第19話 さようなら異世界
俺達が居るのは城の二階の大広間だ。
そこには水害を逃れて城に居るほぼ全員が避難していた。
中央には俺とアディ、リーファとティツァが立っている。
エイベット卿や他の人間達は俺達の少し奥に集っていた。
出入り口に近い場所には、フィフィをはじめとする獣人達がいて、外の様子を油断なく見張り状況把握に努めている。
奥には、サウリアと逃げそびれた有鱗種達が捕えられていた。
その全員が、俺の顔を「なに言っちゃってんだ、こいつ?」みたいに見てくる。
いたたまれない沈黙がその場を支配していた。
そして…………その沈黙の中から「あ!」という小さな声が漏れる。
俺の言葉の意味を最初に理解したのは、リーファだった。
「イヤです!! ユウさまっ――――」
ハッとしたように青い瞳を見開き突如そう叫んだリーファは、俺の胸にすがりつく。
(リーファ、君って娘は、本当に俺の心臓を撃ち抜くね。……「ダメです」でも「危険です」でもなく、「イヤです!!」なんて言われたら、バカな男の心は天上に舞い上がって降りて来られなくなるよ?)
当然、俺はバカな男代表だ!
「ゴメン。リーファ。でもそれが最善で唯一の手なんだ」
リーファはイヤイヤと首を横に振って、ますます俺に力一杯しがみつく。
……ああ。俺、今この場で死んでもイイかも。
「どういう事だ? 雨を降らすって、どうしたらそんな事ができる?」
訝しそうに顔をしかめて疑問を言葉にしたのは、ティツァだった。
他のみんなも、わからないといった不審そうな顔をしている。
アディだけは、うすうす察しをつけているのだろう。俯き唇を噛み締めていた。
俺は――――フッと笑う。
(うわっ、俺今ちょっとカッコよくないか?)
いやいや、ここで地を出しちゃせっかくの空気がぶち壊しだ。
俺はここ一番の大事なセリフを噛まないように気を引き締める。
「雨を降らせる事は、簡単だ。――――俺が、自分の世界に帰ればいいのさ。俺が今、ムリヤリ帰れば間違いなく水害が起こるんだ。そうだろう?」
それは、俺がこの世界に来て最初に確認した帰還方法だった。
アディはその時、帰るのは簡単だが時機を見て欲しいと言った。
異世界トリップには、し易い時機とタイミングがあって、それを誤ると反動として天変地異が起こると。
その天変地異は、水の時季である今ならば……水害だった。
「水害って事は、ほぼ確実に雨が降る。洪水にでもなればたいへんだろうけれど、有鱗種にこの国を乗っ取られる事に比べればまだマシなはずだ。俺もできるかどうかはわからないが、できるだけ雨をコントロールして酷い災害にならないようにやってみるつもりでいる。……だから俺は神殿に行って雨を降らせる」
それは、同時に俺がこの世界からいなくなるという事だった。
その場にいた全員が驚いて俺を見つめてくる。
俺は、安心させるようにみんなに大きく頷いた。
とはいえ、モチロン俺に雨を操るなんて能力はない。
しかし、なんとなく俺は大丈夫なんじゃないかな?と思っていた。
俺がこのタイミングでこの世界に救世主として現れたのは『神の賜いし御力』のせいである。
『いつの日にか、再びこの地の調和に危機が迫った時、金と銀の光を従えし者が降り立ち、全ての人々を救うだろう』
『神』は、そう告げた。
そのお告げどおり金と銀の光を持つアディとリーファが俺を召喚したんだ。
だとしたら、全ての人々を救うための救世主である俺が、水害でこの国を滅ぼすなんて事は起こらないと思う。
(それじゃ、何の役にも立たないものな)
俺は『神』なんてものは信じないけれど、この世界の住民の『神』への尊敬は信じる。
これだけの思いを裏切れるような奴は、いないだろう。
だから俺は無責任にも、もうひとつ空手形を振り出した。
「サウリア。俺は、俺が帰る事によって起こる雨を有鱗種の国にも降らせようと思っている」
サウリアは、驚愕の表情で俺を見てくる。
「――――君は、海を越え人間達に危機を報せようとしてくれた。そして傷ついた人間を癒してくれた。君のために俺は雨を降らせよう。でも、これは一時しのぎにしかならない。だからサウリア、君は君の仲間を説得してくれ。……人間と戦ってはいけないと。本当に自分達の国を救いたいなら人間と平等の立場で人間を招き、和平を結び『調和しろ』と。――――それが『神』のご意志なんだと」
この空手形は、おそらく空手形では終わらないだろうという自信があった。
救世主たる俺の行うことによって、雨の降らない有鱗種の国に雨が降る確率は、高い。
ならばそれを最大限に利用して有鱗種に行いを改めてもらいたいと思う。
俺の言葉に、サウリアは感極まったように体を震わせその場にひれ伏した。
『必ず! ……救世主さま、ありがとうございます!』
サウリアって見かけによらず熱血漢だよな。
他の有鱗種もサウリアに引き摺られるように、次々に頭を下げた。
俺を見る目に畏怖の念がこもる。
大広間には、どこか厳粛な雰囲気が満ちた。
静かになった部屋に、ドォォ――という水の流れる音が聞こえてくる。
「イヤです! ユウさま」
その静寂を、リーファの悲痛な声が破った。
「帰られてしまうなんて、イヤです。異界渡りは、そんなに何度も行えるようなものではありません。ここでユウさまが帰ってしまわれれば、次にいつお呼びできるかは何もわからないんです。……それに、何より危険です! 時機を外した異界渡りはたしかにこの世界に天変地異を呼びますが、その害が実際に異界を渡るユウさまご自身に及ばぬ保証はありません。無事に元の世界に戻れるのかどうかすらわからないのです! そんな危険にユウさまを遭わせるなんて……」
リーファは泣いて潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
――――うん。その可能性は俺も考えた。
天変地異を起こすほどの現象が、その中心にいるだろう俺に何らかの影響を及ぼす可能性は、かなり大きいと思う。
無事に帰れるのかどうか?
帰れたとしても五体満足ですむのか?
……ひょっとしたら命だって失うかもしれない。
今までの俺なら、絶対そんな事はしないだろうと思える程の危険が、そこにはあった。
なのに、おかしいよな。
俺の心には不思議なくらい迷いがない。
――――リーファ。
俺はもう二度と後悔はしないと決めてしまったんだ。
「大丈夫だよ。リーファ。俺はね、どうやら救世主みたいなんだ。俺が救世主なら俺には『神』さまの加護がある。リーファの『神』さまは絶対だろう?」
リーファは、悲壮な顔をした。
自分の『神』を信じる巫女としての立場と、俺を危険な目に遭わせたくないという優しさが、心の中で葛藤となってリーファを苦しめているのだろう。
「ユウさま! 私も――私も反対です! そんな危険をユウさまが冒す必要なんてありません。獣人の力ならば、いくらでもお貸しします。みんなで力を合わせて有鱗種を倒せばいいんです。――――ユウさま。帰らないでくださいっ」
長い耳をフルフルと震わせて、フィフィが俺に訴えかけてきた。
ああ。スゴイ。
可愛い女の子2人から心配して引き止められるなんて、夢みたいだ。
少なくとも俺の今までの人生では一度もなかった事態に俺は顔を歪めて笑う。
「フィフィ、ありがとう。その気持ちは嬉しいけれど、今から兵を集めていたんじゃ武装して攻めてきた有鱗種にはどうやっても勝てないよ。まごまごしていたら、捕まえた人間達を連れていかれてしまう」
俺の言葉を聞いたフィフィは、ガクリとその場に膝をついた。
俺は、胸にこみ上げる熱い思いを抱えたままで視線を移す。
「そう思うだろう? ティツァ……アディ」
俺が目をやった先の2人は、揃って苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「…………腑抜けなくせに」
俺を見返したティツァは、忌々しそうにそう言った。
相変わらず口も態度も悪いけれど、でもティツァは仲間のためにいつだって真っ直ぐで、そして案外優しいヤツだ。
「うん。いっぱい助けてくれて、感謝している」
それ以上に嫌がらせを受けたような気がするが……いや、思い出すまい。全て水に流そう。
俺が「ありがとう」と言えば、ティツァは顔を逸らす。
その耳はダランと伏せられて、尻尾がイライラと振られていた。
獣人ってのは、自分の感情を隠すのが苦手だよな。
俺はクスリと小さく笑う。
ティツァは、俺が危険な目に飛び込んで行く事を面白く思っていないのだ。
そんな事は、耳や尻尾を見なくたって丸わかりだった。
それでも、ティツァは――――次代の獣人の長は、俺を止めたりしないだろう。
俺がやろうとしている事が最善の策だとわかってしまうから。
「ティツァ。本当に今までありがとう。……どうか、アディと――――人間と仲良くやっていって欲しい。それが、獣人にとっても一番良い事だと思う」
尻尾が、一際大きくブンッ! と振られた。
「お前に言われるまでもない!」
不機嫌な声を浴びせられても、全然怖くない。
その不機嫌は、俺への心配が原因なんだから。
耳は相変わらずペタリと萎れている。
最後にその耳を撫でてみたかったなぁと思ったけれど……止めよう。
やったら絶対本気で怒られる。
流石にそれは怖かった。
俺は顔を上げ、今度は目線をこれもまたわかり易く落ち込んでいるアディに移す。
「アディも。――――俺をこの世界に呼んでくれてありがとう。俺はこの世界で成長できたと思う」
そう。
もしもサイトでアディに会わず、そしてアディがこの世界に呼んでくれなければ、きっと俺はいつまでも臆病で後悔ばかりの人生を送る事になっていたことだろう。
そういう意味では、俺もまたこの世界で救われたのだ。
俺が真っ直ぐアディを見つめて告げた言葉に、アディは唇を噛み締める。
やがて、その口がゆっくり開いた。
「ユウ――――」
まるで大切なもののように、そっと俺の名が呼ばれる。
青い瞳が俺を正面から見返していた。
その信じられないくらいキレイな青は、この世界で俺をずっと見ていてくれた青だ。
「俺は、本当はユウに帰って欲しくない。俺は、まだユウと語り尽くしていない。俺の国をもっともっと見て欲しいし、助言も欲しかった。国中を回って、一緒に過ごして、一緒に笑って……ただ、ただ、ずっと一緒にいたかった。ユウ、俺は――――」
アディは、口ごもる。
……おいおい、国中を回るなんて一体どれだけかかるんだ?
絶対一ヶ月じゃ無理だろう?
それじゃ俺はいつになっても帰れなかったんじゃないか?
俺は向こうに帰って就活して修論書いて大学院を修了しなきゃならないんだぞ。
いくらトリップした時点に戻してもらえるといったって、俺のさして優秀じゃない頭はそれほど記憶力が良くないんだ。
作りかけの修論の内容を全部忘れでもしたら、泣くに泣けない。
……ひょっとしたら、俺が今回半ば強制的に帰る事になったのは、俺的にはラッキーだったのだろうか?
俺の顔は思わず引きつる。
強張った笑いを浮かべる俺の肩を、アディが感極まったようにガシッ! と掴んだ。
「なのに、ユウ、俺は――――王としての俺は、お前の言う事が正しいとわかってしまう。危険な方法なのに、お前に危険なんてほんの少しでも近づけたくないのに……でも俺は、民のためにお前に雨を降らせてくれと……危険を冒して帰ってくれと、頼まなきゃならないんだ!」
……それが正解だろう。
大丈夫、お前の気持ちはよくわかる。
……よくわかるから、頼むから肩を掴む手に力を入れ過ぎるのは止めて欲しい。
マジで肩が痛い。骨が砕けたらどうしてくれる?
俺は抗議の意味も込めて、肩におかれたアディの手をポンポンと叩いてやった。
「俺の救うお前の国を……この世界を良い世界にしてくれ。獣人とも有鱗種とも手を取り合って――――幸せに」
俺の言葉にアディは、泣きながら頷いた。
ボロボロの泣き顔なのに、それでもカッコいいなんてイケメンはズルい。
俺の顔は、多分見られないくらいに酷かっただろう。
(クソッ! イケメン爆死しろっ)
――――俺は、泣きながら心の内で叫んだ。
結果から言えば――――全ては、上手くいった。
あの後、俺はリーファとフィフィと共に神殿に行き、ドボン! と泉に飛び込んだ。
可愛い女の子2人に、涙ながらに別れを惜しまれて、本当は凄く怖かったのだがなんとか見栄を張ってカッコよく去れたと思う。
俺が泉に飛び込むと同時に、世界には雨が降った。
来た時とは違って、ゆっくりとこの世界から離れていった俺には、全てがよく見えていた。
泉の脇で2人並び、膝をつき手を合わせ俺の無事を祈るリーファとフィフィ。
突然の雨で逃げ惑う有鱗種達。
アディの指揮の元、浮足立つ有鱗種を制圧し、捕えられていた人々と王都が解放されていく。
獣人を率いるティツァと人間の軍を率いるコヴィが協力する見事な戦いが展開されていた。
――――その中でティツァは、まるで八つ当たりをするかのように必要以上に有鱗種に襲い掛かり、狐耳の獣人に止められる。
全く何をやっているのかと俺は笑ってしまった。
――――山間の神殿で、王太后さまとヴィヴォが、突如降りはじめた大雨に驚く事も無く、水害に対する警戒と対策を神殿に命じている。
用意周到なその様子に、絶対わかっていたのだろうと確信した。
……雨は、思ったとおり有鱗種の国にも降った。
はじめて見る有鱗種の国には、赤い大地が広がっていた。
その赤に雨が吸い込まれていく。
雨を怖がりながらも、天に向かい感謝の祈りを捧げる有鱗種の声が聞こえた。
うん。大丈夫だ。
きっと後はサウリアが上手くやってくれる。
まるで降りしきる雨の中に、俺の意識が溶けているみたいに、俺は全てを感じとっていた。
………………雨の中、アディが天に顔を向ける。
そのまま黙って雨に打たれ続けていた。
整った顔を流れるのが、雨なのか涙なのかわからない。
「――――ユウ」
アディが小さく俺の名を呼ぶ声が、いつまでも俺の耳に残った。
(バカだな。そんな事をしていると風邪をひくぞ)
薄れいく意識の中で、そう思った事を覚えている。
それが、この時俺の見た異世界最後の光景だった。
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