第11話 異世界ディスられ中

この獣人のおばあちゃんは獣人の巫女だという話だった。

ならば、かなり高齢の知恵者のはずだ。

そんな獣人と一緒に居て、獣人が奴隷なんて身分でいていい存在じゃないって事を、わからないはずがない。

獣人と人とが対等に暮らしていた過去の事だって、絶対聞いて知っているはずだ。

それなのに、かつての王妃であり最高の巫女姫でもあったはずの、この目の前の凛とした老婦人は、何もしなかったんだ。


俺の非難に王太后さまは辛そうに眉をひそめる。


「どうして? 貴女なら獣人達を解放する事ができたはずでしょう? ……奴隷なんていう、人が人を見下すような制度を、何故そのままにしておいたんです!」


王太后さまに投げつけた言葉は、そっくりそのまま俺の元へも返ってくる。

できる事があるのに何もしないのは俺も同じだった。


「――――ユイファを責めないでやってくださらんか」


俺を止めたのは、不思議なくらい静かに聞こえるガラガラ声だった。

見えない瞳が俺を見る。


「救世主さま。あなたもわかっておられるのじゃろう。我らを解放するのは、それほど簡単な事ではない」


……それは俺だってよくわかっていた。

奴隷制度が間違っていると認識しているはずの地球にだって、まだ奴隷は残っている。


「我らは、我らを所有していると思っている人間にとっては固有の財産なのじゃ。個人のモノを無条件で手放せなどという暴挙を、いくら国の権力者とはいえ、何の抵抗もなく罷り通せるはずがない。ましてや国を興したばかりの王には無理じゃ」


そう。そんな暴挙を押し通すためには、大きな抵抗を覚悟しなければならないだろう。

アメリカの奴隷解放には南北戦争が必要だった。

国の命運をかけるようなそんな暴挙を、移民して国を興したばかりのロダの国王にできるはずがない。


――――国王は、万能な存在でなんかないんだ。


「……同じように、救世主さま、あなたにもそれはことなのじゃ。現国王を助けその無二の親友と目されているあなたでも、なんの犠牲も出さずにそれを押し通すことは現実には不可能じゃ。だから、あなたはご自身を責める必要はない」


俺は唇を噛み締めた。


「ユイファもご自身も責めないでおやりなさい。あなた方は悪くない。獣人族の巫女ヴィヴォがそれを保証する」


小さな小さな獣人の老婆がとてつもなく大きく見えた。





俺は、大きく息を吐き出す。


「……カッコわる」


なんにもできず他人を責めて、それを虐げられている存在のはずの当の獣人のおばあちゃんに慰めてもらうなんて、情けないにも程があるだろう。

情けなさ過ぎて涙が出そうだ。


「ユウさま。あなたは私の夫によく似ています」


唐突に王太后さまがそう言った。

私の夫って、前国王のアディのおじいちゃんのことか?

いやいやそれはないだろう?

前国王っていえば、歩くトカゲみたいな化け物から人間を救け、海を越えてこの大陸に渡り、国を築いた英雄みたいな存在だろう。

アディのおじいちゃんで同じ金髪って事はやっぱり凄い美形だったんだろうし、どこからどう見たって俺との類似点なんか見つからない。


引き攣った俺の顔に、「そんな表情までそっくりです」と王太后さまは嬉しそうに笑った。


「夫は、いつも悩み迷っていました。自分のする事に自信がなく、これで良いのか、良かったのかと自問自答を繰り返し、反省と自己嫌悪ばかりしておりました」


俺の目は丸くなる。


「あれは、のぉ」


獣人のおばあちゃん――――ヴィヴォが嫌そうにため息をつく。


「本当に。何度見捨てようと思ったかわかりませんわ」


王太后さまは、さらりとそう言った。



え?

……見捨てる。

王太后さまが前国王を見捨てるって……まさかの離婚!?


「わしなら間違いなく別れておったな」

「私もそうしようとは思ったのですが、息子夫婦に、孫達とを頼むと言い遺されてしまったものですから」


可愛い我が子の最期の頼みを無下にするわけにはいかなかったのだと、王太后さまはため息交じりに説明してくれた。




……アディのおじいさんって、いったい?


「まあ、も、あのうっとうしいところを除けば、なかなか見どころのある男じゃったからな。我らを解放することはできずとも、我らの待遇を少しでも良くしようと東奔西走しておった」

「そのくらいできなければ、本気で見捨てていましたわ。頼りにはならなくとも優しい人でしたから。――――ユウ様も優しいところが本当に夫にそっくりですわ」




「………………」




俺は褒められているのだろうか?

いや、絶対違うだろう!


老婦人二人はニコニコともの凄いイイ笑みを浮かべている。

俺の顔は引きつり過ぎて痙攣を起こしそうだ。


――――結局、この人達は俺に何をしたいんだ?

俺はガックリ項垂れる。

俺の疑問は顔に出ていたのだろう。王太后さまが説明してくれた。


「ユウさま。我々は救世主たるあなたさまに心からの感謝を伝え、そして今後世界を救う際に、悩み迷うだろうあなたさまの背中を押すべく、お会いしたのです」


(……背中を押す?)


押されたくありませんって、断っちゃダメだろうか。


「世界に危機が迫り、救世主たるあなたは、いずれ己が行動に迷うじゃろう。――――お迷いなさるな。あなたが為すことは、全て『神』の決められた運命ですじゃ。あなたにそれ以外の道は。御心のままに動きなされ。――――それをお伝えしたかった」


おばあちゃんの言葉は……呪いのようだった。


(道が無いって、何だ?!)


「ユウさまの事は、この世界にご来臨された時から逐一報告を受けておりました。その報告を聞くにつれ、どうにも夫を思い出し、ここはひとつ発破をかけなければならないだろうと思い至ったのです。丁度リーファからユウさまをご案内したいと連絡をもらいましたから、一日千秋の思いでお待ち申しておりました」

「ウム。もう少し遅ければ老体に鞭打ってこちらから出向かなければと思っておったところじゃった。やはり『神』のお導きじゃ」


……逐一報告って、王太后さまいったい何をしていらっしゃるのですか?

そして、おばあちゃん。老体に鞭打つのは止めてください。


「ご心配していただきましてありがとうございます。――――でも、俺は救世主なんてもんじゃありませんから!」


心遣いには礼を言っても、譲れるものと譲れないものがある。

俺がキッと顔を上げれば、二人の老婦人は困ったように微笑んだ。


「やれ、往生際の悪い。」


「優柔不断のくせに、頑固なところまでにそっくりだわ」


(それは、間違いなく俺を貶しているからな!!)


俺が憤然としていると、俄かに部屋の外が騒がしくなってきた。





「おばばさま。ここを開けてください!」

「おばあさま。ユウさまは!?」

「王太后さま! お共も付けずにそんな異世界人と二人になられるなど、危険です!」

「エイベット卿! ユウはそんな奴じゃない」


喧々諤々と言い合う声が響いてくる。

扉もドンドンと叩かれた。


「ユウ! 余計な事を話せば殺すからな!」

「ユウさま。ご無事ですか?」


どうやら、扉の外にはティツァやフィフィもいるようだった。


ティツァ、獣人の言葉はどうせ人間にはわからないと思って叫んでいるんだろうが、王太后さまには筒抜けだからな。

心配してそちらを見れば、何故か王太后さまじゃなくておばあちゃんの方が眉をひそめていた。


「救世主さまに対してなんたる言い草じゃ。後でシメねばならんの」

「ユウさま。ご安心ください。この部屋は特殊な結界に守られていますから外からの声は聞こえても、中の声が外に漏れる事はありません。……あぁ、でもアディもリーファも、あんなに心配して。二人とも本当にユウさまが好きなのね」


おばあちゃん……ティツァをシメるって、まさかの実力者なのか?

そして、王太后さま、うっとりと頬を赤らめるのは止めてください。


「あんな奴じゃが、ティツァは次代の獣人族を率いる長候補のひとりじゃ。フィフィもわしの血をわずかながらに引いておる。耳と尻尾は違えども、容姿はわしの若い頃に瓜二つじゃし、きっと救世主様のお役に立つじゃろう」


「アディは、夫よりも息子に似て少しは使える子ですわ。リーファも巫女としての力は私に及ばず獣人の言葉もわかりませんけれど、若い頃の私にそっくりな真面目な頑張り屋さんです。ユウさま、どうか二人をよろしくお願いしますね」


フィフィとリーファが、おばばさまと王太后さまに似ているだなんてウソだっ!!

絶対信じないぞ!

それに、俺があんなに救世主なんかじゃないって言ったこと、二人共聞いていたのか?


王太后さまは、ニッコリ笑うと背筋をスッと伸ばす。

そして、パチンとカッコよく指を鳴らした。

その途端、ドン! ドン! と破壊的な音をさせていた扉がついに破られる。

おそらく体当たりをしていたのだろう、コヴィが先頭に立って部屋の中に転がりこんできた。


「ユウ!」

「ユウさまっ。」


直ぐ後にアディが飛び込んできて、俺の前に出てその背に俺を庇う。

続いてリーファが駆け寄って「大丈夫ですか?」と心配そうに聞いてきた。


「あらまあ、そんなに必死になって。アディ、リーファ、私はユウさまを取って食いはしませんよ?」


「おばばさまには油断をするなというのが、おじじさまの遺言です」


――――おじじさまっていうのは、前国王陛下の事なんだろうな。

本当にいったい、前国王夫妻はどんな夫婦だったのだろう?


「……余計な事を」


なんと王太后さまは、小さく舌打ちをもらされた。


「親しくお話をさせていただいただけですよ。――――ねぇ、ユウさま」


優しく笑いかけられて、俺は引きつった笑みを返す。

周囲を窺えば、既に立ち直ったコヴィが壁際に直立不動で立っていて、エイベット卿は相変わらずの苦虫を噛み潰したような顔でこっちを見ていた。

扉の外では何だかんだと大騒ぎしていたようだが、いざ王太后さまの前に出てしまえば何も言えないようである。


入口近くに居るティツァとフィフィが、目を真ん丸にして部屋の奥に座るおばあちゃんを凝視していた。

おばあちゃんがニッと笑った瞬間、ティツァの耳がペタンと伏せられ尻尾がダランと下がる。


(あ……ばあちゃん家のタロウと同じ反応だ)


俺のばあちゃん家にはタロウという名前のオスの秋田犬がいる。

でかくて堂々とした偉そうな犬なのだが、ばあちゃんにだけはとことん弱く、ちょっと叱られてはショボンとして憐れな鳴き声を上げていた。

今のティツァの姿は、そのタロウとそっくり同じだった。



このロダという国の人間も獣人も、ヒエラルキーの頂点にいるのは、どうやらおば……ではなく、年配のご婦人のようである。



うん。良いことなんだろうな……多分。


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