第45話 空を游ぐ

 あか戦鬼せんきたちの口腔から放たれた蒼白の光は、路地裏を瞬く間に青白く塗りつぶしていく。

 数多あまたの光の奔流ほんりゅうが一点に集中、衝突し、盛大な爆発音が鳴り響いた。凄まじい衝撃が大気を震わせれば、地面や周囲の建物が激しく揺さぶられる。爆砕ばくさい激震げきしん

 爆光が、いくつもの家屋を破壊し、破片や粉塵ふんじんを撒き散らした。

 しかし、目に見える被害といえばそれくらいのもので、だれかが巻き込まれたとか、市民に被害が及んだと様子はなかった。

 吹き飛ばされた建物は、無人のものばかりだったのだ。

 だが、それもたまたまの偶然、幸運以外の何物でもない出来事であり、これから先、被害者が出ないとは限らなかったし、損害が拡大する恐れは多いにあった。

 皇魔おうまの数は未だに多い。

 アズマリアの〈門〉は、どれほどの鬼を召喚したのだろうか。

 セツナは、少なくとも二十体近くの皇魔を殺したはずなのだが、遠めに見る限りでは減ったようには感じられなかった。

 それほどまでの数の鬼がこの路地裏に集まり、セツナに敵意の視線を向けている。

 仰ぎ見ている。

 ふと、セツナは、怪訝けげんな表情になった。

 セツナは一瞬前まで、鬼たちの攻撃の最中にいたはずだった。あの圧倒的な砲撃の渦中にいたのだ。どこにも逃げ場などは見当たらず、見つけたところで逃げ出す暇さえなかった。矛の力を信じることくらいしか、セツナには許されなかったのだ。

 そして、信じるだけではなにも起こらないことも、知っていた。

 だからセツナは、いま自分の身になにが起きているのか、まるで見当がつかなかった。

 覚えていることといえば、皇魔が光を発した瞬間、なにかによって視界が遮られたことくらいだった。聴覚を始めとして様々な感覚が狂っていたこともあり、自分の身に起きたことすべてを正確に把握できていない。

 己の身が無事であると気づくのにも、数秒の時間を要したほどだ。

 そして、同時に、自分が鬼の布陣を見下ろすほどの高所にいることを理解した。

 高層建築物の屋根の上である。

 さっきまでセツナがいた路地を見渡すにはちょうど良い高さであり、皇魔の様子を確認することも容易だった。

 だからこそ、被害の様子がはっきりと見て取れたのだ。

 爆光は既に収まり、視界は正常化している。聴覚は未だに異常事態を訴えてきてはいるが、それだけだ。

 見れば、爆心地が半球状に陥没しており、範囲内とその周囲の建物が見事なまでに粉砕されていた。根こそぎ吹き飛ばされた、という感じであり、建材や建物内にあった物品などがそこら中に散らばっていて、さらに広範囲の建物に被害を波及させているようだった。

 それは、皇魔の攻撃力のすさまじさを物語ると同時に、その凶悪な力を秘めた化け物が野放しにされているという現状を伝え、危機感を覚えさせた。

「いやあ、間に合ってよかった。少しでも遅れていたら、大変な目にっていましたね?  セツナ=カミヤ殿」

「へ?」

 セツナは、背後からの声に変な顔になった。聞いたことのない男の声だった。軽さと慎重さを併せ持つ、なんとも形容しようのない声音。

 とはいえ、すぐさま理解する。

 その男が、セツナを窮地きゅうちから救ってくれたのだ。そして、この高所にまで運んでくれたに違いない。それ以外には考えようがなかった。

 セツナは、声の主を振り返った。

「どうも、はじめまして。ルウファです」

 セツナが振り向くなり挨拶してきたのは、若い男だった。金髪碧眼きんぱつへきがん貴公子きこうし然とした青年。秀麗な容貌には爽やかな微笑が湛えられている。その表情一つで安心感を覚えるのは、安易だろうか。

 その体に身に着けた純白の外套が目立っていた。風に靡くそれは、中ほどで二つに分かれており、翼のように見えなくもない。複雑極まりない紋様が記された外套は、この世のものとは思えないほどに幻想的だった。

 セツナは、思わず見とれかけて、すぐさま礼を述べた。

「助けてくれて、ありがとうございます」

「いやいや、大したことじゃないですよ」

 ルウファと名乗った青年は、どういうわけか少しばかり驚いたような反応を見せた。

 彼がなにに対して驚いたのか、セツナには想像もつかないが、いまはそんなことはどうでも良かった。

 咆哮ほうこうが、眼下から聞こえてきている。

「じゃあ、これで」

「え?」

 相手の間の抜けた反応には構わず、セツナは、背後に向き直るなり屋根を蹴っていた。飛び降りたのだ。

 化け物どもによる被害をこれ以上拡大させるわけにはいかなかった。

 皇魔の咆哮と先の爆音が、人々の興味を惹かないとも限らなければ、ガンディアの兵隊だって動き出すだろう。目標を見失った化け物たちが、そんな市民や兵隊を目にしたらどうなるか、さすがのセツナにも想像がつく。

 それは、最悪極まりない事態にほかならない。

(んなこと、させるかよ!)

 セツナは、胸中で叫んだ。

 アズマリアの思惑など、いまは考えている余裕がなかった。

 理由はどうあれ、化け物が放たれてしまったのだ。

 皇魔。

 人間の天敵とも呼ばれる異形の怪物たち。

 いまさら見て見ぬ振りはできないし、もとよりそんなつもりもない。

 鬼が〈門〉から飛び出してきた瞬間から、彼には、戦う以外の選択肢は存在しなかった。

 故に、ルウファという青年がどうやってセツナのことを助けたのか考えもしなかったし、高層建築物の屋根から飛び降りることにも躊躇ちゅうちょがない。

 矛の力を信じたのだ。

「無茶だ!」

 背後からルウファが叫んできたが、そのときには既にセツナの肉体は空中におどっていた。わずかばかりの滞空時間。眼下に広がるのは、王都ガンディアの《市街》マルス区の町並みであり、その活気に満ちた空気をぶち壊しにする破壊の爪痕つめあとだった。

 そして、皇魔の群れ。

 赤鬼たち。

 セツナは、矛を握る両手に力を込めた。彼の体は重力に引っ張られるようにして、地面へと落下していった。止める術はない。

「おおおおお~!?」

 セツナは、落下による加速に悲鳴をあげた。十数メートルの高さから飛び降りるなど、やはり正気の沙汰ではなかったのだ。が、後悔こうかいしている暇はない。そうこうするうちに地面は目の前にまで近づいてきていた。

 化け物の姿が見えない。大通りにでも移動し始めているのか。

 人間を襲うために。

 セツナは、矛の切っ先を地面に向けた。

「矛よ――!」

 セツナの願いが届いたのか。

 突如、矛の石突いしづきに埋め込まれた宝玉がまばゆい光を発した。宝玉から生じた光は、幾筋もの光条こうじょうとなって柄の表面を走り、穂部ほぶへと到達する。穂部を巡り、切っ先に集中した光は、目に痛いくらいの輝きを発すると、次の瞬間、爆発的に膨れ上がった。

「え?」

 矛の切っ先が放出した極大の光芒こうぼうは、セツナの視界を真っ白に染め上げた直後、落下予定地点へと吸い込まれるようにして直撃した。破壊的な光の膨張とともに、爆音が乱舞する。粉塵と爆煙が、怒涛どとうのように押し寄せてきた。

 地面は破壊されたのだろう。

 矛に秘められた圧倒的な力によって、一瞬にして蹂躙じゅうりんされたのだ。さらに広範囲に被害が及んでいてもおかしくはない。

 しかも、皇魔ではなく、セツナの力によって、だ。

 落下は、収まらない。

(い、意味ねぇええええええええ!)

 セツナは、愕然がくぜんとするしかなかった。彼が矛に願ったのは、破壊の力などではなかった。なんらかの方法で落下を制御することだけであり、無差別な破壊などこれぽっちも望まなかった。しかし、もはやどうしようもない。

 濛々もうもうたる黒煙の先には、破壊された地面が待っている――。

「本当、無茶苦茶だな~」

 涼風りょうふうのような――といえば言い過ぎかもしれないが――男の声は、セツナのすぐ背後から聞こえた。

 間違いなく、あのルウファという青年の声だった。あとを追って飛び降りてきたのだろうか。だとすれば、とんでもない人間に違いない。

「え?」

「ま、それくらいじゃなきゃ、あれだけの活躍はできないか」

 そのとき、だれかの手がセツナの腕を掴んだ。強い力だった。そしてなぜか、落下速度が急激に減速していった。

 セツナにはなにが起こったのかわからなかったが、少なくとも地面に激突して死ぬという最悪の事態だけは免れたらしいということは分かった。

 セツナがそちらを見遣ると、苦笑とも微笑ともつかない表情を浮かべたルウファの姿があった。

 セツナの腕を掴んだ彼は、どういう原理かは分からないが空中に浮かんでいるらしかった。

 そう、原理は分からない。

 ただ、彼が空に浮かんでいることに対しては疑問を覚えることはなかった。むしろ、セツナは一目見て納得した。

 せざるを得なかったというべきかもしれない。

 なぜなら、ルウファの背には、一対の白き翼が生えていたのだ。

 空をおよぐ天使のように。

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