第20話 ガンディアのうつけ

 クオン=カミヤ。

 その名がワーグラーン大陸全土にとどろいたのは、およそ半年前のことである。

 ガンディアとログナーの間で起きたバルサー要塞攻防戦の最中、その少年は突如として現れたのだ。

 なんの武器も持たず、防具すら身に付けずに戦場に出現したその少年が、劣勢れっせいだったログナー軍に手を貸したことで戦況は一変した。

 どこからともなく召喚師た白き盾を掲げる少年の前に、ガンディア軍は為すすべもなかったのだという。

 その結果、ログナー軍の猛攻の前にバルサー要塞は陥落かんらくした。

 そして、ガンディアは北部防衛の要とその周辺の国土をログナーによって奪われたのだ――とは、ファリアの言葉であった。

「その戦いにおけるログナーの勝利の立役者が、クオン=カミヤという無名の少年だった。その事実は、戦後間もなくログナーの人間によって広く流布るふされたわ。長年果たせなかったバルサー要塞陥落を実現できたことが、よほど嬉しかったんでしょうね。それによって、クオン=カミヤの名は周辺諸国だけでなく、大陸中に知れ渡ったのよ」

 ファリアのわかりやすい説明を聞きながら、セツナは、茫然と頭上を仰いでいた。分厚い鉛色の雲が視界一面を覆っている。今にも降り出しそうな、そんな空の表情ではあるものの、マルダールについてから数時間、雨が降ってきたことはなかった。

 考えるのは、そう、すべては半年前の出来事だという事実だ。

 しくもそれは、現実世界において守屋かみやクオンが失踪した時期と重なるのだ。名前だけではなく、その時期まで一緒となると、その可能性を考えるしかないだろう。

(本当に、クオンなのか……?)

 セツナは、胸中でうめいた。

 確信があるわけではない。本人をこの眼で見たわけではないし、同姓同名の別人である可能性も十分にあるはずだった。

 しかし、それでも、セツナは、クオン=カミヤが半年前に姿を消した守屋久遠ではないのかと思わざるを得ないのだ。

 直感のようなものだ。

 頼りにはならないが、こういう場合、直感のほうが正しいような気もする。

 そして、その直感が正しかったのなら、セツナは、運命というものを呪いたくなるのだろう。

 そんな未来を垣間見た気がして、彼は、うなだれるよりほかなかった。

「ま、ログナーも当てが外れるなんて思ってもなかったんでしょうけれど」

 ファリアの視線を感じて、セツナは、顔を上げた。人気のない公園の殺風景な景色が視界に入ってくる。

 広い公園ではあったが、さりとて、特に目に付くようなものがあるわけもなく。景観のために植樹しょくじゅされたのであろう木々と色とりどりの花々が咲き誇る花壇だけが、この公園を公園たらしめているのかもしれない。

 セツナは、そのただ広いだけの公園の片隅に置かれた長椅子に腰掛けて、ファリアの話を聞いていたのだ。

 あの書庫からこの公園に連れ出したのはファリアであり、セツナが特別望んだわけではない。

 セツナが隣のファリアを見ると、彼女は満足したように続けてきた。聞いているのかどうか不安だったのかもしれない。

「クオン=カミヤは、バルサー要塞の戦いの後、ログナーから仕官の話を持ちかけられたけれど、それを蹴り、ログナーを去ったのよ。破格の待遇だったらしいけれど、彼には興味がなかったんでしょうね」

 セツナは、彼女の言葉を聴いて脳裏のうりに浮かんだ少年の美麗な横顔を打ち消すように、かぶりを振った。

 セツナの知っている彼ならば、そうするかもしれない。

 あの少年が目先の利益に目が眩むような姿は想像がつかなかった。目的に不要とあらば、どのような財宝が目の前に転がっていても黙殺するのだろう。いや、そういったものが目に入らない性質なのかもしれない。

 目標までの道程しか視界に映っていない――というのはいいすぎだろうが。

「自由を得たクオン=カミヤは、それ以降さまざまな戦いに顔を出し、数々の戦果を掻っさらっていったそうよ。そして現在の彼は、傭兵集団白き盾の頭目として知られているわね」

 セツナは、はっとファリアに目を向けた。今回ばかりは、彼女の横顔に意識を囚われるということはない。彼女の口にした言葉にこそ、セツナの意識は傾いていた。

「《白き盾》……」

 その言葉を反芻はんすうして、セツナは、大きく納得していた。なるほど、クオンには良く似合う名称ではある。けがれなき純白は、彼にこそ相応しいといえるだろう。

 しかし、その眩いばかりの白い輝きこそが、セツナの心を掻き乱すのだ。

 鮮烈で、目を背けることさえ許されない、圧倒的な光輝。

 その光の前では、セツナは、自分など塵芥ちりあくたも同然なのではないかと錯覚するほどだった。

 理由などなかった。

 その覆しようのない敗北感とでも言うべき感情を抱いたのは、クオンと出逢ったその瞬間だった。

『ぼくは守屋久遠。君は?』

 いつだって、彼の開口一番のその言葉が、セツナの意識をさいなんだ。異彩いさいを放つ瞳がこちらを見ている、その情景じょうけいが脳裏に浮かぶだけで、セツナは、肺腑はいふえぐるような痛みと格闘しなければならなかった。

 その痛みに比べれば、ランカインの炎のなんと生易なまやさしいことか。

 セツナは、歯噛みすると、なんとかしてクオンのことを頭の中から排除しようとした。だが、心に深く刻まれた嫌な想い出ほど、離れ難いものはない。

 どれだけ強くほかのことを考えようとしても、あの少年の屈託のない微笑は、セツナの瞼の裏にちらついて離れないのだ。

 だからこそセツナは、その男の出現に心の奥底から感謝したのかもしれない。

「なんだなんだ? 雑兵どもがカミヤだなんだと騒いでるから来てみれば、全然別人じゃねーか」

 もっとも、暴言とも受け取れるぶっきらぼうな言葉とともに割り込んできたその男には、セツナの落ち込んでいく意識を救うつもりなど、あろうはずがなかったが。




「ザルワーンは動かない――というより、現状、動くに動けにといったほうが正しい」

 レオンガンド・レイ=ガンディアは、ささやくように言った。広い部屋とはいえ、現状ふたりきりなのだ。大声を出す必要などはないし、無駄に力を使うのは彼の主義に反している。

「なぜです?」

 リノンクレア=レーヴェ・ルシオンの眼が冷ややかに輝いたのを、レオンガンドは見逃さなかった。レオンガンドの考えにわずかな隙でも見つければ、即座に攻撃しようとでもいうのだろう。抜き身の刃のように鋭いまなざしは、兄をしてきもを冷やさせるほどのものではあったが、一方で、哀れだとも想うのだ。

不出来ふできな兄のせいで苦労をかけるね)

 もっとも、レオンガンドがそんなことを口走りでもしたら、彼女は激怒のあまり兵を率いて国に帰ってしまうかもしれない。

 いや、あるいは、刃を突きつけてくるのではないか。

 みずからの死すらもいとわず。

「簡単なことさ。ザルワーンは、昔から大きな病を抱えていたんだよ。とても深刻な病をね」

「病?」

「そう、病。五竜氏族ごりゅうしぞくというのは知っているよね?」

「当たり前です。ザルワーンを支配する、竜の眷属けんぞく末裔まつえいを名乗る五つの家系のことですよね。ライバーン、リバイエン、ヴリディア、ファルブネイア、ビューネル――つまりは、彼らの権力争いかなにかですか?」

 うんざりとしたようなリノンクレアの表情には、レオンガンドは曖昧あいまいに微笑を返すしかなかった。

 先王が病に倒れた後、王位継承者として担ぎ出されかけた経験のある彼女にとって、国を巡る醜悪な争いほど嫌いなものはないのだろう。

御明答ごめいとう。権力闘争なんてどこの国でも日常茶飯事かもしれないけれどね。昨今のザルワーンの事情は、どうやらほかの国とは少々趣が異なるんだ。五竜氏族に連なるものは、その末端に至るまで、武装召喚術を徹底的に教え込まれるのだとか。そうして作り上げられたものたちの人格など、推して知るべし、だね」

「人格をとやかく言う権利が兄上にありますか?」

「否定はしないさ。けれども、武装召喚術に重きを置きすぎた者たちの権力争いは、血が流れないほうがおかしいだろう? 武装召喚師同士の戦いほど派手で凶悪なものはないからね」

 実際、武装召喚師同士の言い争いから発展した喧嘩が、武装召喚術の応酬となり、無差別な破壊と甚大な被害を撒き散らしたという事例が、いくつもあるのだ。

 故に、武装召喚師同士の召喚武装を用いた私闘を禁じている国は多い。

 そもそも、未だに武装召喚術そのものを認めない国だってあるのだが、そういった時代遅れともいえる国は、遅かれ早かれ滅び去る運命にあるに違いなかった。

 だからといって武装召喚師に頼りすぎるのも考え物である。

 便利なものがあると、ついついそればかりに頼ってしまうのが人間の悪い癖なのだ。

(そう。なにものにも頼りすぎてはならない)

 レオンガンドは、みずからへの戒めを胸中に押し込めると、話を続けた。

「それでも、いままではうまくやって来てたみたいだ。三十年前、あまりにも血を流しすぎたことに戦慄せんりつした五竜氏族の当主たちが、話し合いの場を設けてね。ザルワーンの太守たいしゅを五氏族で持ち回りにしよう、ということになったらしい」

「なるほど。それで、ザルワーンの太守はころころと変わっていたんですね」

「そ。そのめんどくさい構造は、しかしながら、ここ最近まではうまく機能していたようだね。もちろん、見えないところでは相当やり合っていたらしいけど、表面上、歯車が噛み合っていたんだ」

 いや、それはもはや噛み合っていたとは言わないのかもしれないが、ともかく、機構としての太守の持ち回りは、ザルワーンを強くこそすれ、弱くすることがなかったのは確かなようである。

 なにしろ、内部抗争で血を流す必要がなくなり、武装召喚師という重要な戦力を外に向けることができるようになったのだ。

 そして、そこから、小国に過ぎなかったザルワーンの躍進が始まるのだから。

「――三十年。歯車が狂うには十分すぎる年月が流れた。半年前、バルサー要塞が陥落してからさ。すべてが始まったのはね。いや、ザルワーンにとっては、すべての終わりかもしれないけれど」

 そこまで言って、レオンガンドは、リノンの不思議そうなまなざしに気づいた。それはまるで、とてつもなく奇妙な、あるいは理解できないようなものでも見ているような表情だった。少なくとも、兄を見るような眼ではないだろう。

 とはいえ、レオンガンドは、怒る気にもならなかった。彼女がそんな顔をする理由も、わからないではないからだ。

「……兄上は、どうしてそう、すべてを知っているような口振りなんですか?」

 意を決したように問いかけてきたリノンに対し、レオンガンドは、軽く片目をつむってみせた。

「う・つ・け、だからね」

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