第18話 兄と妹

「本当のところはどうなんです?」

 リノンクレア・レーヴェ=ルシオンの問いは唐突ではあったものの、レオンガンドにとってはもちろん予想通りのものであり、特に驚くこともなかった。

 貴族のために特別に設えられた執務室は広く、手入れも行き届いていた。

 高級な調度品の数々は、かつてこの部屋を己が領地としていたものの趣味なのだろう。決して悪いものではないのだが、いかんせん、レオンガンドの趣味に合うものではなかった。

 壁に飾られた絵画もそうだ。

 微笑を湛える少年の肖像画は、確かに芸術的で素晴らしいものには違いない。しかし、レオンガンドは、部屋に入るなり、その肖像画を取り外して窓の外に投げ捨てたい衝動に駆られたのだ。

 それは間違いなく、悪寒おかんである。

 その少年は、レオンガンド・レウス=ガンディア――レオンガンドが十歳のころであり、彼の叔母おばミランディアが、売り出し中の画家に書かせたものだったのだ。

 紅顔の美少年そのものの笑顔を浮かべた王子は、未来に対しなんの憂いも抱いていないかのようであり、光に満ちた希望の将来を当然のように想っているのかも知れなかった。

 歯痒はがゆいが、仕方のないことだ。変わらざるを得なくなったのは、それから数年後の話なのだから。

 レオンガンドは、己の肖像画から視線を外すと、大きな窓に向かった。磨き抜かれた窓ガラスに映る自分の面影は、あの肖像画の十数年後の未来そのものと言えるのだろうか。

「セツナのことかい?」

「彼は本当に兄上の切り札なのですか?」

 妹の言葉が、鋭い刃のような切れ味を持つようになったのはいつごろからだろう――レオンガンドは、背後からのリノンの問いかけにも、即座には返答できなかった。

 窓の外に広がるのは、曇天どんてんだった。

 マルダールの頭上にふたをした鉛色の雲の群れは、今にもとめどない涙を流しそうな表情をしており、執務室から見下ろす町並みを進むのは、訓練中の兵士たちくらいのものだった。

 現在レオンガンドとリノンクレアのふたりがいる執務室は、市内全域を見渡せるほどの高さを誇る円塔えんとうを中心に構築された建造物、通称マルダール・タワーの五階にあった。

 窓から見えるのはマルダールの北側であり、ここ半年で急速に城塞化を遂げた町並みは、平穏からは程遠い印象があった。

 それもそのはずであろう。

 戦が、始まろうとしている。

「まさか」

 レオンガンドは、リノンを振り返りながら、小さく笑った。

 いくらなんでも、そんな質問をぶつけてくるとは思わなかったのだ。彼が勝手に、妹ならばわかると思い込んでいたのかもしれないが、それにしても、低質な疑問だと言わざるを得ない。

「あれはただの思い付きだよ。どこの馬の骨ともわからないもぐりの武装召喚師ぶそうしょうかんしが、一大決戦の切り札になんてなるわけがないだろう? ザルワーンの鬼子おにごランカイン=ビューネルを倒したとはいえ、その実力は未知数。彼を誘ったのは、彼の師がアズマリア=アルテマックスだから、というのが大きいのさ」

 そう言いながらレオンガンドは、あの少年の顔つきを思い出していた。

 ひとを見かけで判断するなど以ての他だということは重々承知しているものの、かの少年は、どう見ても武装召喚師とは思えなかった。

 武装召喚師たちが駆使する武装召喚術ぶそうしょうかんじゅつとは、人並みはずれた知識と血反吐ちへどを吐くほどの修練を積み重ねることで、ようやく体得できるようになるほどの技術である。

 才能だけで扱えるはずもなければ、並大抵の努力では、術式の構築などままならないものだという。

 そう、武装召喚師たるもの、その容貌ようぼうから知性や修練の成果というべきものを感じさせるはずである。

 あの少年には、そういったものがまるでなかったのだ。

 もちろん、知性を感じさせない武装召喚師もいるだろうし、彼がそのような人間である可能性も捨てきれない。

 しかし、レオンガンドの直感は、セツナを極めて一般人に近い存在だと捉えていた。

 とはいえ――。

「アズマリアって、あの竜殺しですか?」

 リノンの鉄面皮てつめんぴに多少の驚きが刻まれたことに、レオンガンドは、少なからず満足感を覚えた。しかし、それも一瞬のことに過ぎない。リノンの表情は、すぐさま、いつもの怜悧れいりさを取り戻し、一見するとどこか不満そうな顔つきに変わっていた。

「そ。伝説にうらわれる最強の武装召喚師のことさ。もし彼女と繋がりを持つことができれば、僥倖ぎょうこう以外のなにものでもないだろう? まあ、それも記憶喪失中の人間の証言だから、とても怪しいものなんだけどね」

「記憶……喪失?」

 リノンが怪訝けげんな表情を浮かべるのも無理はなかった。

 レオンガンドも、最初報告書に目を通したとき、首を捻ったものだ。記憶喪失というわりには、アズマリアの弟子だのなんだのと色々詳しく書かれていたのだ。もっとも、その報告書に記されたことのすべてが事実であるなどと、はなから思ってもいなかったが。

「十中八九、嘘だろうね。なんのためにそんなくだらない嘘をついたのは知らないし、彼にその嘘を貫き通すほどの度胸があるとは到底思えないのだけれどね」

「そんな怪しい人物を、どうして!」

「いや、でもね。セツナが、ランカインを倒し、被害の拡大を防いだのは事実なんだ。あのままランカインを野放しにしておけば、カランだけではなく、クレブールやメレル、あるいはガンディオンまで焦土と化したかもしれない」

 レオンガンドはそう言ったものの、実際は、そこまではいかないということもわかってはいた。

 ファリア=ベルファリアがカランへ向かっていたのだ。

 彼女が到着したのは、すべてが終わってからだったようだが、セツナ=カミヤがランカイン=ビューネルを倒さなければ、彼女がカランに辿り着いた頃合いであっても、カランは大火に包まれていたはずである。

 ランカインとの戦いで瀕死ひんしの重傷を負ったセツナが一命を取り留めたのは、ファリアの到着が、戦いの直後だったからに他ならないのだ。

 もし、彼女の到着が、ランカインの逃走を許すほどに遅れていたとすれば、セツナは死んでいただろう。

 そして、ファリアなら、ランカインとも十二分に渡り合うことができるはずなのだ。彼女が本気を出すことができれば、の話だが。

「そう、セツナは、我がガンディアを滅亡から救ってくれたんだよ」

 それは言い過ぎなのは間違いなかったが、しかしながら、ひとつの事実でもあった。セツナが現れず、ファリアがランカインに敗れるという可能性も、ないわけではなかったのだ。

 この世に絶対などありえない。

「……兄上がそう想うのは結構です。しかし、素性すじょうの知れないものを軍に加えるというのには反対します。その迂闊うかつで不用意で軽率けいそつな決断が、ランカイン=ビューネルの潜入を許し、カランの大火を招いたのです」

 リノンの厳しいまなざしと冷ややかな口調は、当然、この国のことを心から想っているからに他ならない。

 レオンガンドは、彼女の抑えがたい気持ちを受け止めて、静かにうなずいた。

「そう。その通りだ。でも、彼については大丈夫だと想うよ?」

「兄上のその楽観的な考えはどこから出てくるのですか?」

 彼女のなじるような口調には、さすがのレオンガンドも苦笑せざるを得なかった。いくら実兄とはいえ、他国の国王に対する態度ではないだろう。もちろん、その程度のことで権威を振り翳すような真似はしないが。

「直接逢ったからかな?」

「そんなことで!」

「それに、彼には監視もついている」

 激するリノンに対して、レオンガンドはいたって冷静に告げた。相手の感情が昂ぶれば昂ぶるほど冷静になっていくのは、よくある話ではある。

「監視?」

「彼は、カミヤと名乗ったんだ。協会も彼を監視せざるを得ないだろう?」

 レオンガンドは、マルダールへの同行を願い出てきたファリアのなんとも言いがたい表情を思い出していた。彼女には彼女の理由があるのだ。譲れない理由が。

 でなければ、彼女が勝手にカランを離れていいはずがない。ファリアは、大陸召喚師協会カラン支部の役員なのだ。しかし、彼女はカランを後にした。

 カランでの仕事よりも重要な何かを、ファリアは背負っているのだ。

「カミヤ……まさか!?」

 はっと、リノン。彼女の表情が一瞬にして驚愕に満ちたのは、ある意味当然ではあるのだが、少し遅すぎる反応とも言えた。

「可能性の話さ。アズマリアの弟子っていうことだけでも、監視する価値はあるしね」

 レオンガンドは、再び、執務室の窓へと向き直った。磨き抜かれた窓ガラスの遥か彼方に聳えるであろうバルサー要塞の威容を脳裏のうりに思い浮かべ、かぶりを振る。

 バルサー要塞を思い浮かべるたびに、同時に想起されるのは、たったひとつの名前だった。

(クオン=カミヤ……か)

 半年前、突如現れた武装召喚師であり、バルサー要塞陥落の最大の要因であった。



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