第39話 流れ、緩やかに

 快晴の空の下、王都の《市街》がことさらに賑わっているのは、レオンガンド・レイ=ガンディアが初陣を疑いようのない完全な勝利で飾ったからだ。

 市民にとって最大の懸念けねんであり、不安材料であったバルサー要塞を無事に取り戻すことに成功したのだ。

 それは、ガンディアの現王が以前から流布されていたようなうつけではなかったという事実を知らしめるものでもあった。

 その圧倒的な現実とともに王都を凱旋がいせんしたレオンガンドの勇姿ゆうしは、まさに英傑えいけつのそれであり、その姿を目の当たりにした多くの市民は、自分の考えが間違いだったのだと思い知らされたのではないか。

 白銀の獅子の甲冑かっちゅうを纏い、王都を巡るその姿はあまりにも雄々おおしく、英雄然としていた。

 うつけや暗愚あんぐそしりを受けていたものの姿はどこにもなく、むしろ、英傑えいけつの誉れ高い先王シウスクラウドの再来ではないかと声高に叫ぶものもいたという。

 王都市民、いや、ガンディア国民にとってこれほどまでに喜ばしい事態はなかった。

 暗澹あんたんたる絶望は歓喜へと変わり、歓喜は瞬く間に王都中に広がっていったのだ。

「以来、ずっとお祭り騒ぎなのよ」

「へえ」

「あら? あんまり興味なかった?」

「いや、なんつーか、随分と都合のいい話だなーって想ってさ」

 セツナは、ファリアの説明に対し、素直な感想を述べた。通りを行く人々の能天気そうな様子からは、想像もつかない事情を聞かされたのだ。

 王都ガンディオンの《市街》マルス区の真ん中を走る大通りは、呆れるほどの人出でごった返していた。

 人目をくのは通りの両脇に立ち並ぶ商店だけではない。

 様々な屋台や露店が所狭しとその即席の店舗を展開しており、様々な格好の店員たちが大声を上げて客寄せをしていた。

 まさにお祭り騒ぎそのものだった。

 一人の子供が屋台でお菓子を買えば、恋人たちは露店を冷やかすように巡り歩き、家族は人混みの凄まじさに辟易へきえきしている――そんな光景は、セツナの故郷でも年に一度は見ることができた。

 夏の花火大会のときだけは、彼の生まれ育った街にも数え切れないほどのひとが集まったのだ。

 その夏の夜の景色が既に懐かしいものになりつつある事実に多少の驚きを覚えながら、セツナは、この通りを埋め尽くす人々の多くが、レオンガンドの王位継承に絶望していたということを考えていた。

 うつけ、と呼ばれていたのだという。

 暗愚な王子として人々から忌避きひされていたのだと。

 しかし一方で、ファリアは、レオンガンドが王位を継承する以前から知っており、聡明そうめいな人物だと認識していたそうだ。

 無論、この場合信頼に値するのは直接逢ったことのあるファリアの言葉なのだろうが、真実と事実は必ずしも一致しないということも、セツナは理解していた。

 ガンディア全土に広く流布るふされたうつけという事実が受け入れられ、何年にも渡って熟成されてきた以上、聡明な王子という真実は、なかなか、人々の心に映らない。映りようがない。

 ガンディアの国民にとってはレオンガンドは愚者ぐしゃ象徴しょうちょうとなり、彼の王位継承は、人々の心を奈落の底に突き落とした。

 だが、現実はどうだろう。

 陥落かんらくから半年もったものの、結果としてガンディアはバルサー要塞を奪還し、国土を元の状態に回復したのだ。

 無論、そんなものは当然だというものもいるだろう。

 王の力ではない、と。

 ただ取り戻しただけで息巻くほどのことはない、と。

 しかし、レオンガンドが絶望的なまでに暗愚な王であり、要塞を取り戻すことなどできないだろうと考えていたのが、国民の大半だというのだ。

 故に、要塞奪還の報は、国民の心に刻まれた事実が反転するほどではないにせよ、強烈な衝撃を与えたと見ていいだろう。

 少なくとも、絶望からは回復したと見ていい。

 それが、この連日のお祭り騒ぎという状況に表れている。

「人間なんて自分勝手なものよ。わたしだって、きみだって。そうでしょう?」

「う……そりゃそうだけどさ。でも、なんか納得できないな」

 セツナは、ファリアから目をらすように視線を移した。

 視界を彩るのは見慣れない町並みであり、その町並みを構築する建築物のひとつひとつが、目新しい驚きで満ちている。

 マルダールよりも古い歴史を持つのであろう市街は、それでいて、かの城塞都市よりも洗練されたものを感じさせる。

 もっとも、それは王都である以上当然なのかもしれない。

 マルダールもガンディアにとっては重要な都市には違いないのだが、王の住まう都市とは、設計の段階からその思想が異なるのではないだろうか。

 王都ほど、見栄みばえを気にする都市もないだろう。

 もちろん、都市の外観以上に防衛能力や機能性を重視しているとは思うのだが。

 ふと、セツナは、ため息を浮かべた。

 祭りを満喫しているのであろう人々の姿が、彼に、平穏というものを思い出させようとしていることに気づいたのだ。

 平穏な日常。

 安息に満ちた時間。

 どれもこれも、この世界に来てからというもの忘れざるを得なかったものだ。

 いや、考えれば、平穏な時間もあった。

 例えば、カランでの日々は安らぎに満ちていたし、マルダールでの数日も緊張感があったとはいえ、戦場に比べればどれほど安全で平和だったのか。

 しかし、そういった感覚はあの平原に立った瞬間、セツナの頭からすべり落ち、戦場に渦巻く狂気と熱気が彼の意識を支配した。

 そして、戦うことだけがすべてとなった。

 だが、日常に回帰した今、それもまた遠い日の幻想のように想えるのだ。

 意識を失う前に見た戦場の有様は、このお祭り染みた喧騒けんそうの中で、音もなく消えていってしまうかのようだ。

「まあ、無理に納得する必要はないわね。でも、これだけはわかって欲しいの。きみが変えたんだって事」

「おれが変えた……って、なにを?」

「皆のことよ。だって、セツナ一人で勝ったようなものでしょ」

 ごくごく当たり前のように告げてきたファリアに対し、セツナは、軽く首を横に振った。

「言い過ぎだよ」

 それは彼としては本心であった。

 確かに活躍はしただろう。

 それは自他共に認める事実であるはずだ。

 そしてそれは、大量の命を奪ったという現実を受け入れるということでもある。逆説的に言えば、活躍を認めないということは、殺戮を否定するのと同じことだ。

 それだけはできない。

 断じて。

 しかし、だからといって、セツナひとりですべてを決したわけではないこともわかっている。

 なにより、セツナは最後まで意識を保ってはいられなかったのだ。

 セツナが気を失っている間に、戦争は終わった。

 バルサー要塞の奪還と、ガンディオンへの帰還。

 それらは、セツナが眠っている間の出来事だった。

「そんなことないわよ。わたしはもちろん、《蒼き風》もルシオンの白聖騎士隊はくせいきしたいも、ガンディアの精兵も、セツナに比べればまったく大したことなかったじゃない。ほんと、泣けるくらいにね。かなり卑怯よね、セツナって」

 ファリアのどこかあきれたような半眼はんがんは、むしろ可愛らしいとさえ思えた。不意に、彼女の細い指先がセツナの頬を掴む。

「普段はこんなに弱そうなのに」

 不思議そうな、それでいて決して不愉快ではない表情で両頬を引っ張る彼女に、セツナは、反論することもできなかった。

 実際、その通りだった。

 屈強くっきょうな傭兵たちに比べれば、セツナの肉体など雑兵ぞうひょうにも劣るだろう。

 戦場に立とういうこと自体おこがましい体つきだった。

 だが、どういうわけかセツナは戦場に立ち、獅子奮迅ししふんじんの活躍をして見せた。

 黒き矛という、卑怯なまでに強大な力を用いることができたがために。

「だから胸を張って、ね? おれがセツナだー! って叫んだっていいのよ?」

「よくねーっす……」

 にこやかに微笑してくるファリアに対して、セツナは、微かに悲鳴を上げる頬を撫でるだけだった。

 彼女がセツナのことを思い遣ってくれていることは十分に理解しているのだが、だからといって街中で大声を上げられるような気分でもなかった。

 周囲には、露店や屋台巡りを楽しんでいる人々がたくさんいるのだ。そんな中で、自分の名を大声で叫ぶほど恥ずかしいこともないだろう。

 それをいったら、街中で女性に泣きながら抱きつくのはどうなのか、という話もあるにはあるのだが。

(それは……いいよな。うん)

 セツナがひとり強引に納得していると、周りからひそひそと囁き合う声が聞こえてきた。

「セツナ……?」

「さっきあの女のひとがセツナって……」

「セツナってあのセツナかよ!」

 それとともに無数の視線が全身に直撃したのを認めて、セツナは、ファリアの顔を見た。彼女はどこか楽しそうなまなざしでこちらを見ていた。

 周囲をそっと見回すと、人々の流れが緩やかになっていた。こちらを注視するために、歩く速度が落ちているのだろう。

 注目を集めたのは、さっきのファリアの大声に違いなかった。

「ね? きみは王都じゃあ、もう知らないひとはいないくらいの有名人なのよ」

 ファリアの口調がどことなく誇らしげなのは、なぜだろう。しかし、不快ではない。むしろ、聞いているセツナまで嬉しくなってくる声の響きだった。

 だが、疑問は生まれる。

「なんで?」

「そりゃあ、陛下へいかが言い触らしたもの。此度の戦いの立役者はセツナ=カミヤだー! って。黒き矛のセツナこそが勝利の担い手だー! ってね」

「へ……?」

 セツナは、ファリアの嬉しそうな口ぶりに対して、愕然とするばかりだった。

 レオンガンドの美貌びぼうが、脳裏のうりぎる。

 戦場においても最前線で采配を振るい続けた青年王は、言うまでもなくうつけなどではないと断言できる。少なくとも、暗愚な王にはこのような振る舞いはできないはずだ。

 いや、愚かであろう賢しかろうと、レオンガンドが、わざわざセツナの名を出す必要はないのではないかと思えた。

 セツナの存在を黙っていれば、要塞奪還の全てをガンディア軍の功績にすることもできたのではないか。

 セツナは、驚きと喜びに胸が一杯になっていた。

 セツナが戦場に立ったのは、レオンガンドの人柄にほだされた挙げ句のことだ。その結果、数多の命を奪う羽目になったが、それは必ずしも間違いではなかったと思えた。

 そして、耳朶じだに飛び込む人々の囁きが、その感動を助長するのだ。

「セツナだって!?」

「要塞奪還の立役者が!?」

「陛下の切り札か!」

 切り札――それは確か、レオンガンドがリノンクレアに対して、セツナを指していった言葉だったか。

 実際のところ、あれは口からでまかせのようなものだったに違いない。

 彼はセツナの実力など知らなかったのだ。

 そもそも、セツナ自身、戦争の切り札になれるなどとは考えてもいなかった。

 だが、レオンガンドの思惑がどうであれ、セツナは、彼の宣言通り、あるいはそれ以上の働きはしたはずだ。

 切り札という言葉に秘められた意図いと遜色そんしょくのない戦い振りだった。そう自負するくらい許されるだろう。

 あれだけの敵を殺したのだから。

 もっとも、だからといって、自分ひとりで勝ったなどとは思えないのがセツナだった。

一騎当千いっきとうせんなんだろ?」

「たったひとりで七千の敵を蹴散らしたって!」

「すげー!」

「まじかよ!」

 興奮しているからなのか、周囲の人々の中で爆発的な勢いで膨れ上がっていく話の内容に、セツナは冷や汗を浮かべた。

(なんなんだ、これは)

 セツナには、理解のできない状況だった。

 完全に人の流れが止まった通りには、老若男女問わず様々な人が、セツナの周囲を大きく取り囲んで黒山の人だかりを作っていた。

 セツナとファリアの二人を遠巻きに包囲しているのである。

 そして、口々に囁かれる言葉と、臆面おくめんもなく注がれる好奇こうきのまなざしが、セツナの思考を機能不全きのうふぜんに陥らせていた。

 伝え聞くセツナの活躍をまるで自分のことのように語るものもいれば、疑わしげに論争する老人、《蒼き風》の剣鬼けんきとどちらが強いかで盛り上がる子供たち。きらきらと瞳を輝かせる少年がいれば、嬌声きょうせいを上げる女性もいたりする。

 そんな次第、セツナは、凍りついたように動けなかった。

 そして。

「握手してくれー!」

 ひとりの青年が、セツナに向かって飛び出してきた。それがきっかけとなったのだろう。どっ、とセツナを包囲していた人々が一斉に動いたのだ。それはさながら意志を持つ怒涛であり、本能に忠実な濁流だくりゅうであった。

「矛見せて!」

「取材、取材をさせてください!」

「セ、セツナ様の趣味は!」

「セツナ~!」

 物凄い勢いで殺到する人波を目前に、セツナは、ファリアと目を合わせた。が、即座に解決策など思いつくはずもなく、互いに引きったように笑うだけだった。

 情け容赦ない津波が、セツナたちを飲み込んでいった。

「ぎゃー!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る