武装召喚師～黒き矛の異世界無双～

第32話 鬼神の如く

「セツ……ナ？」

　その少年の名を口にしたとき、ファリアの胸を締め付けていたのは恐怖だった。

　慟哭（どうこく）の如き咆哮（ほうこう）とともに何処（どこ）かへと飛び去った少年が発散したのは、圧倒的な力だった。

　それは、彼女の心に鋭い刃のように突き刺さっている。

　一体、なんという力なのだろう、と、考え込んでしまう。

　もちろんそれは、セツナ本人の力などではない。

　彼が召喚した黒き矛の力なのだ。

　禍々しくも破壊的な漆黒の矛。

　召喚武装なのだ。

　強大な力を秘めていてしかるべきなのだが、しかし、それにしても、尋常な力ではなかった。常識を遥かに超えた力が、波動となって拡散していくのを目の当たりにしている。

　それ自体に物理的な破壊力はなかったものの、力を感じ取ることができるものにとっては、絶望的なまでの苦痛だったのではないか。

　ファリア自身が、そうだった。

　セツナの矛から放出された力の波動が彼女の肉体を突き抜けた瞬間、想像を絶する痛みが生まれた。意識を失い兼ねないほどの力。

　恐怖であり、脅威（きょうい）。

　戦慄（せんりつ）が走った。

　それはさながら、人外の化け物と対峙したかのような感覚だった。

　もっとも、彼女が化け物と相対しただけで意識を失ったことなどはない。だがもし、対峙した化け物が規格外（きかくがい）の力を有し、それを認識できるのならどうだろう。

　恐怖のあまり卒倒（そっとう）したとしても不思議ではないのではないか。

　しかし、セツナの矛の力は、人外の化け物たる皇魔（おうま）などとは根本的に違うものだ。そして、だからこそ、彼女は不安を抱いていた。

（セツナ……きみはいったい何者なの？）

　ファリアは、自身の震える体を抱きしめるようにして、その場に立ち尽くしていた。

　周囲に敵兵の姿はない。

　彼女は、後方にいた。

　彼女の得物は弓である。肉体の鍛錬を第一の義務とする武装召喚師とはいえ、武装の運用方法にあった立ち回りをするのは当然だ。

　でなければ、命がいくつあっても足りない。

　後方からの狙撃や援護射撃こそが彼女本来の戦い方であり、セツナという要素がなければ最前線に出ることはなかったのだ。

　セツナが心配だからこそ、最前線へと飛び出す羽目になった。過保護かもしれないが、初陣の少年召喚師のためならば、なんということはない。

　彼のことは、初めて逢ったときからずっと気がかりだった。

　危うさを、纏っている。

　放っておけない。

「ありゃ？　セツナはどこいったんだ？」

　と、ファリアの思考を妨げたのは、シグルドの野放図（のほうず）なまでの大声だった。といって、不快感はない。むしろ、落ち込みかけた心を救うのは、いつだってそのような豪快な声なのかもしれないとも思うほどには、明るかった。

　ファリアが目を向けると、シグルドは副長、突撃隊長のふたりを連れてきていた。前線で戦うのにも飽きたのだろうか。

「さっき飛んでいったの見ましたけど？」

　ルクスが、さわやかに言った。

　凄まじい戦果を上げながら、返り血ひとつ浴びていないその姿は、《剣鬼（けんき）》と呼ぶにはどうも似つかわしくないように思えた。

　しかし、幾多（いくた）の命を吸った長剣を事も無げに扱う様を見た後ならば、やはり剣の鬼と言う以外に彼を表現する言葉はないとも考えてしまう。

　もっとも、彼の人懐っこそうな表情を見ていると、凄惨なまでの戦いぶりも忘れそうになるのだが。

「どこに？」

「それはやはり、陛下の元に、ではないかと」

　ジンが部下たちに指示を飛ばした後にいった。簡素な兜は、彼のどこか知的な容貌（ようぼう）を隠しはしなかった。彼もそうだが、シグルドにせよルクスにせよ、《蒼き風》の幹部連中は基本的に軽装（けいそう）を好むようだった。

　重装備（じゅうそうび）では動き難いというのもあるだろうが、いくら重厚な甲冑（かっちゅう）に身を包んだところで、高位の召喚武装の前では意味をなさなくなるのがわかっているからだろう。

　それは彼らが歴戦の兵（つわもの）だということの証明であるのとともに、現代の戦争における武装召喚師の存在感の強烈さを象徴する出来事といえる。

　武装召喚師さえいなければ、この戦いはもっと長引いたはずだ。

　そもそも、ガンディア軍が優位に立つことすら難しかったのではないかとさえ、ファリアは考えてしまうのだ。

　このガンディア軍有利という戦況は、セツナの存在が極めて大きい。

　そしてそれは、並大抵の武装召喚師では真似のできないことでもあった。

　それはファリアとて例外ではない。

　彼女がすべての力を出し切ったところで、セツナの上げた戦果には到底及ぶべくもないのではないか。

　それは至極当然の結論であり、そしてだからこそ、彼の力が尋常のものではないからこそ、ファリアは、不安を覚えるしかないのだ。

　彼の圧倒的な力は、初陣の少年武装召喚師のものとは思えない。

　それがなんであるかなど、もはやだれにも理解できなかったのかもしれない。

　それは脅威であったのかもしれない。

　それは驚異であったのかもしれない。

　それは狂気でもあったのだろう。

　そして、狂喜ですらあったのだ。

　その場にいただれもが、その噎（む）せ返るような殺意と敵意の奔流（ほんりゅう）の中で、絶望と失意を抱いていた。

　そう、だれもが。

　後方に退いたレオンガンドですらも、恐怖を感じずにはいられなかった。

「あれがセツナか……！？」

　敵陣の最前線において、まるでありったけの力をぶつけるかの如く暴威（ぼうい）を振るう少年の姿を目の当たりにして、レオンガンドは、正気を保っていられる自分の神経の図太さにむしろ感心さえしたほどだった。

「ば、化け物だ……！」

　とは、だれが発した言葉だったのだろう。

　敵兵の断末魔（だんまつ）のようでもあったし、近場にいた精兵（せいへい）の発した言葉のようにも想われた。

　あるいは、レオンガンドの心の声なのかもしれない。

　それほどまでに、セツナの活躍は凄まじかった。

　いや、活躍などという生易しいものではない。

　一方的な殺戮であり、虐殺といってもいい。

　黒き矛を手にした彼の前に敵はなく、重装歩兵も軽装歩兵も平等に斬殺していた。大盾を構えていようとも諸共（もろとも）に貫（つらぬ）いて殺し、一斉（いっせい）に飛び掛ってこようとも、意にも介さず切り刻んだ。

　その速度たるや、レオンガンドの目に追いきれるものではなく、戦場を奔（はし）る漆黒の矛と少年の姿は、さながら命を刈り取る悪魔の如くであった。

　悲鳴は、まるで合唱のように響き渡り、戦場全体を震撼（しんかん）させる。

　その上、悲鳴が上がったのは、敵陣からのみではなかった。

　自陣からも、恐れ慄く声が聞こえていた。

　たったひとりで前線を崩壊させていくセツナの所業には、ガンディアの兵士たちも腰を抜かしたらしい。

「弱兵と謗（そし）られるだけのことはありますな」

　やれやれとでも言いたげなアルガザード＝バルガザールの言葉に同意しようとしたものの、レオンガンドは、自分もまた、セツナの変貌（へんぼう）振りに及び腰になっていることを認めざるを得なかった。頭（かぶり）を振る。

　今回ばかりは、兵士たちを叱責（しっせき）することはできない。

「仕方ないんじゃないかな」

「アレは……鬼神かなにかですかな？」

「少なくとも、ごく普通の少年だったはずなんだけどね」

　アルガザードの問いに対して、レオンガンドは、自信無げに答えるだけだった。

　きっとなにかを隠していたとはいえ、あのときのセツナはやはりただの少年にしか見えなかったのは事実だった。

　そんな少年に多少の期待を抱いたのは、レオンガンドだ。だから、彼を勧誘し、戦場に連れてきた。しかし、ここまでの戦果を上げるなど考えてもいなかったし、戦局を左右するほどの実力を秘めているなど、想像だにしなかったのだ。

　レオンガンドが前方に視線を戻すと、崩壊した戦線を立て直そうとするログナー軍の努力をセツナが一蹴したところだった。

　矛の一閃が、十数人の兵士を一瞬にして肉塊へと変えてしまった。

　圧倒的だった。

　ログナー軍は、もはや戦線を立て直すのは諦めるしかなかっただろう。

　眼前に化け物が立ち塞がっているのだ。

　いや、進軍を妨げているのではない。

　むしろ、全力で襲い掛かってきている。

　どれだけの戦力を投入しても一向に埒（らち）が明かないような化け物が、である。

　正面から立ち向かうなど無意味だったし、包囲殲滅（ほういふくめつ）もかなわないとなれば、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。

　とはいえ、セツナを無視してまでレオンガンドに接近したところで、こちらの有り余るほどの兵力がそれらを駆逐してくれるだろうし、そもそも、セツナが迂回を許すとも思えなかった。

　セツナは、黒き矛を手に、戦場を飛び回っている。

　故に、ログナー軍が撤退を始めたことに対して、レオンガンドは、なにひとつとして不自然だとは思わなかった。

　無能な指揮官に掌握（しょうあく）された集団の末路など、往々にしてそのようなものだろう。

　しかし、それでも、引き際は見事なものだといえたかもしれない。

　さながら、潮が引いていくようだった。

　殿（しんがり）として残された兵士たちは、まさに死に物狂いだった。それが功を奏したのだろう。

　彼らの全身全霊の戦いによって、セツナは、ようやくその動きを封じられたのだ。

　セツナは、撤退するログナー軍を追撃するよりもまず、みずからを包囲する死兵（しへい）を殺し尽くさなければならなかったのだ。

　そしてそれは、レオンガンドたちの追撃をも封じる結果となった。鬼神の如く矛を振るうセツナへの接近を、人間だけでなく、馬たちも拒絶していた。

　しかしながら、だ。

「勝敗は決した……か」

　レオンガンドは、多少の感慨（かんがい）とともに、撤退する敵軍の向かう先にまなざしを向けた。

　厳然（げんぜん）として聳え立つバルサー要塞の威容（いよう）は、レオンガンドを新たな王として国民に認めてもらうために最低限必要なものだ。

　先王の死後のどさくさにまぎれて奪われたとはいえ、元々、ガンディアのものなのだ。

　奪還しなければならない。

（それも、いま取り返した……な）

　レオンガンドの視線の先で、バルサー要塞の頂点に掲げられたログナーの旗が、赤々と燃えていた。

　それは、バルサー要塞が陥落したことを示していた。