体の何かに包まれていて、アパートの下敷きにならずに済んだ。淡い紫色の球体は、あまりにも綺麗だった。


「なんで、急に……、あ、俺の家が…。」


 ふとアパートを見ると跡形もなく潰れ、もう使えない木材と化していた。


「ゲホッゲホッ…。」


「大丈夫!?」


女の人は、また血を吐いた。咄嗟に体を支える。

 

「あぁぁああ!!殺せたと思ったのにっ!」


野太い声と同時に、2人のハゲた男が現れた。



鳳梨雨子ほうりあめこ…ちょこまかと逃げ回りやがって……。」

「もう来たっ…うッ……。」


 淡い紫色の球体はガラスが割れるかのように崩壊し、女の人は崩れ落ち、俺は反射的に受け止めた。


「おい、おい!起きろ!?」


頬をペちペち叩くが、深く、遅い呼吸をする。



「はぁっ…………はぁっ……。」

「おいガキはなんだ?鳳梨雨子の仲間か?」

「いや、今日アイツは1人での任務だ。だから、こっち側の人間上級層だろう。」

「…可哀想だが、関与したらもう終わりだ。死んでもらう。」



 男たちは、突然、手元に銃と斧を出現させ、俺たちの方へと歩いてきた。



「少年…可哀想ですが、関わってしまったのが運の尽きです。」

「こっちに来るな!」


 思わず、女の人をぎゅっと抱きしめる。


「そこの女は、下級層から来た、下等動物同様だ。もし、ここで見た事、起きたことを

外部に漏らさないと約束できるのなら…見逃してやる。」


女の人は、深い傷を負い、血を吐いていた。

もし捕まったら、もっと苦しむかもしれない。


「はぁ!?逃がしてもいいのかよ!?」

「あぁ…力のないガキ1人逃がしてどうって事ない。」


距離が縮まっていく。


「こっちに来るな!」

俺は武器を持ったことないし、使ったこともないし、何も出来ない。

「なんか…ないかな。」

瓦礫の下を少し探る。

「ゴホッゴホッ…、君……、もういぃっ、私をおいてっ…ゲホッゲホ、いって。」



 弱々しく俺の腕を押して離れようとする。



「俺は忠告した。鳳梨雨子を渡せ。」


いつの間にか雨は止み、激しく流れる川の音だけがする。


「おい、早く。」


 あいつら、絶対女この人に優しくしないだろ。こんなに大怪我負わせたの、絶対あいつらだ。


「…見つけた!」

果物ナイフを手に握り締める。

「…これから、俺が何をしても、君は…怒らないでくれるかな。」


 あいつらに聞こえないよう、小さな声で話した。


「……ふふ、どんなことするの?ゴホッゴホッ……」


 呆れたかのように口角を上げた。


「頭おかしいことするかもしれない。」


 俺は女の人の膝裏と脇に手を回す。

「…賢いガキだ。」

男たちの方へとゆっくり歩いた。



「それでいいよ。私は十分に、助けてもらった。ありがとう。」




「おいお前、鳳梨雨子を受け取れ。」

2人は武器を消し、ガタイの良い男が俺に近づいきた。

「捕獲、ご苦労だったな。」

「はい…どうぞ…」


 ぎゅっと女の人を強く抱き締め、


「って、言うわけねぇだろ!」

 左手に持った果物ナイフを、デブの足に刺す。

「は?」

「痛ええぇっ!!!!」

「ちょっ――――!」


ドボンッ―――



氾濫する川に飛び込んだ。

「ごぼごぼごぼっ」

 体は沈んでいき、息ができない。

 なんとか女の人だけでも……――


 無理だ。


心の中でごめんと言いながら、死を覚悟した。



「…」


 


 この人、私を強く抱きしめて、川に飛び込んだ。体が吸い込まれるように川は流れている。このまま、流れに身を任せたら、溺死する。


 本当に…なんてお馬鹿な人なんだろうか。


 気を失っても、この両腕はわたしを離さないでいる。


 

 テイト君と私を包み込むように、心を具現化させた。これで息ができる。あとは、下級層について大和に迎えに来てもらおう。


「……助けて貰ってしまった…………。」

 上級層とはもう関わりたくなかったのに。

 普段滅多と高鳴ることが少ない私の心臓が……上から手を当てなくても動きを強めたことがわかった。

 




 



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